雑感 感情という名のドミノが倒されていく。沢山の人が怒りを表明し、自己の怒りの正当性を主張しようと試みている。これがネタであったならと願うのだけれど恐らくネタではないのだろうな。ネタかベタかを見破るのは難しい事だけれども、感情という名のドミノを倒す前に「その企みが何故行われたのか」を思考しても良いんじゃないかとは思う。思考した結果として我慢出来なかったら怒りを表明する以外に方法は無いのだけれども。 私はウエブに立ち現れるのは表現だと思っている。表現「だけ」でコミュニケーションをするのは困難だし、ウエブ「だけ」でコミュニケーションするのは難しい。見ず知らずの、価値観の摺り合わせをする必要もなく、表現者自身の姿を目視する事も、相手との関係性を維持する必要も無い場所で「気遣いを」「マナーを」と言う事の如何に虚しい事か。自分がコミュニケーションをしたいから、コミュニケーションが成立するからといって