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2007年8月17日のブックマーク (6件)

  • 男化するweb世界 - G★RDIAS

    ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) 作者: 梅田望夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/02/07メディア: 新書購入: 61人 クリック: 996回この商品を含むブログ (2353件) を見る kanjinaiさんも紹介していた、梅田望夫「ウェブ進化論」を読んだ。これから先、もっとwebによって社会変革が起きていくらしい。と、どうも他人事で読んでしまった。 私はこっちの記事のほうが、肌身感覚にはあっている。 べつに「はてな」に限らず、個人的には「ブログ」というツール(ネットの遊び場)に手詰まり感を感じているわけです。自己表現として何かを世の中に出したいと思っている人間より、仲間と楽しく特定のサービスを使いたいと思っている人間のほうが圧倒的に多いわけで、そういう人はケータイ・コミュニケーションとかmixi(18歳以上)に行っている、ということでしょう。

    男化するweb世界 - G★RDIAS
  • 半径5メートル、高さ5フィート、秒速5センチメートル - REV's blog

    顕微鏡の視点では、人間なんて炭素と水素と酸素と窒素のかたまりだし*1、人工衛星からみれば、人間なんて写真のシミだ*2。時速300キロメートルでは、あらゆるものがあっというまに後方へ流れていく*3。 極端な視点からみれば、極端な価値判断が可能になる。現実的な視点と関連付けることなく、極端な視点から、○○は□□に過ぎない、と嘯くと楽しいよ。 *1:注 光学顕微鏡ではそんなの見えません *2:注 最新のなら見えるかも *3:悩みなんかも流れていく。ブレーキを踏むと戻ってくるのが欠点

    半径5メートル、高さ5フィート、秒速5センチメートル - REV's blog
  • アイドルはオタクなのサブカルなの - 死に忘れましたわ

    以下は2007年8月14日に某所で開催された 「ダブルユーのおそうしき(第1回モーニング娘。学会)」において この日記を書いている中の人が行なった独演妄想話に使われた資料を元にしたものである。 「モーニング娘。学会」と聞いたとき「キモイ」「アホくさ」と思った。 受け付けで「モーニング娘。学会の方ですか?」と言われたので 慌てて「違います」と反応してしまった。 「ただのオフ会ちゃんかボケ」 だが、違った。はっきりと断言できる。これはオフ会ではない。 否、8時間も抽象的な議論を展開することがオフ会であるというのなら オフ会と言ってもよいのだが、どうもしっくりこない。 あぁ、マジで学会だったのね。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 結論: 「アイドルオタクかサブカルか」という問い自体が無意味である。 裏キッカケ: はてなダイアリーにおいて、アニメ・マンガに関

    アイドルはオタクなのサブカルなの - 死に忘れましたわ
    yomayoma
    yomayoma 2007/08/17
    「アイドル」を語ることの可能。→「物語る」ことの可能
  • アイドルはひとつの運動である―ニコニコ動画のPerfumeサマソニ音源によせて - ニート☆ポップ教NEO

    僕はこれからアイドルを語る上での危険領域に踏み込むかもしれない。 それにしても最近の僕はなんでこんなにも「アイドル」について書いているのか。自分にもよくわからない。中学高校のときは横浜アリーナ、埼玉スーパーアリーナなどを「モー娘。」のためにはしごする友人たちを単に見守っているだけの人間だったはずなのに。読者も困惑するかもしれない。ちょっと前は「東浩紀×萱野稔人」とか現代思想について書いていたはずなのに。 とにかく暑くて意識がもうろうとしている。朝から色んなことにいらだっている。 暑さだけでなく昨日よく眠れてないなどの個人的な事情もいくつかあるが*1、先日の「第1回モーニング娘。学会」がまだ自分のなかで咀嚼しきれてなくて、頭の中が溶けてグルグル回っている気分だ。 http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20070816/1187228591 休憩室@モーニング娘

    アイドルはひとつの運動である―ニコニコ動画のPerfumeサマソニ音源によせて - ニート☆ポップ教NEO
    yomayoma
    yomayoma 2007/08/17
    アイドルヲタクがアイドルを語ることの可能。⇔サブカルの語り。「その対象への不可能な「愛」」
  • 音楽作品の存在論のための音楽の存在形態の分類をどうするかに関するメモ - 死に舞

    というか単に英語に比べて、日語の音楽に関する語彙の貧弱さをどうにかするために、なんとか自分なりにまとめてみる。 とりあえず理念的な意味での現代の音楽の存在形態として 作曲(composition)-演奏解釈(interpretation)-上演(performance)-録音(recording)-再生(playing) というのが考えられる。 基的に原初形態の音楽はこれらすべて同時に行われたと考えられる(もちろん録音という概念はなかっただろうが)。 ライブの音楽の場合は、最終的な存在形態が上演のレベルで終わる。そのときperformer=playerだ。 実際に、これらすべての過程を明示的に分離して述べられるのは、クラシックのCDの個人での聴取とかの場合くらいであろう。それぞれの存在形態とそれを生み出す媒介者を挙げると。 楽譜・作曲家(composition)-指揮・指揮者(inte

    音楽作品の存在論のための音楽の存在形態の分類をどうするかに関するメモ - 死に舞
  • Th.W.アドルノ『新音楽の哲学』 - sekibang 1.0

    音楽の哲学 作者: Th.W.アドルノ,Theodor Wiesengrund Adorno,龍村あや子出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2007/07/01メディア: 単行 クリック: 10回この商品を含むブログ (16件) を見る 読み終えたので、改めての紹介から。1949年に発表されたこの『新音楽の哲学』は、アーノルト・シェーンベルクとイーゴリ・ストラヴィンスキーという20世紀を代表する二人の作曲家を鮮やかに対比し、二人の音楽を媒介とすることによって、社会学・哲学・心理学……etcを語ろうという音楽論である。タイトルに用いられている「新音楽」という言葉、こちらはドイツ語では「neuen Musik」となっており「現代音楽」という風にも訳せる(そして、日語の音楽的なタームとしての「現代音楽」と「neuen Musik」とでは意味的にも一致する。またその意味の曖昧さにおいても)

    Th.W.アドルノ『新音楽の哲学』 - sekibang 1.0