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新党「たちあがれ日本」が10日、旗揚げした。政策も理念も異なる5人の国会議員が「打倒民主党」を結集軸に集まったが、民主、自民両党との距離感ははっきりしない。今のところ、賛同者に広がりはなく、シニア新党は厳しい船出となった。 東京都内のホテルであった記者会見。新党結成の場は悲壮感すら漂っていた。平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相はそれぞれ脳梗塞(こうそく)、咽頭(いんとう)がんという大病を患った過去から語り出した。「命も危ないと言われた」(平沼氏)。「死に直面しながら生きてきた」(与謝野氏) 「政治生命のすべてをかけて戦う」と2人は声をそろえた。同席した石原慎太郎・東京都知事は、目の前の報道陣に向かって「年寄りだとバカにするかもしれないが、30、40、50代で我々と同じようにこの国を憂える人間がどれだけいるんだ。若い候補者を立てて参院選を戦う」と高齢批判に反発してみせた。 国会議員
インド、高炉計画相次ぐ 粗鋼生産能力、4倍へ2010年4月11日2時4分 煙突が立ちならぶブーシャン社の製鉄工場=インド東部オリッサ州で、高野写す ポスコの高炉建設予定地では反対住民が侵入者に目を光らせていた。リーダーの自宅にはレーニンとマルクスの肖像画が飾られていた=インド東部オリッサ州で、高野写す インドで鉄鉱石から銑鉄をつくり出す高炉の建設計画が次々と打ち出されている。政府によると、2019年度の粗鋼生産能力は、現在の約4倍の2億9千万トンに達する見通しだ。そんなに建てて、大丈夫なのか。建設の現場を歩いた。 ニューデリーから南東に約1400キロ。ベンガル湾に面するオリッサ州の州都から、山間部の狭い道を3時間ほど車で走ると、突如として十数本の高い煙突があらわれる。インドの鉄鋼メーカー「ブーシャン・スチール」が建設中の初の一貫製鉄所だ。 森林を切り開いた奥行き5キロの敷地に鉄道が開通した
痴漢防止目的で客室内に防犯カメラを全国で初めて導入したJR埼京線で、導入後の今年1〜2月の痴漢摘発件数が前年同時期より6割少ない15件だったことが、警察庁のまとめで分かった。埼京線は昨年、痴漢摘発件数が首都圏のJRでトップだったが、この2カ月間でみると、中央線より少なく、防犯カメラ設置の効果とみられる。 警察庁のまとめでは、JRの首都圏の通勤路線18路線で今年1〜2月、痴漢(強制わいせつ、ひわい行為)容疑により摘発されたのは80件。この間の最多は中央線の17件で、埼京線は2番目の15件だった。 2009年は18路線で736件の痴漢行為があり、埼京線が173件で最多。中央線140件、総武線110件、山手線96件だった。埼京線の被害の多さから、JR東日本は昨年12月、車内に防犯カメラを試行設置。今月5日には、埼京線を走る全40編成で今年中に、被害の多い1号車(大宮側)で4台ずつと設置を拡大
井上ひさしさん 軽妙なユーモアをたたえた優れた日本語で「吉里吉里人」「國語元年」など多くの小説や戯曲、エッセーを書き、平和運動にも熱心に取り組んだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさしさん(本名・井上廈〈いのうえ・ひさし〉)が死去したことが11日、わかった。75歳だった。 山形県小松町(現川西町)生まれ。5歳で父と死別し、経済的な事情から一時、児童養護施設で育った。仙台一高から上智大フランス語学科に進み、在学中から浅草・フランス座で喜劇台本を執筆。卒業後、放送作家となり、1964年にNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を山元護久氏と共作し、鋭い風刺と笑いのセンスで注目された。 69年には劇団テアトル・エコーに「日本人のへそ」を書き下ろして本格的に劇作家デビュー。72年、江戸の戯作者(げさくしゃ)を描いた小説「手鎖心中」で直木賞、戯曲「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞を受賞した。
厚生労働省が原爆症の認定基準を緩和した2008年4月以降の審査状況を朝日新聞社が調べたところ、08年度は審査結果が出た約3千件の大半が認定されていたのに対し、09年度は同約5千件のうち、認定は6割弱にとどまり、2134件が却下されたことがわかった。厚労省は「審査を迅速化した結果」と説明するが、却下理由が明らかにされないために戸惑う被爆者も多く、被爆者団体は同省に情報開示を強く求めている。 被爆者の病気を原爆症と認めるかどうかは、専門家でつくる同省の「原子爆弾被爆者医療分科会」が審査する。08年4月に認定基準が改定され、爆心地から約3.5キロ以内の直接被爆、原爆投下後100時間以内に爆心地から約2キロ以内に入った(入市)など一定条件を満たした人のがんや白血病など5疾病は分科会の四つの部会で「積極的に認定する」とし、直ちに認定できないケースも分科会で「総合的に判断する」とした。09年6月に、
小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。 家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。 井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。 44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを
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