昭和平成を駆け抜けた偉大なコメディアンが亡くなりました。新型コロナウィルスによる志村けんの死は、多くの日本人にとって初めて亡くなった方の「顔」が見えた瞬間だったかもしれない。数字より明確に恐怖と現実を知らしめた、著名人の早すぎる死でした。 SNSは個々人が「小さなお葬式を」あげる場に 「悲しい」「もっとコント見たかった」「生き返って」……タイムラインを埋め尽くす、志村けんへの哀悼の言葉。ここまでの人気者であれば「送る会」などでファンにお別れの時間を設けるのが通常でしょうが、それすらも叶わず。せめて……と、SNSは個々人にとって「小さなお葬式」をあげる場所となりました。 「死」とは生きている人間のためにある概念なんだとつくづく思います。お葬式はその人がいなくなったことを残された人間たちが理解し受け入れるのに必要な儀式。誰かが亡くなった時、「死」はとっくに本人からは離れている。ドリフや志村けん
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