誰とはいわないけどな。 「あたし彼女」は、誰に宛てることも無く繰り返される独白のようでいて、その実、「何を伝えればいいのか」が実に良く考えられている。例を示そう。 バカみたい だから アタシが全部 主導権 みたいな フラレた事? ある訳なくない? アタシが これを口語訳すると バッカみたい。 万事が万事そんな調子だから、相手の自尊心を満足させてあげている振りをして、でも、本当はアタシが全部、主導権を握っている、みたいな感じ? 「振られたことは?」って? このアタシが? そんなこと、あるわけ無くない? となる(だろう)。 ここで何が行われているか、といえば、レゲエでいうところの「抜き」だ。「あたし彼女」は極限までに文章をそぎ落として、初めて現れるダブである。 口語文とも違う、独特のリズムを持った、「何か」。 ミニマルな独白の羅列が延々と続くだけなのにもかかわらず、「アキ」は実に生々しく活写さ