四国・松山の中心部から車で1時間半、瀬戸内海を臨む工業都市、愛媛県新居浜市。9月中旬、同県主催のプレスツアーに参加し、別子銅山跡地を歩いた。日本の近代産業をリードし、住友グループ発展の礎を築いた由緒ある地だ。1970年代に坑道崩落の危険から閉山したが、近年は産業遺産として再び注目を集めている。威容なたたずまいは「東洋のマチュピチュ」と形容され、人々を引きつける。 ▽世界屈指の銅山 最初に立ち寄ったのが「端出場(はでば)」と呼ばれる地区。別子銅山で最後の採鉱拠点だ。ガイドを務める谷口淑子さん(73)と合流し、マイクロバスに乗り換えた。「これから行くところは、下界からは一切見ることができない天空の都市です」。五つのトンネルを通り過ぎると道幅は次第に狭くなっていく。険しい坂道をぐるぐると上がっていくこと25分、標高750メートルの開けた場所に出た。「東平(とうなる)」地区だ。 別子銅山の歴史は元
