仕事で県庁まで。夜勤明けで自宅へ。あるいは、恋人の見送りにー。75年前も、いまと同じ日常がありました。ささやかな暮らしを営む中で、もし突然命を奪われたら。そして、その事実が語り継がれることなく風化してしまい、誰が犠牲になったかすらわからなくなってしまったら…。昭和20年8月、終戦の1週間前に福岡県の小さな村で起きたある事件。公の記録が残っていない中で調査を続ける男性は、犠牲者の「名前」にこだわりながら、何が起きたのかを明らかにしようとしていました。 (福岡放送局記者 松木遥希子) アメリカ軍の戦闘機に取り付けられたガンカメラの映像です。画面中央の走行中の電車に向かっておびただしい数の銃弾が降り注いでいます。 アメリカ軍は、軍の司令部だけでなく輸送ラインや工場も主要な攻撃目標とし、終戦末期のこの時期には、町や村の民間施設にも攻撃が広がっていました。 昭和20年8月8日、午前11時半ごろ、筑紫