その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は神津多可思さんの『 「経済大国」から降りる ダイナミズムを取り戻すマクロ安定化政策 』です。

【はじめに】

はじめての「普通」

 日本経済を取り巻く環境は、2020年代央にかけて様変わりとなった。新型コロナウイルスの蔓延という、かつてないショックもあり、社会は大きく変わったが、その頃の閉塞感も日に日に過去のものとなっていく。そうした中で、著者がかつて30年間を行員として過ごした日本銀行も、新しい総裁の下で、その金融政策を大きく変え、日本経済は「金利ある世界」へ戻ろうとしている。

 日本銀行の植田和男総裁は、ゼロ金利への復帰という政策変更を行った2024年3月の金融政策決定会合の後の記者会見で、今後の政策金利の設定の仕方について、「短期金利を政策手段にしている他の中央銀行と同じように設定していく」と述べた上で、それを「普通の金融政策」と表現した。

 その「普通」とはどういう意味だろうか。日本銀行が金融調節を短期の政策金利の誘導によって行い始めたのは1995年のことであり、その頃、日本経済はバブル崩壊の後始末の真っ最中だった。普通とは、短期の政策金利の誘導に戻るという意味では、当時と同様の政策を行うことを意味するはずだが、内外の状況は当時とは全く異なる。したがって、「普通」とはいっても、当時とは当然違う実態になるはずだし、それは、日本経済が置かれた今日の状況の下では、はじめての「普通」でもあるはずだ。そもそも、中央銀行のバランスシートがここまで大きくなった状態のままでは、それを普通ということには違和感が残る。

 本書では、金融政策と財政政策を合わせたマクロ安定化政策について、これまでを振り返り、その上でこれからの姿を探りたい。特に金融政策については、これからの「普通」とはどのようなものかを考えてみたい。

重ねてきた誤謬

 「デフレでなくなりさえすれば全てうまくいく」わけでないことは、現在、私たちが経験している通りである。「いや、これまで言ってきた『デフレ』は今のような物価環境ではない」というのが今日の政府の説明だが、2年以上も、これまで目標としてきた2%を上回るインフレが続いている下では、何とも説得力がない。本書の執筆時点で、政府はデフレ脱却を公式に認めていない。

 毎日、消費をしている身からすれば、2024年末の現時点では、もはやデフレではない。そもそも、消費者物価指数前年比がマイナスという意味でのデフレの時期は、過去においても限定されていた。それでも、「消費者物価前年比がマイナスの状況でなくなれば、2%程度の実質成長が実現できる」という暗黙の理解が、かつての異次元緩和の背景にはあったように思う。今振り返れば、それは短絡的にすぎた。実際、消費者物価と実質GDPの前年比の関係をみても、2%インフレであれば2%の実質経済成長になると言えるほどのはっきりとした相関はうかがえず、さらに時間差を織り込んだ相関もさほど強くない(図表0-1)。これが、これまでの現状評価における1つ目の誤謬であると思う。

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 ただし、消費者物価でみたデフレがまたやってくるという期待が蔓延している状況と、そうでない状況とでは、企業のリスクテイクの姿勢が違う可能性がある。マイルドなデフレが繰り返される環境で企業のリスクテイクが弱くなるとすれば、そのことは潜在成長率に影響を与える。企業のリスクテイクとは、雇用、資本設備などへの投資そのものであり、それはマクロ経済の成長にとって非常に重要な要素だ。そのような考えのステップを飛ばして、「デフレでさえなくなれば」ということを、厳密な意味でデフレでなかった期間も言い続けてきたところがあったのではないか。

 さらに考えを進めると、日本経済はもっと強い需要刺激をすれば、もっと高い実質成長率が実現できたのだろうかという疑問が湧く。それが難しかったことは、以下、本書でみていくが、実は、デフレと言ってきたその本質的な意味合いは、成長率の低さではなく、日本経済に蔓延してきた「不振感」のことだったのではないか。この、経済が不振であるという感じと実質経済成長率との間に、明確な正の関係を見出すこともまた難しいようにみえる。例えば、内閣府の「国民生活に関する世論調査」や日本銀行の「全国企業短期経済観測調査」に表れる国民の生活幸福度や企業の業況についての判断と実質GDP成長率の関係をみると、これらについても相関はさほどはっきりしたものではない(図表0-2)。成長率さえ高くなれば、家計も企業も元気になると考えたのも誤謬だった可能性がある。これが2つ目である。

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 そうした不振感は、需要刺激を強化し、デフレから脱却できればより高い経済成長が安定的に実現できるという1つ目の誤謬と重なり、日本経済における閉塞感にも繫がった。いくら需要刺激を強化する政策を重ねても、なかなか将来の展望はひらけなかったからだ。

 本書ではまず、このような、これまで日本経済を考える際に重ねてきた認識の誤謬を振り返る。その際の問題意識は、1990年代以降のそれぞれの時期において、ではどうすれば良かったかということだ。その整理を、現時点から未来に投影できないかというのが、本書の基本的なテーマである。

あるべきマクロ安定化政策の姿

 バブル崩壊後の長い期間、日本経済が不振だという感覚が続いたことは事実だ。その不振感を払拭するためには、実際、どうすれば良かったのだろうか。本書ではそれを、マクロ経済の変動を平準化することが目的である「マクロ安定化政策」に焦点を当てて考える。マクロ安定化政策とは、マクロ経済を安定化させるための政策として金融政策と財政政策を一緒に考えるアプローチであり、本書ではこの呼称を度々使う。

 より具体的には、景気循環の振れを一定の範囲に制御し、家計、企業といった経済活動の主体が直面する、経済の過熱あるいは不調によって生じる様々な調整コストが必要以上に大きくなることを避けようとする政策をイメージしている。もちろん、1つの政策主体がそのマクロ安定化政策全体を実施しているわけではないので、実践的には金融政策と財政政策に分解して議論せざるを得ない。しかし両者が、マクロ経済の安定という共通の目標の下に、調和的に運営される必要があることも事実である。

 本書では、その点を意識してマクロ安定化政策という言葉を使った。金融政策と財政政策は、それぞれ、できることは違うが、マクロ経済の安定を目指すという視点は共通である。それを前提に、両政策が本来できることをより明確にし、その上で適切な役割をそれぞれに割り当てる必要がある。

 他方で本書では、景気の循環を無視した需要刺激の強化が、長い目でみて日本の潜在成長力を低下させてきた可能性にも言及している。一見、これは全く正反対のことを言っているようにもみえる。しかし、何事にも塩梅(あんばい)があって、2%程度の実質経済成長にせよ、そのための2%のインフレにせよ、それが実現されるまで景気循環に沿った金融環境のダイナミズムまで圧殺しても良いことにはならない。

 長期的にみて日本経済の成長力の底上げを図るためには、その供給構造を環境の変化に応じて速やかに変えていかなければならない。そのためには、一定の景気循環があった方が良い。なぜなら、景気の後退局面でこそ供給構造変化の準備が進むと考えられるからである。以下の第1章で詳しくみるが、そもそも日本経済が経験してきたのは、バブル崩壊後の40年以上の長い期間にわたって、性質の異なるいくつかの供給構造の変換を促す力に直面してきたということである。そうした力は1つの景気循環の長さを超えて作用してきた。他方、景気循環の振れが過度になっては、かえって長期的にみた成長力は下押しされる。さらに日本経済の場合、経済の供給構造の変化を促す環境変化のスピードが速い。それは高齢化の進展のスピードに顕著に表れているし、経済的な結び付きの強い中国の目覚しい発展をみても肌で感じられるところだ。そのため、供給構造を変えるコストも大きくなるので、景気循環を通してみた場合には、マクロ安定化政策はその供給構造の変化をサポートするものでなければならない。その難しいバランスを実現させることが、日本の金融、財政のマクロ安定化政策には求められている。これが本書の基本的な姿勢である。

 今日、日本経済には新しいダイナミックな動きが芽生えているように感じられる。経済全体として、金融政策と財政政策のそれぞれが本来できることを確認し、その上で目の前にある問題を克服するための方策を、企業、家計、政府それぞれの立場で改めて考えるところに来ている。誤謬のないマクロ安定化政策のあり方について、今一度整理をするには良いタイミングだと思う。

金融政策――供給構造の変化を見極めるべき

 結論をあらかじめ圧縮して述べれば、まず金融政策に関しては、それは本来、景気循環をならすための政策である点を、今一度認識すべきだと考える。金融政策が、そうした機能を十分発揮するためには、当然、対象とする日本経済の状況をできるだけ正確に把握しなくてはならない。その際には、供給構造の変化が進む中にあっては、労働市場の情報が今後ますます重要になる。

 金融政策運営上、まずは物価環境に注目するのは当然のことだ。2%のインフレ目標が設定されているのだから、それとの対比での経済の現状判断が第一歩になる。しかし過去、インフレ率がその目標に到達していないことを理由に、無理に金融緩和を強化してきたところがあったのではないか。その目標が達成できる時間軸は、経済の供給構造に変化を促す力が強く作用している時には、そうでない時に比べ長くなる。

 長い目でみて維持できない供給力が過剰に存在していて、そうした分野を中心に需給ギャップが需要不足/供給超過の方向に開いているというのが、これまでの日本経済であった。その場合、①需要を刺激してできるだけ短期に需給ギャップを縮める、②一定の時間はかかるが供給力が削減されて需給ギャップが縮まる、という2つの選択肢では、どちらが良いか。決定的な答えはない。しかし、これまでの日本経済では、あまりにも前者に重点が置かれすぎていたのではないか。

 削減すべき供給力が残存しているため、マクロの需給ギャップが2%インフレを実現するほどに縮まない場合、マクロ経済の状況を把握する上で、物価環境に加えて注目すべきは労働市場である。雇用に関して、何らかの定義による完全雇用が成立しているのに、金融緩和を強化してもインフレ率が上昇しないとすれば、マクロ経済学としては不可解である。

 だからこそ、設定したインフレ目標の実現のため、これまで金融緩和が強化されてきた。しかし、経済を取り巻く環境変化のスピードが速く、そのため、例えば既存の資本設備の陳腐化も急速に進んでいる場合、雇用についてある種の完全雇用が成立していても、削減すべき資本設備について稼働率が十分上がらないという特殊な状況も考え得る。

 そうした状況で、長い目でみた場合、有効な需要が乏しく維持できない資本設備を稼働させるために金融緩和によって需要刺激を行うと、景気循環を通した平均的な成長率を高めることにはならない可能性がある。逆に、その維持できない供給力が存在するため、長期的な経済成長率が表面上の需要不足のために低下するかもしれない。もし、そうだとすれば、金融政策には、労働市場がある種の完全雇用圏内に入ったと判断される場合には、むしろ供給構造の調整を待つことが求められる。

 ただし、その場合の完全雇用は、マクロ経済が定常状態にある場合の完全雇用とは違うはずだ。長い目でみて持続可能なビジネス分野へと、労働力が常に移動し続けている中での完全雇用だからだ。その見極めは、マクロの経済指標だけで固定的に行うのは難しい。どうしても、ミクロ情報も活用して総合的に判断する必要がある。

 日本銀行法には、その第2条に「通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」とある。これを直裁に読めば、労働市場の状況への配慮のために目先の「物価の安定」を犠牲にすることは日本銀行にはできないことになる。しかし、「日本経済の健全な発展に資する」ことなく短期的に「物価の安定」を目指すことがあるとすれば、それもまた日本銀行法にある理念に背馳(はいち)することになりはしないだろうか。金融政策について、本書では、以上のような問題意識を持って考えることにしたい。

財政政策――歳出余力を確保することが課題に

 財政政策については、財政赤字の現状を踏まえれば、景気循環をならすための機動的な対応の余地は限られる。今後、一番重要なことは、これからの財政赤字を持続可能な範囲内に制御していくことだろう。また、日本経済の供給構造を新しい環境に適応したものに変えていくインフラストラクチャーの整備なども、これからの財政政策の重要な役割になる。さらに、家計が安心して支出できる状況を作るという意味で、所得配分を適正化させる役割も果たさなければならない。

 財政政策は、常に政治的な意思決定の過程を経て実行に移されるので、そもそも臨機応変の調整は難しい。その上に、今述べたようないくつもの難しい課題に直面している。したがって、景気循環をならす側面については、景気拡大局面で税収が増え財政収支が改善する、その逆の時は逆、というビルトイン・スタビライザーの機能をちゃんと働かせることが基本になる。一時的な税収増があったからと言って、それを理由に歳出を増やすようなことがあっては、長期的な財政赤字の制御に支障を来たしかねない。

 また、財政政策を日本経済が供給構造をさらに迅速に変化させていくことを助けるものとするためには、そのための歳出の余力も確保しなければならない。他の先進国に比べ、日本の社会保障関連以外の分野の財政支出は、経済の規模を考えれば決して多いとは言えない。今後さらに進む高齢化に伴って、社会保障制度に関連する支出は増加傾向をたどらざるを得ないだけに、どうやってそのための歳出余力を確保するかが大きな問題となる。

 1つには、社会保障分野の歳出のあり方を見直す必要があるだろう。もう1つには、財政の歳入のあり方の見直しも求められるだろう。また、そうした変更を検討する過程においては、経済活動を最大限活性化させるような所得配分の実現を意識することも大事である。

 さらに、今後、何十年という時間経過の間に予想される大規模な地震、あるいは想定外の安全保障上の出来事などから生じる経済の混乱といった、発生確率は不明だが、事案が発生した場合の財政支出の規模が大きい事態への備えも求められる。そうした場合には、どうしても国債を増発せざるを得ない。したがって、必要な資金を必要な時に十分確保できるだけの国債発行能力を、常に備えておくという意識も重要である。財政政策については、こうした点についての考えを整理したい。

「経済大国」から降りる

 以上のような金融・財政のマクロ安定化政策の下で、どのような日本経済が今後実現されていくのだろうか。それを本書の最後に考える。当面の間、高齢化・人口減少は避けられない。家族を作ろうとする人が増える社会になった方が良いと思う人は多いだろう。しかし、そうなっていくとしても、しばらくの間は働くことができる人の数が減少することは避けられない。

 他方、当面の人口減少を有効に埋めあわせることができるスピードで労働市場の門戸を海外に開くことも現実的ではない。北米や欧州の先進国は、移民を受け入れることで、元からその場所に住んでいる人々の出生率の低下を補ってきた。しかし、同時にそれによる社会の不安定化というコストも負担している。

 社会の分断とも呼ばれるそうしたコストは、先進国が移民によって人口の減らない社会を実現する上では不可避でもあった。これまで移民に対して保守的であった日本の社会が、その社会的コストを負担する用意がすぐにできるかどうか。コンセンサスを形成するのになお時間がかかるとすれば、やはり当面の人口減少は受け入れざるを得ないことになる。

 そのような状況の下で、政府が行う経済政策は、日本経済をどうしようとするものなのか。全体としての経済のスケールやその拡大スピードを、過去を参照に、今より大きく、今より速くするということ、すなわちこれからも「経済大国」を追い求めることがこれからも最優先になるのだろうか。必ずしも、そうではないのではないか。高齢化が進み、人口が減少する過程において、グローバルにみた日本経済は、相対的にみて、もはやかつてのように大きくはならないし、成長のスピードもかつてのようには速くならない。だとすれば、金融政策にせよ、財政政策にせよ、戦後の昭和期のような目線でそれらを行うべきではない。日本は「経済大国」から降りるところに来ている。

 先進国の中で最も速いスピードで高齢化を経験している日本だけに、かつてのように他の先進国を参考にするわけにもいかない。プレゼンスという観点では、日本は次第に欧州の国々のようになっていくのかもしれない。欧州の1つ1つの国は、現在、人口規模は日本より小さく、したがって産業構造もより集約的になっている。今後の日本経済も、次第にそうした今よりもコンパクトな経済になる。その中にあって、もはや「経済大国」の復活を追い求めることをやめ、その発想を超えて、この国土で暮らす1人1人が一層充実感を持てるようにしていかなければならない。

 そうしたスケールを追わない経済を実現する上では、金融仲介の実力を高めることが重要になる。今後の経済環境に適合した企業を育み、経済の供給構造を変えていくために、企業の資本、負債の両面で、金融仲介を通じる経営に対するガバナンスがより効果的に機能しなければならない。それはまた、高齢化が進む過程で、家計が引退後に必要な金融資産を、現役の頃から形成していくことをサポートするものでもある。

 以上のように整理してみると、本書での主張は、別の角度からみれば、これまで、特にバブルの後始末を終えた2000年代央以降、成長戦略の実行が不徹底、不十分であり、そのしわ寄せが金融・財政のマクロ安定化政策に及んだということでもある。成長戦略の肩代わりを要請された分、マクロ安定化政策としての機能が制約され、それが様々なかたちの歪みを今日の日本経済に残しているのではないだろうか。

問題意識を共有する

 本書は学術書ではない。以下、本書で述べる様々な観察は、一次的な概観にすぎない。アカデミックな成果とするためには、経済モデルへと思考を純化し、その上で実証を進め、観察の正当性を統計的に証明するところまで作業を進めなければならない。本書でカバーした全ての観察についてそうした作業をするのは、1人の研究者ではあまりにも広範かもしれない。

 他方、本書には、金融経済についての予備知識がないと、読み進める意欲をなくしてしまう箇所も多々あろうかと思う。前二著『「デフレ論」の誤謬』『日本経済 成長志向の誤謬』について、そうしたコメントをたくさんいただいた。大学で初めて経済学を学ぶ学生にも興味を持って読み進めることができるような内容のものは、別途考えたい。しかし、本書に限って言えば、再び、実際に金融経済の中で活動しておられる方々に対し、問題意識を提示する内容となっている。

 それは、2020年代の前半に日本経済の置かれた状況がまた大きく変わり始め、この時点で問題意識を焼き付けておかないと、次に進めないように感じてのことである。厳密な裏付けのない言い放しではないかと思われた読者で、しかしさらに分析を進めてみる価値がありそうな問題意識を共有された方がおられたら、是非、一緒に議論する機会があればと思う。また、説明が丁寧でないと感じられる方がおられるとすれば、大変に申し訳ない。また違うアプローチで、本書で提示した問題意識を記述する努力をしたい。

【目次】

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