もう一つ、他球団が積極的に山本をマークしなかった要因があった。山本は当初、プロ志望届を出さず、社会人野球に進もうと考えていたからだ。 だが悩んだ末、期限ギリギリのタイミングで、プロ志望届を提出した。 山本と話を進めていた社会人チームには、山口と同い年で親しい間柄だった関係者がいた。 「その人ともずっとやり取りをしていたんですが、その社会人チームに(山本側から)正式に断りの連絡があった時に、その人から連絡をもらったんです。『だったらうちが一番に行かないといけない』と、調査書を持って、宮崎にすっ飛んで行きました」と明かす。 「そういう不思議な縁があったんですよ。だから他球団が知らない情報を教えてもらえたりした部分もあったので」 自分の手柄ではなく、ご縁のおかげ。山口の謙虚な人柄がうかがえる。 いくつもの縁と決断が重なった末に、「オリックスの山本由伸」は誕生した。 山本は19年のオフ、背番号を4
