【愛の◯◯】意識が熱い

 

東京大賞典」。本日この後大井競馬場で行われるレース。地方競馬版の有馬記念みたいな位置づけらしい。

「今日はフジテレビでも中継があるんだ。だけど、あすかさんはあんまり興味無いかな」

画面越しにそう言ってきたのは中村創介(なかむら そうすけ)さん。わたしが高校1年生の時に「スポーツ新聞部」の部長だった人。福岡県の大学に進学して、現在は九州地方のタウン雑誌などでライターとして活躍している。書く文章のテーマは多様だけど、競馬に関するものがやっぱり多いみたい。

東京に帰省した中村さんとビデオ通話しているのだ。彼とのビデオ通話も久方ぶり。

「正直言って興味はあんまり。競馬はスポーツよりもギャンブル寄りかなって」

わたしは中村さんにこう答えた。

「ま、そう思うのも致し方無いよね」

わたしの答えを承(う)けて彼はそう言うけど、

「でもさ、あすかさん。きみはスポーツ新聞社にエントリーするんだろう? しかも、ただエントリーするんじゃなくて、第1志望としてエントリーする可能性が高いわけだ」

ガサガサという音を立てて某・スポーツ新聞を持ち出してきた中村さんは、

「もし、スポーツ新聞の記者になったのなら、競馬部門に配属されるかもしれないよ。『予習』として今日の東京大賞典の中継を視てみるのもいいんじゃない?」

確かに。野球かサッカー担当がいいなぁと思ってるんだけど、思いもよらない分野を任されるかも分からない。

興味が少しだけお馬さんに向き始めたわたし、だったのであるが、

「あすかちゃんに何を吹き込んでんのよ、バカソースケ」

と、中村さんのパートナーである笹島(ささしま)マオさんが突如として画面の中に入ってきた。

中村さんとマオさんは普段はもちろん遠距離恋愛だ。中村さんの帰省はマオさんにはさぞかし嬉しいだろう。

「バカソースケ」と呼んだりとか口は悪いけど、その辛辣さもパートナーとして強く結び付いている証なんだと思う。

「ソースケの誘惑に屈しちゃダメだよ。お馬さんの勉強はスポーツ新聞社に内定もらってからでも間に合うんだし」

マオさんの正論。これ以上無いほどに正論だ。

「マオ。あすかさんへのおまえの意見は、正しい。正しいんだが……」

「え、何が言いたいってゆーのソースケ」

「おまえにそうやってカラダをガッシリと掴まれると、苦しくなってしまう」

「こ、こ、これは、自然と……わたしのカラダが、動いてっ」

なはは……。

面白カップル。

 

× × ×

 

中村さん&マオさんの面白カップルがとっても微笑ましかった。

微笑ましかったがゆえに、わたしの中に「勇気」がむくむくと盛り上がってきた。

なんの「勇気」か?

それは、「彼」に対しての、勇気。

どんな勇気かと言えば……。

 

× × ×

 

「避けていてごめんなさい。一方的に突き放してごめんなさい」

ビデオ通話を終えて自分の部屋から利比古くんの部屋に移動したわたしは、今、利比古くんに頭を下げている。

正座してキチンと謝る。クリスマスイブにおける利比古くんの不甲斐なさに怒り心頭になり過ぎたわたし。明らかに非はわたしの方にあった。

「大人気(おとなげ)なかったね」

と優しく言い、

「冷戦状態は年越しまでに終わらせなきゃだったから」

と真心を込めて言い、ジワリと彼の眼に視線を当てる。

眼と眼が合う。

彼は少し照れている。

とっても可愛げがあると思ってしまった。

正座のまま前のめりになる。可愛げのある二枚目フェイスから視線がなかなか離せなくなる。離れなくなっているんじゃない、離せなくなっている。能動的に本能的に、わたしはわたしの眼差しを彼の顔に集中させ続ける。

……やがて必然的に宿命的に、体温がぐいぐい上がってきた。

「あすかさんどうしたんですか。そんなに前傾姿勢になって、まるでぼくに釘付けみたいに……」

指摘された直後に視線を外した。火照りは収まらない。「釘付けみたいに」という彼の指摘が頭の中に留まる。

彼の膝が視界に入る。彼の方もいつの間にか正座になっていた。

マジメ過ぎる向かい合いに耐え切れず、足を崩し、腰を浮かす。

立ちながらクルリと背を向けて、

「とにかく、今この瞬間からは、これまで通り普通に接するから」

と取り繕う。

 

× × ×

 

「これまで通り普通に接するから」とわたしは言った。

だけど。

 

× × ×

 

「わたし、嘘っぱち言っちゃった。嘘っぱちを」

自分の部屋に戻った3秒後に床に向けてコトバを吐いた。

これまで通り普通に接する『ことができるわけなんてない』んだ。

分かり切ってる。それは分かり切ってる。

それに加えて確かなこと。

利比古くんに対する認識が、利比古くんへ向かう意識が、ドラスティックに変わっていっている。

どんどん変わる。感情の波立ちを最早把握できない。

意識が熱い。熱い意識がわたしの理性と別の次元で動いて蠢(うごめ)いて揺らいで暴れる。

とんでもないコトになってきちゃった。

ほとんど無意識にベッドにダイブして突っ伏していたわたしは、掛け布団におデコを擦(こす)り付けるのも上手にできなくなってしまっている。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】よりよき散文のための◯◯

 

「ねえアツマくん」

「うむ」

「今日は地の文が無くて、短めの記事になるんだけど」

「うむ」

「わたし最近考えてるのよ、こういった地の文の無い『対話型』記事の『限界』について」

「『限界』? なにそれ、おいしいの」

「ネットで流布したフレーズを軽率に使うのはやめてちょうだい」

「あ、はい」

「あなた、『約物(やくぶつ)』って知ってる? 文章の中の『……』だとか『!』だとか『?』だとか、そういうモノのことなんだけど」

「記号的なモノってことか」

「そうね。――で、ここからが大事なんだけど、会話文オンリー記事だと、約物を多用する傾向にどうしてもなっちゃうのよ。わたしもこのセリフの中で『――』って『ダッシュ』を使ってるし」

「それ、いかんのか?」

「創作文芸の世界では昔から、約物の多用・濫用は戒められてるの」

「なんで」

「時間の余裕がないから、理由はカット」

「上手く逃げたな」

「思わないの? このブログの過去記事を見ていて」

「何をだよ」

「とりわけ『……』が滅茶苦茶多用されてるじゃないの。

 2022年辺りの記事を見てみなさいよ。地の文があったとしても、『…』や『……』だらけなのよ。

 管理人さんは、このことを反省して、現在では、『地の文有り文章』の時は、『……』を極力節約するのを心がけているの。

 それと。

 このセリフもそうだけど、会話文オンリーの場合、どうしても『改行』にも頼らざるを得なくなっちゃう。

『改行』が無いと、間(ま)やリズムを上手く表現できなくなっちゃうから。

 市場に流通してる小説で、セリフの中で改行を多用してる作品は、ほとんど無いわよね。

 こういった点について、アツマくんはどう思う?」

「うむむ」

「意見をくれたら嬉しいわ」

「あのさ、愛」

「うん」

「おまえ、『……』が多用されるのはマズい的なこと、言ったけど」

「言ったわよ。言ったけど、それがなにか?」

今回の記事さ、『……』が、1回も使われてないと思うんだよ

あっ!! ホントだ!! めずらしい

 

 

 

【愛の◯◯】4時間の夢の中で……!!

 

わたしの利比古くんに対する完全無視は朝食の時点で既に始まっていた。邸(いえ)のメンバー全員がダイニングテーブルに揃う中、最も彼から遠い席を選んで朝ごはんを食べた。彼の顔にも手指にも一切眼を向けなかった。

朝食後一度だけ2階廊下で利比古くんとすれ違った。徹底的に無視したかったから、彼の逆サイドに眼を凝らしながらすれ違った。すれ違う彼の足音の響きが弱々しく感じられた。でも、そんなことを気にしたくもなかったから、いつもより大きな音を立てて自分の部屋のドアを閉じた。

悪いことに昼食も利比古くんと同じタイミングになってしまった。双方大学が冬休みだから、邸(いえ)に居る時間が多くなっているのだ。それゆえ、食事を共にするケースが増える。もちろん今日は朝食同様彼の顔が見たくない。だから、朝食同様に最も彼から遠い席を選んで座る。本日の昼食担当の流(ながる)さんがキッチンで煮込んでいるスープの湯気から最も遠い席だった。

 

× × ×

 

コミュニケーションが無いまま利比古くんはダイニング・キッチンから消えた。昼食後のダイニング・キッチンにはわたしと流さんだけが残された。

「流さん。食器はわたしが全部洗って拭いておくので」

椅子から立ち上がり、キッチンのシンクに近付いていった。流さんに背を向けて水を流し始めた。

「あすかちゃん」

呼ばれた。食器を洗い始めた手指以上に背筋が冷たくなった。

「きみ、利比古くんのこと避けてるよね。朝の段階から」

必要以上にスポンジを泡立てるわたしに、

「このままで、いいのかなあ」

という声が刺さる。

「そりゃまあ、こういう事象は、過去にしばしばあったんだけども」

『事象』なんてコトバ使わないでくださいよ。

『しばしばあったんだけども』って言い回しも回りくど過ぎ。

「ケンカになった原因は訊かないよ。そっとしておく」

イライラしながら流さんの声に耐える。

だけど、

「ぼくは邸(ここ)では2番目に年長なんだから。そういう立場から、きみと利比古くんの2人に配慮する」

と言う声が耳に響いたから、洗っていた2本のスプーンを流しに叩きつけたくなってしまう。

 

× × ×

 

『ほのかさん』と呼べない利比古くんが全部悪いんだ。

クリスマスイブデート。川又ほのかちゃんに『下の名前では呼んでくれないの?』と迫られた。『川又さん』ではなく『ほのかさん』と呼んであげるべきだったのに、彼は結局呼べなかった。

『ほのかさん』と呼べないから、通じ合えない。通じ合えないから、イブの夜が無惨に終わる。無惨に終わったから、ギクシャクする。

「越年(えつねん)交渉」というコトバがある。このままだと、ほのかちゃんと利比古くんのカップルの『契約更改』は、年を越してしまう。

なるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

『ほのかさん』呼びができなかったと利比古くんに報告された瞬間から怒り心頭だったから、その場で『放って置こう』と決めた。

 

「それにしても、ほのかちゃんが可哀想。傷つくのは、ほのかちゃんばっかり。傷つけるのは、利比古くんばっかり」

自分の部屋のベッド側面に背中を引っ付けて床座りのわたしは、最愛のゆるキャラ『ホエール君』のぬいぐるみに視線を落として呟いた。

徹頭徹尾無視すると決めていた。完全なる無視(シカト)の方が、叩いたり蹴ったりするよりも、ダメージが巨大になるはずだから。

「……だけど」

流さん特製のスープを2回おかわりしたからだろうか、眠気に苛(さいな)まれながら、

「やっぱり……きちんと……彼に……怒る方が……ベター、なのかな」

と、抱きかかえているホエール君に言う。

「ベストでは……ないにしても……ベター、だよね……」

 

× × ×

 

気付いたら4時間に渡って眠っていた。

 

× × ×

 

4時間の昼寝は長い。

たかだか4時間なのだから許容範囲、とは、言える。

ただし。

4時間の昼寝を受け容(い)れられるのは、

『夢の中にわたしがよく知っている人物が出なかった

場合だ。

今回は、違った。

『夢の中にわたしがよく知っている人物が出た』。

不幸にも、不都合にも、『出た』パターンだったのだ。

 

よく知っている人物の中の誰かが、夢に出た。

誰が?

 

……声に出したくもないし、文字にもしたくない……。

 

落ち着き方を見失ったまま手鏡を乱暴に掴む。

昼寝直後の寝グセが目立つ。

でも、そんなことよりも。

なんといっても。

恥ずかし過ぎるけれど。

誇れない顔面偏差値のわたしの顔面が……余す所なく、真っ赤に、染まっていて。

 

 

 

【愛の◯◯】引きずって、詰められて……

 

ドアをノックする音がした。あすかさんがノックする音であるのは明らかだった。4年以上も一緒に暮らしているのだから、彼女のノック音だと容易に判ってしまうのだ。

穏やかではない感覚がやって来る。嫌な感じというよりは不穏さである。昨日すなわち12月25日から、あすかさんのぼくを見る眼つきが厳しくなっている。4年以上も一緒に暮らしているのだから、「厳しくなっている」と断言できる。そして、厳しくなったのが「12月25日」であると、容易に特定できてしまう。

覚悟しながら椅子から立ち上がった。覚悟しながらドアに歩み寄った。

 

× × ×

 

部屋に入れるのを拒むと一層厄介なことになると思った。不穏な空気が年を越すのは避けたかった。

 

あすかさんは部屋に入るなり丸テーブルの手前に腰を下ろした。正座に近いような床座りで、右腕で丸テーブルに頬杖をつく。

睨むような眼つきに近い眼つきだ。ぼくは圧迫感を覚える。就職面接とか経験したことはないけど、学生を圧迫したい気で満々な面接官のような……そんな眼つきだと思った。

「ねえ。椅子から降りてくれない?」

あすかさんが要求した。

素直に椅子から腰を上げ始めるぼくに、

「向かい合って話したいんだよ」

とあすかさんのシリアスな声。

 

× × ×

 

「ほのかちゃんとギクシャクしたでしょ」

彼女は最初から核心を突いてきた。

痛烈過ぎて胃が震える。僅(わず)かながら目眩(めまい)もしてくる。

「分かるんだよ」

いつの間にか腕組みしている彼女は、

「分かるの。クリスマスイブに何があったのか、ほのかちゃんに直接訊かなくても。昨日ほのかちゃんとLINEで軽くやり取りしたんだけど、彼女のLINEの『文体』で、わたしは確信した」

畳みかけるように、

「利比古くんにしたって、昨日の朝から明らかな異変が感じられたし。動作もコトバも全部ぎこちないし。隠し通せる方が無理だよ」

それから、鋭い眼つきで、

「まさか、隠し通せるとでも思ったりしてた?」

と言い、視線の刃(やいば)をぼくの胸元に突きつけてくる。

吐き出すしかなかったから、

「近い内に気付かれるとは、思ってました」

と答える。

あすかさんを上手に見ることができない。

視線は、下向きに逸れるのではなく、上向きに逸れる。彼女の頭頂部の上の辺りに。

「不誠実」

あすかさんは厳しく言い、

「ハッキリしない受け答えだし、わたしの眼を見てくれてないし」

ぼくは、チカラを振り絞り、彼女の眼に眼を寄せようとするが、

「クリスマスイブのデートの時に何があったのか教えてくれるまで、わたしこの部屋出ないよ」

と詰められてしまう。

 

× × ×

 

それからかなりの沈黙が続いた。

不甲斐ないぼくは、なかなか言い出せない。厳しいあすかさんは、丸テーブルを右人差し指で既に100回以上は連打しているだろう。

覚悟に覚悟を重ね、

「夕食を終えるまでは、良かったんです」

と口を開く。

「……お酒、飲んだの?」とあすかさん。

「いいえ」とぼく。

「じゃあ、アルコールに慣れてない利比古くんが『あられもない』姿を見せたとかではないんだね」

「『あられもない』とか……言わないでください」

「わたしのコトバづかいにイチャモン付けるのは禁止」

俯くぼくに、

「夕ごはん食べた後に、何をしたの」

「近くにあった公園に……。イルミネーションが綺麗だったので」

「あなた達2人って、よく公園に行くよね」

「……否定はしません」

「それで? ほのかちゃんが嫌がるような行為をしちゃったの??」

「あ、あすかさんっ」

「なに。ブンブン首を振りまくる理由、分かんない」

「彼女に、嫌らしい行為は、していませんっ。神に、誓ってっ」

「あいにくわたしは無信仰だから、神に誓ってもどーにもなんないけど」

「……ぼくは、少しなら、神の存在、信じてます」

言う必要のないコトまで言ってしまっている……。

川又ほのかさんと如何(いか)にすれ違ってしまったのかという本題から、逸れていってしまいそうになっている……。

あすかさんをいつまでもぼくの部屋に居させるわけにはいかないので。

背筋を正し、一生懸命深呼吸をして。

「彼女が……川又さんが……言ったんです、公園のイルミネーションの中で」

「なんて言ったのかなあ?」

厳しく問うあすかさんの声に耐え、

「『あなたはわたしのこと、ずーっと『川又さん』って苗字で呼んでるけど、『名前』で呼ぶ気はないの? 長い付き合いなんだし、『ほのかさん』って呼んでくれた方が、嬉しいんだけどなー』、と……」

「そ・れ・で」

前のめりになったあすかさんが、

「呼んであげたの!? あげなかったの!?」

「……」

行き詰まるぼく。

沈黙のぼく。

あの公園での『失敗』を引きずりまくりなぼくに、容赦なく、

「『結果』は、もう、火を見るより明らかだけどさぁ……!!」

 

 

 

【愛の◯◯】いろいろなクリスマスの場面

 

野菜の下ごしらえを終えたところでアツマくんが帰ってきた。

玄関に行ってアツマくんと向き合う。後ろ手に、彼の顔を覗き込むようにして、

「お風呂がいい? それとも、メリークリスマスがいい?」

「なんやねん、その2択は」

「ダメよ、自分勝手な関西弁のモノマネは」

「……ふんっ」

「可愛いスネ方をするのねえ」

「うるさい」

「あ、もしかしたら」

わたしはイジワルに、

「お風呂でもメリークリスマスでもなくて、もっと望んでるモノがあったりした?」

「……」

コドモみたいにアツマくんは沈黙。

彼の腕を引く以外の選択肢が存在しなくなる。

だから、右手で彼の左腕を引いて、それからそれから……。

 

× × ×

 

白ワインをとくとくとグラスに注ぐ。

「赤ワインでなくて白ワインなんか」とアツマくん。

「そういう気分なのよ」とわたし。

「そういう気分って、どういう気分?」

問いに答える気などあるはずも無く、彼のグラスにも白ワインを注ぐ。

「早くお料理食べましょーよ。あなたお腹空いてるでしょ」

「食べる前に乾杯じゃないのか」

「アッそーだった」

わたしはすぐに白ワインの入ったグラスを掲げる。アツマくんも同様にする。

「アツマくんがほんとーにお仕事ご苦労様なので、乾杯」

「おまえだってご苦労様だろ。いろいろ頑張ってくれてるんだから」

「あなたも早く『乾杯』って言ってよぉ」

「わーったよ」

わたしのグラスに自分のグラスを当てつつ、

「乾杯!」

と言うアツマくんが、何だか微笑ましかった。

 

惣菜類は1つもない。全部わたしの手作り。

「フライドチキンはないけど、唐揚げはあるのよ。あなたは唐揚げの方が好きでしょ?」

「まあ、好物の1つであるとは言える」

「わたしが揚げた唐揚げなんだから『大好物』よね」

「……うむ」

アツマくんは唐揚げを箸で挟み、口に持って行ってガブリ、と食べる。

食べる様子を微笑ましく眺めながら、期待を込めて、

食レポをお願いしたいわ」

やや戸惑いながらも、白ワインを飲んでから、彼は、

「柔らか過ぎることもなく、硬過ぎることもなく、理想の仕上がり具合だった。とってもジューシーだったし、ここ3ヶ月のおまえの唐揚げでは1番の出来だった」

あらぁ~~。

「嬉しいこと言ってくれるわねぇ。白ワインもっと注いであげる」

「飲み過ぎると明日に響くんだが……」

「響いてもいいじゃないの♫」

「出た、おまえの悪い性格。クリスマスでも変わりがない」

しなやかにアツマくんをスルーして、

「野菜も食べましょうね~~」

と、野菜料理の類(たぐい)を彼の皿に次々と乗っける。

 

× × ×

 

「食後のコーヒーは飲まんくてもいいんか?」

「いいの」

「なんで」

「コーヒー飲むよりも優先させたいことがあるから」

「あー」

カーペットに腰を下ろし、丸テーブルを挟んでわたしと向かい合っているアツマくんが、

「クリスマスプレゼント交換大会ですか」

わたしは吹き出しそうになり、

「大会って何よ、大会って」

「交換するのならさっさと交換しよーぜ?」

「ねえ、そもそもプレゼントを『交換』するって言っていいものなのかしら。所有物というよりは、贈りたい物を贈り合うわけでしょう? 日本語って難しいわよね」

「……『交換』が適切でないのなら、どんな日本語を当てはめればいいんだ」

「そこが分からないのよねえ」

「お、おまえ、得意科目が国語だっただろが」

わたしはどこからともなく大きな袋を持ってきて、丸テーブルの上にデーンと置いた。

「わたしからあなたへ、この大量のプレゼントを」

「クリスマスなのに青色の袋……ということは」

「ネタバレしちゃうけど、全部横浜DeNAベイスターズ関連グッズよ」

若干呆れ顔のアツマくん。良くないわね。

「来年から、5年連続リーグ優勝かつ日本一は確定的なんだから」

そう言って、青い袋を彼の手元まで押し進めて、

三浦大輔野球殿堂入りも確定路線だし」

「いや、それは流石に気が早過ぎるだろ」

「はやくない」

「……おれが、プレゼントとして、おまえのために用意しておいたのは」

「ちょっと待って」

「え?」

ニコニコニッコリと、天使のような笑顔を作り上げることに努めて、

「来年は今年の2倍、ハマスタに行こうね、アツマくん☆」

「うぐぐ」

「たとえベイスターズが惨敗したとしても、あなたと一緒なら帰り道も悲しくないわ」

青い袋に眼を落としながらも、愛すべき彼は、

「わかったよ。できるだけ、おまえにつきあってやる」

やったあ。

今日の目的が9割方達成されたようなものだわ。

「おれのプレゼントの番だぞ」

愛するアツマくんが、赤と緑の包装のプレゼントを丸テーブルのど真ん中に置いた。

「これって、本?」

「ああ、そーだ。おまえがずっと欲しがってた本だから」

「開けてみてもいい?」

「いいぞ」

中身は、かなりマイナーな出版社の文芸書。

「よくこれが手に入ったわね」

「大きな書店を何軒か渡り歩いて、ようやく手に入れた」

「ネット通販って選択肢は無かったの?」

そう言うと、彼は照れ気味に、

リアル書店を渡り歩いて探すのに……意味があるんだろ」

「わぁ。うれしい」

「うれしいか?」

「うれしいわよ」

プレゼント本を胸に抱きながら、わたしは、

「この本は明日中に読破するわ。ありがとう、アツマくん」

 

× × ×

 

双方ともソファに移動した。

わたしはアツマくんの左肩に右肩をすり寄せ、

「さっきはあなたからのプレゼントの本を抱き締めたけど。本を抱き締めるだけじゃ、満足できないの」

アツマくんの喉がゴクン、と鳴った。

大げさ。

だけど、そんな大げさなところも、好き。

だから、

「どのタイミングで、わたしに抱き締めてほしい?」

「た、タイミングって。難しいんですけど、愛さん……」

どうして敬語になるのかしら。でも、確かに難しい要求だったかもしれないわね。

それなら、

「わたしが合図をするから、その時に抱き締めてよ」

「合図……か。できれば、おれのココロの準備ができてから、合図してほしいな」

「そんなフヌケたこと言うのなら、今すぐに抱きついちゃうわよ?」

「!?」

「飛び退(の)かないでよ~~」

 

 

 

【愛の◯◯】つま先を見つめ続けるクリスマスイブ

 

自分のつま先をずっと見続けている。ベッドに座り込んだまま動けない。今日起こったこと、今日見てしまったものを受け入れられないでいる。

現実を拒み続けていたら夜になった。階下(した)ではクリスマスパーティーが繰り広げられ始めていることだろう。ごちそうが食卓に並んでいることだろう。白くて丸くて大きなクリスマスケーキも用意されていることだろう。

 

× × ×

 

母がわたしの部屋にわたしを呼びに来たのは30分前だった。わたしがドアを開けようとしなかったから、母の方から開けてきた。

『どうしたの?』

ベッドに座り込むわたしの姿を見て、母が訊いてきた。

『どうもしてないっ』

そう言うと同時に、母とは反対方向にうつ伏せに倒れ込んでしまった。

ベッドに這いつくばるわたしに向かって母が何度か声をかけた。わたしはその全てに不誠実な応答をしてしまった。

『モネ』

わたしの名前を優しく呼んだ母が、

『ごはん食べないと、元気出ないよ?』

とたしなめた。

 

とうとう諦めて、母は部屋のドアを閉じた。

【何があったかは知らないけど】

とは言われなかったのが救いだった。

そういう配慮は嬉しかった。でも、嬉しいのと同じぐらいに歯がゆかった。

 

× × ×

 

わたしの誘いを断った勘一郎がどこで何をしているのか気になった。

気になるキモチが膨らみ続けて抑えきれず、できるだけ目立たない服装をしてクリスマスイブの朝の家を出た。

ハッキリ言ってわたしはストーカーと同じだった。勘一郎が行きそうな場所に行き、勘一郎を探す……。幼馴染だったから、あいつが行きそうな場所は絞り込めた。クリスマスイブだったから、より一層絞り込めた。

公共交通機関を乗ったり降りたりして、5つ目の『候補地』に来た時だった。

注意深く道を歩いていたら、冬木立(ふゆこだち)の向こうに幼馴染の18歳の男子らしき姿を発見したのだ。

その瞬間からわたしは30分間、0.01ミリも動けなかった。

なぜか……?

わたしと違って短髪の女の子が、わたしと違って平均身長の女の子が、勘一郎の横に寄り添っていたから。

 

× × ×

 

その娘(こ)が割りと可愛い子なのは疑いようがなかった。

 

『勘一郎って……あんな顔立ちの子が好みなんだ』

弱々しく家に帰ってきてから、このコトバを胸の奥で1000回以上呟いた。

 

× × ×

 

依然として階下はクリパで騒がしいことだろう。

「わたしの背が高過ぎるのがいけないのかな。わたしの脚が長過ぎるのがいけないのかな」

つま先を見つめ続けるがあまり、こんなどうしようもないヒトリゴトを言ってしまった。

背が高いっていっても……166センチだし。勘一郎よりは低いよ。

それから……脚は、短いよりは、長い方がいいよね、ゼッタイ。

『……だったら、わたしの何が良くないって言うの』

そんなコトバが口から出る寸前だった。

慌てて首をブンブンブンブンと振りまくった。答えの出ない問いに落ち込みたくなかった。……もはや、落ち込んでいるも同然だけど。

秋本モネという人間史上最高にラチのあかない状態。

打開策としては、例えば、例えば……服を着替えてみるとか。イヤな思いの染み付いた服を脱いで、新しい服を着てみる。それも1つの策かもしれない。

徐々にカラダにチカラを入れていき、ベッドから立ち上がろうとしてみる。

しかし、このタイミングで、枕元に置いていたスマートフォンが派手に振動。

枕元に飛びつくようにしてスマホを掴む。

『中川 紅葉』

放送部の同期の紅葉(もみじ)からの着信だった。

イヤなコトになる予感しかしない。

短時間で通話を終えたいキモチでいっぱいだった。

余分なチカラを込めに込めて受話器マークボタンをフリックする。

その1秒後には、

『メリークリスマス!!』

という紅葉の陽気な声が、わたしの両耳に突き刺さってきて……。

何も言えない。

何も言えなくて、それで、ベッド上でなぜか正座になって、カラダを小さくして……。

「えっ、どーしたモネ、まさか、メリークリスマスな気分じゃなかったり? サンタクロースさんに裏切られでもしたか」

紅葉の声は、軽い。

重々しいモノを背負ったわたしは、

「……バカっ」

と、情けないヒトコトを、ベッドの掛け布団の上にこぼす。

紅葉に、わたしの「バカっ」が聴こえたかどうかは、分からない。

 

 

 

 

【愛の◯◯】幼馴染の男子が、煮え切らない

 

先週金曜の『KHK紅白歌合戦』の画像を見尽くして、スマートフォンを置く。ベッド上に仰向けに寝転んだまま、『KHK紅白』の余韻を味わい続ける。

みんな輝いてたな。出演する方も、観る方も。

だけど何といっても、いちばん輝いていたのは、KHKのタカムラかなえちゃんだった。

まだ1年生なのに、あんな大イベントを主導して、成功させちゃうんだもんね。1年生の時のわたしより100倍行動力があるよ。

3年生だけど、1年生に負けてる。

少しだけ、悔しいな。

『……3年生といっても、卒業間近だし、できるコトは限られるんだけどね』

天井に向かってココロの中だけで呟く。

12月も終わりかけているし、大学受験シーズンが迫りまくっている。

わたしの志望大学は、文字数などの理由で伏せておく。

1月の共通試験は是非とも受けねばならない……とだけは記しておく。

いちばん大事な試験が来月なのだから、一刻も早くベッドから起き上がって勉強机に向かうべきではある。

だけど、瞬時にベッドから起き上がれるはずもなく。

ベッドの掛け布団が気持ち良過ぎるのがいけないんだよ。……そういう風に、ベッドに責任を転嫁する。

 

× × ×

 

ようやく起き上がってゆるゆると受験勉強をしているんだけど、どうもソワソワして仕方がない。

なぜか。

『あいつ』に電話をかける時間帯をまだ決めていないからだ。

今日電話しなきゃいけない。日が暮れるまでに電話しなきゃいけない。

分かっていても、決められない。

自分にイライラして、右足で床を数回叩く。

ついにシャープペンを放り投げてしまう。

 

× × ×

 

再びベッド上に仰向けになる。眼を閉じる。息を吸い込んで吐く。スマートフォンを持ち上げる。電話帳をスクロールする。

ためらっちゃダメだと思い、勇気を出して受話器マークのボタンを押す。

「もしもし?」

という男子の声が聞こえてくる。嬉しくなって、ホッとする。

ココロが満たされたから、カラダがほぐれる。ほぐれたカラダを横向きにして、スマホを間近に置いて、

「勘一郎(かんいちろう)、今はヒマ?」

と問いかける。

「モネこそ、どーなんだよ」

わたしの幼馴染の勘一郎から問い返される。

「1日フリーだよ。デートしてくれる男の子も女の子も居ない」

「おまえらしい答え方だなあ」

でしょ?

「ねーねー、勘一郎」

スマホにカラダを寄せて、

「明日、どーゆー日なのか、もちろん知ってるよね」

と言う。

言った直後から、胸が高鳴ってしまう。

言ったのは、触れたのは、自分なんだから、この胸の高鳴りも受け入れるしかない。

「わたし、明日の予定、『真っ白』なんだけど……」

胸の高鳴りをさとられないように、いつもの喋り方と同じ喋り方になるように努力して、予定の空白を勘一郎に伝える。

無音になった。

勘一郎からの返事が来ない。

わたしの中に焦りのようなモノがジワジワと拡がる。

勘一郎が何か言ってくる気配が無い。

わたしの中にあった期待が萎(しぼ)んでいき、枯れていき、黒ずんだ不安に変わっていく。

なんで。

どうして。

なんで。

どうして。

「……勘一郎? 聴いてる? 聴こえてる?」

チカラを振り絞って声を出した。

収まらない不安。悪い意味で速くなっていく胸の鼓動。

……数十秒後、

「悪い、モネ、ほんとに、悪い」

という、勘一郎のチカラの無い声が返ってきた。

「悪いって……何が?」

耳に響く鼓動音に懸命に耐えながら、わたしは、

「わたしの予定は『真っ白』だけど、勘一郎の予定は『真っ黒』だっていうの」

と、ギザギザした声を出す。

「……上手い言い方するな、おまえ」

幼馴染の煮え切らない声が返ってきた。

過敏に反応してしまって、

「は、ハッキリ言ってよ!? 明日の予定が埋まってるのなら、埋まってるって」

と叫び声同然の声を出してしまう。

無音がまた訪れた。

わたしも勘一郎も両方追い込まれている。明らかにそんな状況。

縮こまりながら、スマホから声が聞こえてくるのを待った。

でも、いつまでも何の音もしなかった。

恐る恐る、

「……わたしに会えない理由でもあるの。もしかしたら、『会えない』じゃなくて『会いたくない』なの」

と訊いてみる。

少しの間(ま)の後で、

「『会いたくない』とは、ちょい、違う」

と、勘一郎から、煮え切らない声。

「どうしちゃったの。どうしちゃったの、ねえ。今の勘一郎、勘一郎じゃないみたいだよ。肝心なコトをいつまでも伝えてくれないし」

気付いたら、眼を閉じながら、言っていた。

口から出た声に悲しみの色が濃く混じっていた。

泥沼に沈み込んでいる、わたしも、勘一郎も。

段々と、這い上がれる気が、しなくなってくる。

誰も助けてくれるわけがない。

 

 

 

 

【愛の◯◯】小さな長方形のカードのクリスマスプレゼント

 

葉山先輩がスポーツ新聞を読み耽っている。競馬面を読み耽っているとしか思えない。

『こんなに綺麗な手つきでスポーツ新聞を持つ人もなかなかいないわよね……』と感嘆していたら、

「戸部くん」

と、葉山先輩が、彼女の向かいのソファにだらしなく座っているアツマくんに呼びかけて、

「わたしには特技があるの」

「なんじゃいな。どうせロクでもない特技なんだろ」

浅はかにも「ロクでもない」特技だと決めつけるアツマくんを意に介さず、

「過去40年の有馬記念の優勝馬を暗唱できるのよ」

と自らの特技を明かす。

「わぁ〜、センパイは流石ですねえ!!」

わたしのソファの左斜め前に葉山先輩、右斜め前に冴えないアツマくん。

わたしは左斜め前の葉山先輩に向かって前のめりになり、彼女の特技を褒めたてる。

しかし、

「そんなことインプットしていていったい何の得があるのか」

とアツマくんが空気を破壊しようとしてくる……。

最高に面倒くさそうな態度。許されるとでも思ってるの!?

「損得とかじゃないのよっ」

反発するセンパイも不満げだ。

「1990年の有馬記念の勝ち馬を知らない競馬ファンなんて、本当の競馬ファンとは言えないし」とセンパイ。

「おれは競馬ファンじゃないから知らなくても大丈夫だな」とアツマくん。

「ダメよ。今ここで知って」

愚かなアツマくんに厳しい葉山先輩はやはり流石だと思う。

センパイはアツマくんにまっすぐ視線を差し込みながら、

オグリキャップ。90年有馬記念の勝ち馬は、オグリキャップ

「ふーん」

如何にも興味無さげにアツマくんはテーブルに置かれた煎餅(せんべい)に手を伸ばそうとした。

わたしは瞬時に傍らにあった昨日の日付の某一般紙を彼に投げつけた。

 

× × ×

 

「これだから愛は……。物を投げつける悪い癖(クセ)は絶対に直した方がいいと思うぞ」

「イヤよ」

「イヤって。おまえなー」

コトバの代わりにプイッと眼を逸らす。葉山先輩の方に眼を凝らす。センパイはいったんスポーツ紙を置く。

「あなた達は今日も仲良しさんね」

え……。

まさかの「仲良し」認定。

わたしと彼のやり取りが夫婦(めおと)漫才的に思われてる……?

「どーしてあなたが戸惑うのよ、羽田さん」

呆れ気味なセンパイの苦笑。

「あなた達のやり取りがホントに微笑ましいから」

そう言ったかと思うとセンパイはハンドバッグの中を手探りして、

「ひと足早いクリスマスプレゼントをあげるわ」

「クリスマスプレゼントって。葉山、おまえはまさか」

なぜかアツマくんが過敏に反応。眼を向けると彼は完全に前のめり状態だった。

「戸部くんらしからぬ直感の冴え具合ね」

「今日は有馬記念当日。ゆえに、事前に購入した馬券をおれ達にプレゼント……」

センパイは100パーセントの笑顔で、

「嬉しいわ。珍しく直感が冴え渡っていて」

それから彼の手元に長方形の小さなカードのようなモノを差し出すセンパイ。JRA勝馬投票券である。

「……これ、万が一的中したらどーすんの?」

「払い戻しに行くのよ。競馬場かWINSに。邸(ここ)は東京競馬場が近いけど……あなたと羽田さんのマンションからだと、最寄りのWINSは何処(どこ)だったかしらね??」

「たぶんWINS後楽園だったと思います。読売の本拠地に隣接してるからあんまり行きたくないけど」とわたし。

「なんでおまえがそんなこと知っとるんや」とアツマくん。どうしてエセ関西弁を使い始めるの?

「後楽園は気が進まないのね。だったら、汐留はどうかしら?」とセンパイ。

「汐留にキレイなWINSがあるのも知ってます。でも、汐留にしても、日テレの本拠地だし……」

「アホか。日テレまで敵視する必要ねーだろ。憎むのは読売巨人軍だけにしておけよ」

「それもそうね」

素直さを発揮してわたしは、

「なら、来週は汐留デートね。センパイからのプレゼント馬券は絶対当たるんだし」

「『絶対』とか、おまえ……。どこまで葉山を過信しとるねんな」

だからなんなのよ、そのヘンテコ関西弁は。

自覚のないままに関西弁の真似事してるのね。

暖房のよく効いてるリビングなのに、両方の二の腕あたりが冷え冷えとしてきたわ。

お願いだからわたしを冷やさないで。不甲斐ない彼氏であり続けないで。

……彼氏への不満を胸中(きょうちゅう)に炸裂させているわたしであったのだが、左斜め前の葉山先輩がすこぶる楽しそうに笑い声を出したのを見て、困惑し始めてしまう。

「センパイ……。どうしてそんなに愉快げに」

「だってだって、今の恋人同士のやり取り、誰がどう見たって面白過ぎるんだもの」

「こ、根拠」

「あるわけないでしょ、そんなの☆」

「こ、こ、困りますよセンパイっ!!」

「あなたの右拳の握り締め方に困惑の色がよく表れてるわね」

「こ、根拠……」

握り締めた右拳が解(ほど)けなくなるぐらい困ってしまうわたし。

アツマくんが見かねたように、

「堂々巡りみたいになりかけてんぞ、おまえら。こんな茶番を繰り返してたら、有馬記念がゴールしちまうぜ」

「わたし、茶番を演じてるつもりなんか……」

弱々しい声しか出せないわたしを一瞥(いちべつ)したかと思うと、アツマくんはいきなり立ち上がった。

それからわたしを見下ろしてきた。

わたしの弱い胸がキュッと締め付けられていってしまう。

……だけど、すぐに、頭頂部にアツマくんの右手の感触。

意外なほど優しくわたしの頭をナデナデしてきてくれる。

わたしに優しくしてくれながら、

「プレゼント、貰ったんなら、お返しだ」

と言い、

「葉山。おまえへの『お返し』は、おまえの大好物のクリームソーダで良かったよな?」