「「疑問」の対象は常に自分の”外”にある。」 この記述。 それ(左翼の言葉遣いに対する幻滅:引用者)は、「硬直した古い考えや物事に疑問を投じる」という構え自体の中に、ある種の硬直性が現れていると感じられたからだった。その「疑問」の中には、既に硬直してしまっているかもしれない自分の考え方やポーズは含まれていない。「疑問」の対象は常に自分の”外”にある。だから彼らは攻撃的になれる。 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20121203/p1 「「疑問」の対象は常に自分の”外”にある。」というのは、なかなか興味深いです。 ”試験紙”と称して、他者を分類しようとする人にとって、「「疑問」の対象は常に自分の”外”にある」のは確かでしょう。自分は常に判別する側にいる、と思っているわけですから。 しかし、他者を判別しようとする者は、その判別しようとする行為によって自己の党派