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2008年1月3日のブックマーク (6件)

  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(1) | 私にも話させて

    私の論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)に対して、リベラル・左派からの批判の声が一向に現れず、残念に思っていたのだが、ここにきてようやく出てきた。こうした批判を検討することを通じて、リベラル・左派の論理の問題点を追求し、私の論文の補足を行なうこととしたい(なお、字数制限で一度に全文アップできないので、それぞれの注は、(4)の末尾にまとめて掲載している)。 ここで取り上げるのは、ある匿名ブログの「大学4年生」(1980年生まれ)による、私の論文への批判である。こういう、いかにも『論座』あたりからお声がかかるのを待っているようなブログを採り上げてやるのは気がひけるのだが、それはともかく、批判の声を聞こう。 「一読後の感想として、この論文の言葉使い、その論理の運びからして、駒場のときの△○派のアジびらの論理を思い出した。悪の帝国ブッシュと追随する日政府、まではまあ良いのだ

    リベラル・左派からの私の論文への批判について(1) | 私にも話させて
    toled
    toled 2008/01/03
  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(2) | 私にも話させて

    ②佐藤優を「リベラル保守」とする認識 この批判者は、「金光翔氏は、「リベラル保守」とも手を組めという姜先生(注・姜尚中)をも、「改憲後の生き残りのための右派への擦り寄り」とするだろうか。私は、そこにもっと誠実な動機を見るのだが。」「護憲のために肝要なのは、「リベラルな保守」がどう動くか、であろうと思う。したがって、私は姜先生の認識と提案に、同意したいと思う。」と述べているのだから、佐藤を「リベラル保守」と見なしているわけである。 私は、論文で、佐藤について以下のように書いている。 「そもそも、佐藤は白井聡との対談(注・『国家と神とマルクス』太陽企画出版、2007年4月、194~195頁。) で、潮匡人の、「憲法を改正せずに、しかも一円の予算支出もせずに今すぐできる日の防衛力増強のための三点セット」の提言、すなわち、内閣法制局の集団的自衛権解釈変更(現行憲法下でも集団的自衛権を保持しており

    リベラル・左派からの私の論文への批判について(2) | 私にも話させて
    toled
    toled 2008/01/03
  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(3) | 私にも話させて

    ③「リベラル保守」を探し求める論理と衝動 ②で、佐藤を「リベラル保守」と見なすことの馬鹿馬鹿しさを指摘したが、ここでは、さらに考察を進めて、リベラル・左派の、護憲を唱えてくれるような「リベラル保守」をなんとかして探し出そうとする論理と衝動について考えたい。佐藤を「リベラル保守」と見なすのは、質的には現在のリベラル・左派が、暗黙のうちに集団的自衛権や対外的武力行使を容認していることの問題であるが、それとは別に、護憲派の「リベラル保守」を探し出したいという衝動が強力であるからこそ、私が論文であれほど、そうした「人民戦線」的な思考法を批判したにもかかわらず、その批判には何一つ答えることなく(あたかもそうした批判自体がなかったかのように)、この「大学4年生」は、佐藤を「リベラル保守」としたがるのである。そのことは、この「大学4年生」の文章の、「社共の潜在的支持層は固定化している。護憲のために肝要

    リベラル・左派からの私の論文への批判について(3) | 私にも話させて
    toled
    toled 2008/01/03
  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(4) | 私にも話させて

    ④エリート意識 もう一つの特徴として、②でも少し触れたがこの批判者の、エリート意識が挙げられる。これは、最近の「リベラル」系知識人全般に見られるように思う。 このブログから一例を示せば、私の論文への批判のエントリーは、以下のような書き出しで始まっている。 「ヴェネズエラでチャベスによる憲法改正が否決された。韓国で大統領選が迫っている。/反米左翼の大統領なら政治的自由を制限しても許容する?金大中、盧武鉉とこれだけ急速に社会が動いた韓国で、また次も革新の大統領を選び出すべきなのか?・・・・・・激動する政治状況のなかでの選択は、安易な政党帰属party affiliationを許さない。自分の頭で考えなければならないだろう。/日の古い「革新系」の信条を持った人たちが、ヴェネズエラや韓国のような針路なき政治情勢のもとで、「指導部」から与えられた公式見解なしに、どのような自律的判断が出来るのか、少

    リベラル・左派からの私の論文への批判について(4) | 私にも話させて
    toled
    toled 2008/01/03
  • 「本当に困っている人」とは誰か (Dead Letter Blog)

    少し前の話題の蒸し返しで申し訳ないのだけれども。 インターネット上で「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、問題視された事例があった。重い心臓病で移植手術しか助かる見込みのない少女の親御さんたちやその友人らがその費用をまかなう為の寄附を募ったことに対して、彼らの公表する会計データに一部不透明なところがあるとして、それを「会計責任を果たしていない」、「詐欺同然」と糾弾する人たちが現れたのだ。 僕の興味を引いたのはこの問題の糾弾者たちが、「少女の命を救うなと主張したいのではなく、会計責任を果たしていないから批判するのだ」という論法を採っていたことだった。だがしかし一口に「会計責任」と言っても、お金を集める際の規模、目的等によって果たされるべき責任の程度は様々に異なる。仮に批判者達が言うような「厳格な会計責任」が求められるとするならば、それはどのような理由からなのか? 様々な理由らしきものが語られてはいたので

    toled
    toled 2008/01/03
    "困っていると今目の前で訴えている人」とイデア化した「非の打ちどころの無い被害者」を比較"→"前者への支出は留保すべきという結論が導かれる
  • 大田昌国 「死刑を待望する」合唱隊の行方

    現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日の、社会・政治文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。 人権問題を扱う国連総会第3委員会は、去る11月15日、死刑制度を維持している加盟国に死刑執行の一時停止(モラトリアム)を求める決議案を採択した。賛成99、反対52、棄権33であったという。 反対したのは、日、米国、中国、シンガポール、イラク、イランなどである。 死刑制度廃止を加盟条件に挙げている欧州連合(EU)がイニシアティブをとっての決議であった。 法的拘束力は持たないが、この決議が存置国に求めているのは、「死刑制度廃止を前提として死刑執行を一時停止する」「適用罪を減らし執行を制限する」「事務総長に執行状況や死刑囚の人権保護手続きの報告を行なう」などである。 事実上、死刑を廃止している国は13