太郎橋では東側にだけ歩道がある。 祇園の旧道が通る「祇園橋」では何の白線も無い。ガードレールが連なる様子は橋らしくは見えないけれど、その前後の道よりくびれていたり、少し高まりになっていたりで、何かを通りすぎている感触はありそう。 下を流れる細い水路は安川(旧流路)に注ぐ。『藝藩通志』の西原村の絵図にそれにあたる川筋が描かれている。川を境に南が北下安(きたしもやす)村。
▼みなさんにご心配をかけてしまった「1月22日東京ビッグサイトで開催する独立講演会」は、〆切を2日だけ延ばして昨日の正午に申し込みを締め切りました。 ところが、主宰の独研 ( 独立総合研究所 ) の事務局から聞いてびっくり ! ぼくが今後の東京開催を懸念して、このブログに書き込んだときには500人台だった参加者が、1000人をしっかり超えました。 ぼくは、参院議員 (※これまでの議員活動のあり方とは違う活動を遂行する、ささやかな決意、ただし柔らかな決意を込めてぎーんと表現したりします。お気に召さないひとが一人だけ、長広舌で指図なさっていますが、ご自分の意見をどうぞ大事になさってください。ぼくとは違います) になってから、地上波はテレビもラジオもレギュラーから外れているので、独立講演会を広く告知する機会は、この地味なブログと、CS放送&ネットテレビの「虎ノ門ニュース」ぐらいしかありません。(
奈良市の春日大社で見つかった古い刀が、平安時代から鎌倉時代にかけて作られた「黒漆太刀」と呼ばれる名刀であることがわかり、神社は鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が納めたと伝えられる太刀の可能性が高いとしています。 その結果、さやなどが黒い漆で装飾された「黒漆太刀」と呼ばれる刀で、刃の部分の模様やそりの特徴から、平安時代の末期から鎌倉時代の後期にかけて作られた名刀とわかったということです。 春日大社によりますと、鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が「黒漆太刀」を奉納したという記述が文献にあることから、これらのいずれかである可能性が高いということです。 東京国立博物館の酒井元樹主任研究員は「当時の大刀がこれほどいい状態で残っていることは珍しく、国宝に指定されている太刀と比べても遜色ない。日本の刀剣史を考えるうえで非常に興味深い発見だ」と話しています。 これらの太刀は、春日大社の国宝殿で来年3月まで展示
一昨日の日記と昨日の日記の読者から、イロハ順を高速で検索する技を2種類ほど御教示いただいた。他の読者の役に立つとは思えないのだが、とりあえず公開する。 1つは『仮名手本忠臣蔵』をまねて、イロハニホヘト、チリヌルヲワカ、ヨタレソツネナ、ラムウヰノオク、ヤマケフコエテ、アサキユメミシ、ヱヒモセスと7字ずつ区切って覚える技である。これに加え、末字のトカナクテシス(咎無くて死す)を覚えておけば、どの文字も2ホップでアクセス可能になる。たとえばコウノタロウ君の「コ」であれば、ヤマケフコエテに入っているので、トカナクテシスの「テ」から2字戻ることになる。 もう1つの技は、もう少し機械的で、イロハニ、ホヘトチ、リヌルヲ、ワカヨタ、レソツネ、ナラムウ、ヰノオク、ヤマケフ、コエテア、サキユメ、ミシヱヒ、モセスンと4字ずつ区切って覚える。さらに各2字目のロヘヌカ、ソラノマ、エキシセも覚える。こうすれば、たとえ
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