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2017年12月8日のブックマーク (4件)

  • ウチの夫婦、互いに恋人OKで合意しました

    更新日 2017年12月8日 投稿日 2017年12月7日 著者 大塚 あやこ カテゴリー なぜ不自由で苦しいのか カテゴリー インディゴチルドレン カテゴリー 哲学のようなもの カテゴリー 家族・親子関係 カテゴリー 恋愛・夫婦・パートナーシップ 夫に彼女ができまして 今年の8月、お互い再婚同士、結婚7年めの我々夫婦の間で、新鮮な話題が持ち上がりました。 ポリアモリー。 つまり、婚姻関係あるなし関係なく、複数の人とお互い合意の上親密なおつきあいをすること。最近急速に広まってきている概念です。 従来のいわゆる、コソコソ内緒にしてする浮気不倫とは違って、関係者全員オープンな合意があることが特徴とされています。 この言葉をはじめに知って夫に説明したのは私ですが、ちょうどそのころ彼も、彼女ができるとかできたとか・・・どっちだったか忘れたけどそういう時期にあったようで、話は一気に盛り上がりました

    ウチの夫婦、互いに恋人OKで合意しました
    wuzuki
    wuzuki 2017/12/08
  • 宮司職をめぐり弟と確執 「生き地獄に落ちた人達」殺された女性宮司がブログに綴っていた差別とトラブル | AERA dot. (アエラドット)

    事件から一夜明けた富岡八幡宮の境内=8日午前7時32分、東京都江東区富岡1丁目、柴田悠貴撮影 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 富岡長子さん(2012年8月)  (c)朝日新聞社 1991年、「神輿(みこし)納受式」で馬に乗る富岡茂永容疑者=富岡八幡宮のパンフレットから 江戸最大の八幡さまで、何があったのか──。東京都江東区の富岡八幡宮の敷地内で男女4人が死傷した事件から一夜明けた8日朝、事件現場の近くに住む住民たちには「まさかこんなことが起きるとは」と驚きが広がっていた。 【写真】殺害された富岡長子さんと弟の茂永容疑者 事件が起きたのは7日午後8時過ぎ。「刀を持って暴れている」との通報があった。現場付近では4人の男女が頭や腹から血を流して倒れており、3人の死亡が確認された。 殺害されたのは、富岡八幡宮の宮司である富岡長子さん(58)。現場近くで、富岡さんの弟の茂永容疑者(56)

    宮司職をめぐり弟と確執 「生き地獄に落ちた人達」殺された女性宮司がブログに綴っていた差別とトラブル | AERA dot. (アエラドット)
    wuzuki
    wuzuki 2017/12/08
    切ない。
  • 世の中間違ってやしませんか?|富岡八幡宮-富岡長子-公式ブログ

    今朝の五時の外です。 私はここ数日、機嫌が良くありません。 何故ならば、忘年会シーズンに突入して、お酒の席に出なくてはならないからです。 私は普段は家で一滴もお酒を飲まないのですが、宴席では多少飲むこともあります。 毎日朝早いので、最近はノンアルコールビールが多いのですが……。 特に嫌なのが神職の集まる飲み会で、一部の神社の神主には、セクハラ、パワハラ、ネグレクト、嫌がらせ……が当たり前のように、横行しているのです。 その事が、私が神職の飲み会に参加しなくなった要因の一つなのですが、それらの行為もそうですが、それを周りの人間は止めるどころか、増長させる事を言っていることすら理解出来ないくらい、モラルがない人が多いのです。 先般もある神社の神主が、私を呼び捨てにして、体を触り、手まで握り、腰に手を当てたので、私はハッキリ拒絶して、「いい加減にして下さい。」と言ったら、⭕⭕さんが、「まあ、まあ

    世の中間違ってやしませんか?|富岡八幡宮-富岡長子-公式ブログ
    wuzuki
    wuzuki 2017/12/08
    ご冥福をお祈りします。ところで、もし、このブログがきっかけで殺された可能性が高いとされた場合でも、被害者は若者じゃないから「アメブロ殺人」とは言われないんだろうなぁ。LINE殺人とかTwitter殺人はあったけど。
  • 呪詛・物語・社会 - サークルクラッシュ同好会ブログ

    (アドベントカレンダー7日目 完全なQ体(@torchfish_story / id:Q1kasen)) 1.概論 社会にはその社会でとくに厳密な根拠もなく正しいとされる命題が大量にあり、これらの命題を呪詛と呼ぶ。これらの呪詛はそれぞれ独立にただ真とされているわけではなく、これらを大きく統一的に説明する理論が背景にあり、それを物語と呼ぶ。 例えば宗教社会における呪詛は「毎朝太陽が登る方向に祈らなくてはならない」などの個々の命題で、なぜそうなのかを説明する神話や聖典などが(極めて具体的には)物語にあたる。(より厳密には、物語は抽象的な概念で、神話や聖典は物語が実体化されたものという見方が正しい。) このように、物語がたくさんの呪詛を統一的に説明し、また呪詛が物語の根拠として再参照されるという構造がある。 そして、社会に属する人間(社会人と呼ぶことにする)は、その社会に存在する物語の登場人物(

    呪詛・物語・社会 - サークルクラッシュ同好会ブログ
    wuzuki
    wuzuki 2017/12/08
    前半の学術論文的な筆致のほうも興味深かったけど、あとがきで何度か噴き出してしまった。「こじらせ」に関する切り口、みんな違って面白いな。