2024年秋、世代論をつづった2冊の本が刊行された。1冊は、コラムニストの石原壮一郎さんの『 昭和人間のトリセツ 』。もう1冊は千葉商科大学准教授で働き方評論家の常見陽平さんがつづった『 50代上等! 』。昭和生まれのお二人に、「昭和人間」の中にある世代意識の違いや、歳を重ねることの楽しさなどを話していただいた。2回目は50代60代、それぞれの社会との向き合い方について。
第2回 常見陽平×石原壮一郎 世の中を信じられない50代、信じられる60代今はここ
第3回 常見陽平×石原壮一郎 歳をとっても「嫌なこと」ってあんまりない
第4回 常見陽平×石原壮一郎 「昭和はよかった」は果たして本当なのか?
アラカン世代の「若い人の歌」は小沢健二
常見 じつは就職氷河期世代って約2000万人いるんですよ。日本の人口の6分の1もいますから。なかでも、私のような就職氷河期前期世代は第二次ベビーブーマーでもあり。ターゲットとした、たくさんの娯楽が提供され、若者文化は元気でした。先日も友人と「17歳までの人生は楽しかったよね」「なんだかんだ言って楽しい大学生活だったよね」という話をしていて、振り返るとプラモデル、ラジコン、ファミコンといった数々のブームが懐かしく。小室ファミリー、渋谷系に代表される音楽の盛り上がりもありましたよね。
石原 50代を見ていて気にくわないのは、音楽がおしゃれなんですよ。我々60代は、昭和歌謡で育った世代なので。好きだったのはキャンディーズとか。
常見 僕らが若いときに聞いていたアーティストって、アイドルなんだけど音楽がおしゃれなんですよ。音楽評論家のスージー鈴木さんの『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)によると、1984年頃に、「歌謡曲とニューミュージックの対立」が「歌謡曲とニューミュージックの融合」に転換したんです。大御所の作詞家、作曲家がアイドルの曲をつくっていました。例えば、松田聖子さんの歌は、はっぴいえんどの松本隆さんが作詞、作曲はユーミン(呉田軽穂名義)です。高校、大学時代にはバンドブームがあったりして、みんなが楽器を買い。カラオケボックスでうまく歌うためにCDシングルを買う時代でした。
石原 こっちはスナックで『居酒屋』を歌っていましたからね。カラオケボックスは社会人になってからです。
常見 僕たちの若者文化は元気だったなって思います。去年(2024年)、小沢健二のアルバム『LIFE』がリリース30周年を迎えて、その記念に行われた武道館ライブに僕の同世代の人が集結していたみたいで。
石原 僕らにとっては、精いっぱいの「若い人の歌」を代表するアーティストが小沢健二です。30代くらいのときに、「よし、たまには若い人の歌でも」とカラオケで選ぶのが小沢健二で。今もそこから進歩していない。ずっと歌っていたのは、松田聖子、サザン、ユーミンですね。
50代は「社会は悪くなる」と考える
常見 ただ、そんな楽しい若者時代が過ぎ、就職活動をするころには超氷河期。会社に入っても、すぐに結果を求められる風潮でした。そんななか30手前くらいでやってきたのが、2000年代の自己啓発ブームです。当時売れていた『日経ビジネス アソシエ』(休刊)なんかには、渡邉美樹さん(ワタミ創業者)、柳井正さん(ファーストリテイリング経営者)、藤田晋さん(サイバーエージェント創業者)、星野佳路さん(星野リゾート経営者)といった人たちが英雄のように出ていたんですよ。「こんな人たちを目指せ」って。
石原 そういう実業界の人を目指す風潮は、60代から見ると、「もうちょっと不真面目にしろよ」と思うんですよね。
常見 それくらい僕らは余裕がなかったんですよ。僕らには、被害者の要素がけっこうあると思っていて。僕らのような第二次ベビーブーマーが社会に出るときに雇用を絞ったわけでしょ。それで苦労したから、上の世代を「仮想敵」のように思っていたのですよね。ロスジェネ論壇はそんな感じでした。
石原 ロスジェネ論壇の人たちは、いろいろうるさいことを言ってましたよね(笑)。
常見 新自由主義の犠牲者が、新自由主義者化した時代でもありました。上の世代を解雇して、若い世代の雇用を生み出せとも。上の世代に「使えない人レッテル」を貼って、「解雇」という重い話を簡単にし、それが正しいかのような空気に、私は違和感を覚えていました。
石原 60代はそんな難しいことを考えないんですよ。世の中の理不尽とか思い通りにならないことについて、どこに原因があって、誰が悪いのかを追及しようとするのが50代。まあしょうがないかって受け入れて、うまくやろうとするのが60代。
この違いはなんですかね?
石原 世の中を信じているか、信じてないかじゃないですかね。
60代は信じている?
石原 そうですね。
常見 僕は、世の中、信じられないですね。社会も会社も嘘だらけだろうって。
石原 我々も嘘だらけだろうとは思っているけど、そこまで悪いようにならないんじゃないかと思っている。
常見 違いはそれだ。僕は悪くなると思っちゃう。
石原 このままだと社会が悪くなると思うのが50代を中心とする「後期昭和人間」で、そうは思わないのが60代を中心とする「前期昭和人間」ですかね。
60代は団塊の世代を反面教師に生きてきた
常見 僕らは、政治にも経済にも裏切られたって感じがあるんですよ。でも最終的には社会を信じたい。でもそこまで信じきれないから自己防衛に走るし、自己責任論がフィットしてしまう。
石原 新刊『 50代上等! 』の中で、常見さんが自己責任癖をどうにかしなきゃいけないと強く訴えておられるのは、素晴らしいなと思いますよ。
常見 この本を書くなかで、同世代に話を聞いていて、自然と自己責任論の話が出てきたんですよ。途中から「自己責任癖」という言葉を同世代に投げかけたら「分かる!」という共感が広がり。みんなこの癖のせいで、リスクを取れない閉塞感におおわれたんですよ。
60代は自己責任とか考えないですか?
石原 60代は自己責任とか考えないですね。自分のせいだと考えても、それで何も生まれないことを本能的に知ってる。社会のせいにもしない。というのは、我々の上の世代が、すべて社会のせいにしていたから。それはダサいなと思っていた世代なんです。
なるほど。上の世代といえば、全共闘世代。
石原 ええ。同じ「前期昭和人間」でも、我々60代とゲバ棒を持っていた70代とはだいぶ違うんですよね。上の世代が、下の世代を性格づけるという部分は大きいと思います。我々は、団塊の世代とか全共闘世代を反面教師にしてきたところがありますね。
『天気の子』的世界で生きる平成人間
上の世代を反面教師にして、下の世代が性格づけられるというのは説得力がありますね。それでは、今の50代である「後期昭和世代」の次の世代、つまり「平成の世代」は、どういう性格ですか。
石原 後期昭和の人たちは、考え過ぎる一面がありますから、順番でいえばのんきになっていいはずなんですけどね。
常見 そうはなっていないですよね。社会に期待する人と、全く期待していない人に分断されている気がします。当該世代には、社会を変えようというムーブメントをつくっている人もいますが、それは先鋭化した一部の人で、大半はごく普通の真面目な人たち。どなたかが『天気の子』的であると言っていたのですが。
新海誠さんの映画の?
常見 そうです。『天気の子』って、簡単に言うと、世の中が壊れていて、その壊れている前提の社会で、若い人たちがしなやかに生きていますよね。これはその前にはやったセカイ系と呼ばれる、『新世紀エヴァンゲリオン』など、若い主人公が世界を背負い、「自分がなんとかしないと世界が終わる」という世界観とはだいぶ違います。
なるほど。
常見 「壊れている社会前提で生きているな」というのは、学生たちを見ていても感じるんです。
石原 アラフィフ世代の論者には、世の中には夢も希望もないんだという人たちがたくさんいる。あの手この手で、俺たちはこんなにかわいそうだって言ったせいで、その下の世代は殻に閉じこもっているようにも見えますよね。あと余計なことをすると叩かれるから防衛しているようにも。
常見 SNS時代の弊害というのもありますが、世代をおおう「余計なことをすると叩かれる意識」というのは、本当になんとかしないといけない、と思っています。
(第3回 「常見陽平×石原壮一郎 歳をとっても「嫌なこと」ってあんまりない」 につづく)
第2回 常見陽平×石原壮一郎 世の中を信じられない50代、信じられる60代今はここ
第3回 常見陽平×石原壮一郎 歳をとっても「嫌なこと」ってあんまりない
第4回 常見陽平×石原壮一郎 「昭和はよかった」は果たして本当なのか?
文/岡部敬史 写真/鈴木愛子
なぜ10年前の出来事を最近のことのように語ってしまうのか? LINEが無意味に長文になる理由は? ――仕事観やジェンダー観など多様な切り口から「昭和生まれの人間」の不可解な生態に肉薄し、その恥部をも詳らかにする日本初の書籍。「【注】知っておかなくても構わない昭和・平成用語集」も収録。
石原壮一郎著/日本経済新聞出版/990円(税込み)