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・「受動世代のロンコーゲーム(論考ゲーム)」(シロクマの屑籠) 非モテのテキストで語られていないと言及された部分について書いてみましょうか。 自分がいかに異性を評価するのか(好みの異性含む) 自分の趣味の方向性を理解し、楽しんでくれるという異性は評価に値する。「キモい」を連呼する手合いは評価以前の問題。私という人間に対して興味を抱いてくれる女性を拒絶はしない。 自分が恋に落ちるのはどういう時か 高校時代までのそれに関しては、後に冷静になって考えると何故自分がこの女性に惹かれていたのを全く説明できない類のものだった。大学に入ってからは、私が仲のいい同性の友人と取るコミュニケーションに親和性が高い(と判断される)女性に惹かれるようになる(無論外見的な魅力に惹かれること付け加えておく)。 恋した時、これから自分は何をするのか 見た目において一般人よりずっと後ろのポジションからスタートなので、費用
ムハンマドのカリカチュア事件についてである。例のデンマーク製の、手榴弾型ターバンをかぶったムハンマドを「私はムハンマドを描いてはいけない」という文字で描き出したカリカチュアがイスラム教徒の憤激を呼び、一方、言論の自由を守れとばかりにヨーロッパ各紙が転載したり支持の記事を載せたりしている、という、あれだ。 描いた奴の低能と無神経は呆れるばかりだ。まず第一に、ムハンマドはテロリストでは全然なく、イスラム教徒の99%もテロリストではない。ムスリム=テロリストの紋切型は、その点に関して相当な愚鈍さを発揮し続けたアメリカ映画でさえ最近は抑え気味なのに、まだそんなことをやって、しかも面白いと思っているのか、こそ大いに批判されてしかるべきだろう。第二に、やるにことかいて何だその「私はムハンマドを描いてはいけない」は。あんたには関係のない話だろう? そんなにムハンマドを描きたいのか? 描かなきゃならない理
インターネットをやめろ。スマホを床に置け。文章を書くんだ。 昨年末からスマートフォンを眺める時間が増えてしまっているのを感じる。 色々一悶着あり(詳しくは言及はしない)、過剰なストレスに対応するためにスマートフォンでSNSの情報をザッピングすることで怒りや不安、悲しみといった感情を感じないように「消して」きた。…
と書いてみたが、ここでの非モテは喪と過激派の方々のこととする。あと、一部非モテ哲学を論じようとする方々。 非モテに係わる論争を見てきて思った。喪・非モテ側はモテ側、非・非モテ側にいかなる手段をもってしても勝つことは難しい。と。 いくら、喪や非モテの方々が一騎当千(いや百くらいかしら)だったとして、普遍的な共感とやらによって生み出されるモテ、非・非モテ側の尖兵は、わらわら生み出されてくる。そして、非モテとモテ、非・非モテどちらも相手のことが理解できないし、理解しようともしない。 その中で、いくら非モテが自分達の正当性や異性の醜さを啓蒙したとして、相手が受け入れるわけがない。たとえ、受け入れたとしても非モテが満足するとは限らない。ひたすらにたたき続けるだろう。 とここまで考えて、非モテの最終目的が気になった。非モテの論争のときに「非モテの目的は何か」と問われるケースがある。そこで浅はかなモテの
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