「インパール作戦」は、先の大戦において悲惨な結果を招いた無謀な作戦として、75年後の現在でも繰り返し、繰り返し取り上げられている。 インパール作戦の目的は、「大東亜共栄圏」の西端に位置するビルマ北西部の山岳地帯から国境を越えて英領インドに侵攻し、連合国による中国国民党支援を目的とした「援蒋ルート」を遮断することを主目的とした、きわめてギャンブル的性格の強い作戦であった。 「インパール作戦」は、もし成功していれば、きわめて大きな成果を上げていたことだろう。だが、そもそも作戦自体が無謀かつ杜撰なものであり、猛反対のなか強行された結果、想定をはるかに上回る大惨事となった。 日本側で投入された兵力は9万人、そのうち2万6000人が戦死し、戦病者が3万人以上にのぼっている。戦闘停止命令が出され、撤退が始まってからがさらに悲惨なものとなった。ジャングルの熱帯性疫病による病死者や食糧不足による餓死者が続
