加藤文宏 はじめに 何者かによって語られる出来事への視点や解釈(ナラティブ)は、社会や世界そのものを表さない。あくまでも複数あるうちのひとつの出来事で、しかも客観的ではなく、語る人の数だけ体験と感情があるのを示しているにすぎない。もしかすると言葉足らずかもしれないし、話を盛っているかもしれない。だが誰か一人の、あるいは特定の集団の語りから生まれたナラティブが、政治や社会を動かしている。 それは証言から始まった 誰かが声を挙げる。電車の中で赤の他人に体を触られた。原発事故の影響で鼻血が出た。親が宗教の信者なので割を食った。こうしたナラティブから幾多の社会を動かし変えようとする運動が始まった。 きっかけとは、こういうものだ。しかし、語り手以外に目撃者がいない場合が多く、語り手も運動の担い手も感情に支配されやすいうえに、当事者を問い詰めてしまうのではないかと検証がためらわれる。 痴漢被害を訴える
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