●『サイファ 覚醒せよ』文庫版あとがき:「実存的な曖昧さへ」を読んで、「まだこいつはこんな悠長な事を言っているのか」と愕然とした。 ハッキリいえば、このような思想は、その生活に対して十分な金銭という土台が築かれていることが前提条件なのだ。 ただ曖昧なままに生きていれられる強度など、金銭のない生活の上では容易に瓦解する。 ならばこうした論理が適用されるのは、若い人や現在道を迷っている人たちではなく、既に金銭という土台を手に入れた、既存の強者である。 そしてそうした強者のうち、女性に対して、「NANO主婦」という新たな付合がつけられているそうだ。 もちろん、私自身はこのようなレッテル張りに賛同しない。だいたい、主婦なんて昔っからその程度のものだろう。(念の為に書いておくが、男性会社員だって同様に「その程度のもの」でしかない。別に彼らが主体的な意味をもって会社にいるわけではないだろう) このよう