思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

年に1度の大冒険!? 奥多摩・石津窪単独遡行   

2006-09-24 23:45:30 | 登山

毎年1回、夏から秋にかけてのどこかの晴れた日を狙って、日帰りできる範囲の山域で沢登りに行っているのだが、今回は奥多摩、というか武蔵五日市のほうの千ヶ沢・石津窪という沢に行った。

僕は基本的には元々は「命の危険を犯して何かを行なう」という緊迫した意味合いのある「冒険」という言葉はあまり軽々しく使いたくないし、世間でもテレビや雑誌などでやたらと多用してその言葉の価値を余計に下げないでいただきたい、と人一倍強く思っているのだが、僕のこの毎年の沢登りに関しては冒険的要素が多々あるため、あえて「冒険」と呼んでもいいかな、と思っている。

と言うのも、パーティを組まずに単独で沢を遡行するからなのだが、ふつうの一般登山道のみを行く登山のときよりも足場の悪さなどによって進みにくいいわゆる“ヴァリエーションルート”をひとりでやる場合は、いつも以上に気を引き締めなければならず、緊張感も数倍増す。しかも、僕の沢登りはほかの入渓者が比較的少ない(やや忘れ去られた感のある)交通不便な1級の沢ばかりに行くため、もし遡行中に負傷したら助けを呼びにくいし、発見されにくいということもある。

今日はJR武蔵五日市駅からバスで荷田子まで行き、そこからはずっと徒歩で、荷田子峠を越えて林道盆堀線に出て、ヤマメがいるらしい川を見ながら入渓点に向かったが、沢登り本の遡行図コピーと1/25000地形図を照らし合わせても、そこがホントに目的の沢かどうか自信がなく、登り始めてからルート中のゴルジュや滝のようなわかりやすい地形を確認して、やっと目的の沢に来ていることがわかり、ホッとしたりした。これが一般の登山道であれば案内図や指導標や目印のために木に巻いてあるテープなどで現在地がわかりやすいが、“規格外”のヴァリエーションルートにはそんな親切な表示なんてほとんどないから(先人の踏み跡や残置ハーケンで判断するしかない)、登り始めからかなり不安。

だが、この不確定要素や自分で進むべき道を決めてじりじり進むことは、ある種お仕着せ精神で成り立っている一般登山道よりはやりがいがあって面白いことは面白い。でも今回、自分が石津窪に入っているという確証を得るのに、遡行を始めてから20分かかった。

で、今回さらに冒険的要素を増幅させたものに、このルートの後半にある核心部の、落差25mの大滝(上の写真参照)があった。沢登り初級者レベルの僕がこれまでに単独遡行した沢のなかでも最大の滝で、今回はたまたま水量は少なかったがそれでも迫力満点で、複数人で登ってロープで確保し合いながらザックを別途吊り揚げにして空身で登るのであればなんとか登れそうだったが、単独行ではほぼフリーソロ(ハーケン、カラビナ、シュリンゲなどの道具による確保なしで登ること)の状態で登らなければならないため、ただでさえ岩登りが不得手な僕にはそれは困難なため、当然のごとくそこは高巻きした。ただ、落差6~8mくらいの登りやすそうな滝であると見極められればフリーソロで直登することはよくある。

でも、よく考えると高巻きでも滝の直登よりは少しは登りやすくても基本的にはフリーソロになるので、登り方を誤ると滑落して死ぬ可能性もおおいにある。しかも今回は大きな滝だったので、高巻きもそれ以上の高さ、このときは高さで言うと30~40mを登ったため、今考えるとかなりヤバイことをしていたかも、とも思った。
一応、高巻きの登りで行き詰まったときのためにロープ(と言っても8mm×20mの簡単なやつ)はすぐに出せる、懸垂下降もできる態勢は整えていたが、それでも登るのに夢中になると確保を忘れることもあり、これもやはりマズイ。今後気を付けないと。

さらには終了点への道も間違え、一般的な遡行時間よりも30分以上無駄な登りをして、そこから北の臼杵山(824m)を越えて下山する頃には真っ暗になってヘッドライトのお世話になってしまうというオチもついた。実は朝も寝坊してしまったため、そんな時間になってしまった。元郷に下りたら、西東京バスの武蔵五日市駅行きは21時頃まで運行しているのには助かった。

まあそんなこんなでふつうの登山以上にいろいろな汗をかいた、客観的に見てもかなり冒険的な沢登りになった。ロープの出番も例年よりも多かったくらい、僕個人的には際どい箇所が目白押しのルートであった。やはり沢の単独行は良くも悪くもしびれる。

今回の僕自身の落ち度は当然反省して次に必ず生かさなければならないが、何事においてもぬるま湯的な現代でいつものお気楽尾根歩き登山よりも創造性のある、またそれ以上に「生」と「死」を否応なしに意識せざるを得ない登山もたまにやる必要があるよな、と改めて思った。
まあその理想は、最近売れまくっている服部文祥氏の『サバイバル登山家』(みすず書房刊)にあるようなもっと生々しい登山なのだが、今の僕の実力とやる気、(登山以外にも徒歩や自転車やスキーなどなんでもやりたがる)欲張りな性格ではそのレベルにはなかなか、というか一生到達しそうにないが、自分のペースで少しずつ段階を踏みながら経験を積んでいきたいとは常に考えている。
マジメに考えて改善していかないと大ケガするか死ぬかもしれないから、僕としては普段の生活のなかでもそれが(一般成人男子が特に力を注ぐ)賭けごとやクルマ・オートバイの改造や女遊び以上に超重要な課題なのだ。


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