以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Battery rationality」という記事を翻訳したものである。 Pluralistic 9.11の後、テロ対策には「コストに上限はない」と言われるようになった。実際、米国はテロを終わらせるとの名目で、終わりなき戦争、体制転覆プロジェクト、秘密拘置所、誘拐、ドローン攻撃、強制収容所などに莫大な費用を投じた。 一方、帝国の内部では、我々全員が「コスト度外視」の「テロとの戦い」ゲーム(家庭版)をプレイさせられることになった。新たに、極めて侵襲的な空港セキュリティ対策が導入された。電話帳のように分厚い「搭乗禁止」リストが秘密裏に作成され、法的手続きも反論の機会も与えられないまま航空会社に配布された。突如として、罪を問うほどの証拠もないが乗客として搭乗させるには危険すぎる、という矛盾した理由で、無作為に選ばれた赤ちゃんや現職の米国上院議員までもが飛行機に
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