科学ちょくちょく「科学も宗教のようなもの」だとか「科学を信じるのも信じないのも自由」というような書き込みを見かける。本当に科学は宗教の一つなのだろうか。 結論からいえば、それは間違えすぎるほど間違っている。科学は宗教ではないし、宗教は科学と比べられるような同じ土台にすら立っていない。 宗教に不可欠なもの 宗教に不可欠なもの、それは信仰だ。 例えば、あなたがキリスト教徒だとしよう。あなたは敬虔な信者で、教義も神の存在も信じている。それゆえに、あなたにとって神は真実であり事実でもある。だが、キリスト教徒のあなたにとってイスラム教はどういうものだろうか。異教だろう。そしてもちろん、イスラム教を信仰しはしないだろうし、その教義も神も信じないはずだ。 ところが、イスラム教徒にとっても同じ状況ができあがる。あなたがイスラム教徒だとすれば、その神を信じるし、当然キリスト教は異教で信仰の対象ではない。キリ
科学「科学好きのために」連載の第1回です。今回はタイトルにもあるように「なぜ日本では楽しみとしての科学が定着しないのか」ということをサブテーマにして考察していきます。この記事は科学者、科学ジャーナリスト、科学好きのいずれにも広く読んでもらいたいです。 そもそも日本で「楽しみとしての科学」が定着しているのかしていないのか、あるいはしつつあるのかしたことがあるのか、僕には分かりません。しかし、個人的な感覚では全然定着していないように感じています。もちろん属するコミュニティや友人関係によってこの感覚は違うと思いますが、定着していないということを仮定して進めていきます。仮に定着しているとしても読んで無駄にはならないことを書いていきますので、ご安心を。 さて、最初は「楽しみとしての科学」の現状を把握することにしましょう。日本の現状と、欧米、特にアメリカの現状を比較してみます(ときどきヨーロッパ代表で
大分県水産研究部(佐伯市)養殖環境チームの主幹研究員、福田穣(ゆたか)さん(53)が魚の寄生虫を食べてみるという果敢な試みを続けている。「単なるゲテモノ食い?」と勘違いされる向きもあろうが、「海の魚の寄生虫のほとんどは無害。正しい知識を持ち、必要以上に恐れないで」と福田さんはいたってまじめ。寄生虫への不安解消をアピールしている。 イタリアには「マカロニ・ディ・マーレ」(海のマカロニ)という料理がある。実は、小麦粉で作ったものでなく、魚の腹に寄生するサナダムシの仲間が原料なのだ。日本でも北海道や東北で、この虫をきしめんのように生でつるつる食べる習慣があったという。 これまで約20種類を試食した福田さんのイチ押しが、マダイの口の中に寄生するタイノエだ。エビやカニと同じ甲殻類。大きなものは5センチある。空揚げにすると「卵がいっぱい詰まった旬のシャコのような味で、殻ごとパリパリいけて最高」と言
宮崎県の東国原英夫知事(53)が、12月に予定されている知事選に立候補しない意向を複数の後援会関係者に伝えていたことが19日、わかった。 周囲には来春の東京都知事選への出馬に意欲を示しているという。 東国原知事は2007年1月の知事選で初当選し現在1期目。後援会関係者らによると、知事が最近、「県知事選への出馬は見送る」と伝えてきたという。18日夜には、タレント時代に師匠だったビートたけしさんと都内で面会、こうした考えを伝えたとみられる。 24日か29日の9月県議会本会議で正式に不出馬を表明する見通し。宮崎県知事選には現時点で出馬を表明している候補予定者はいない。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く