読書の醍醐味のひとつに、新しい物の見方や多様な考え方との出合いがあります。ある文章を読んだことで、自分の思考の幅が広がったり深まったりする、その楽しさ。
最終回である今回は、生徒たちへのお薦めという面もさることながら、私自身の授業の幅を広げてくれた本として、『 現代思想のパフォーマンス 』(難波江和英、内田樹著/光文社)を紹介します。
ソシュール、バルト、フーコー、レヴィ=ストロース…本書で取り上げられているのは日本でも割となじみのある現代思想家たち。しかし生徒たちは、文章中に出てきた名前を見たことはあっても、思想の中身まではちょっと、という子が大半でしょう。
そんな読者に思想自体の理解を促すことが、そもそもこの本の目的ではありません。『現代思想のパフォーマンス』の著者たちが目指しているのは、思想の「解説」ではなく、そこから得られた思考のノウハウを使って、映画や文学を読み直してみるという「パフォーマンス(実演)」なのです。
例えば、ソシュールの言語学を使って『不思議の国のアリス』を、バルトの考え方を使って映画『エイリアン』を、レヴィ=ストロースによって小津安二郎の映画『お早よう』を読み解いていく。
本書には実際に思想をツールとして使うときにはこうやるんだよ、という具体的な使い方が書いてあり、それが非常に刺激的で面白いのです。思想をツールとして使うというコンセプトが何よりも斬新ですし、そうすることで、作品に隠された意味が明らかになる心地よさも味わえます。
この本をヒントに、現代文の授業で思想や哲学の概念について書かれた文章を読むときに映画を読み解くといったことをやってみたら、生徒たちの食いつきが非常に良く、「考えること」そのものを楽しんでくれた。以来、思想をツールとして使いながら、現代文と映像作品を抱き合わせた授業をよく行うようになりました。
スタジオジブリの映画を「名前」に着目して読み解く
例えば、本書の最初の章に登場するソシュールの『一般言語学講義』。ソシュールは「コトバこそが人間の現実を作っている」と考え、人間と世界との関係を改めて問い直しました。
教室ではソシュールの考え方に触れる文章をみんなで読み、その後、スタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』の「名前」に関わる部分を抜粋して見せます。
千尋は自分の名前を湯婆婆に奪われ「千」という名前を付けられます。名前を奪われることは相手に支配されること。だから本当の名前を忘れてはいけないと千尋はハクに忠告されます。
ここで言う「名前」とは何なのか? 「名前」を奪われることは何を象徴しているのか? 生徒たちは「名前」に着目しつつ、映画を読み解こうとし始めます。
私たちが現実と思っているものは、実は私たちの言語の働きから作り出されたものである、とソシュールは指摘しています。つまり、先行するのは言葉。言葉が先に概念を作り出し、人間はそれによって物事を認識できるようになる。
「だからこそ、名前が大切なんだよね」「名前を奪われたままでは、人は自分を取り戻せない」と、議論は登場人物たちの言葉を掘り下げながら、ソシュールの考え方をたどることに。
やがてほとんどの生徒が、「そういうことか」とストンと理解してくれる。
抽象度が高くても、少々とっつきにくい内容であっても、具体的な映画を通して考えることで身近な問いに置き換えられるのでしょう。それによって、概念だけの記号的な知識が、自分とつながりのある生きた知識に変わる。そうすれば、現代思想や哲学が、これから生きていくために使えるものになっていくのではないでしょうか。他にも、『崖の上のポニョ』や『コクリコ坂から』、ジブリ作品以外にも『マトリックス』や『トゥルーマン・ショー』などの映画も取り上げてきました。
哲学を学ぶということは、新しいものの見方や考え方を知ること
こんな形で授業で扱うと思想や哲学が身近になり、大学の学びにも生きてくると思います。
そんな生徒たちへのこのジャンルの目下のお薦めが、2024年に刊行された新シリーズ『 哲学史入門 』全3巻(斎藤哲也編/NHK出版)です。
哲学史を解説した本はすでにたくさん出版されていますが、このシリーズは、インタビュー形式で書かれているのが特徴です。古代ギリシャ哲学から現代思想まで、それぞれのカテゴリーの研究の第一人者が登場し、質問に答える形で熱く読者に語りかけてくるのです。
平板な解説ではないからこそ、哲学を学ぶワクワク感が伝わってくる。それを感じられたらそれだけで読んだ意味があると思います。
哲学を学ぶということは、新しいものの見方や考え方を知ることです。生徒たちにいい形で哲学の門をくぐってもらえたらいいなと思うんですね。それで折に触れて思想や哲学の話をしたり、関連本を紹介したり、映画を使ってみんなで考えたり。きっと、どこか響くものがあるはずと信じて、毎年やり続けています。
生徒たちが互いに刺激し合い、考えの幅を広げる取り組み
広尾学園では、国語の授業を思考活動の場と捉え、物事を深く考える力やそれを言語に置き換えて再構成する能力の習得に力を入れています。
例えば、授業中に何か短編小説を読んだとします。さて、それをどう解釈するか。解釈には幅がありますよね。
こんなふうに捉えられるのではないか、こうは考えられないか…それをみんなに話してみる。文章にまとめてみる。
友達の表現に触れたとき、その発想の豊かさに驚かされることもあれば、文章力に圧倒されることもあるでしょう。そしてそれが刺激となって、自分自身の考えが広がったり深まったりしていく。
授業では、生徒たちが互いに刺激し合い、考えの幅を広げる取り組みを大切にしていきたいと考えています。そこで私が国語の教師としてやるべきは、考える材料を提供し、生徒に考えてもらうことに尽きるのかもしれません。
「これ、読んでみたら?」と生徒たちにあれこれ本を薦めたくなるのも、実は同じ理由からです。読んで、様々な考えに触れることで、自分の世界を広げてくれたら…。
私たち国語科教員のそんな思いが詰まっているのが、ブックリスト「広尾学園国語科・推薦図書」です。当初は100冊のリストでしたが、その後150冊となり、何冊かを入れ替えて、現在、「推薦図書2024」を広尾学園のホームページで公開しています。
校内の「推薦図書コーナー」にも並べられていて、生徒たちはいつでも手に取ることができます。本選びの参考にしてもらえているようで、よく貸し出されていると図書館から聞き、うれしく思っています。
中高生ですから、卒業後の進路や人間関係、あるいは自分自身のことなどについて悩みを抱えている生徒も少なくありません。
そんな子が休み時間に「◯◯に関連する本はありませんか?」と聞きに来ることもあります。授業の後、「今授業で読んだ文章、全文読みたいです」と言ってきた生徒に出典を伝えたら、後日「私が考えていることが、まさにこの本に書いてありました」と伝えに来てくれたこともあります。
何が琴線に触れるのかは一人ひとり異なりますが、出合うべき本は誰にだってきっとある。自分にとっての大切な一冊に、ぜひとも出合ってほしいし、そのサポートをできるだけしていきたいと思います。
【参考】広尾学園のホームページに掲載している推薦図書リスト 広尾学園国語科・推薦図書2024
取材・文/平林理恵 写真/鈴木愛子