野球を始めたのは中学1年時の途中からで、小学生時代には、地元のサッカー少年団でFWとして活躍していた。当時は地元の新日本製鐵八幡サッカー部に所属していた宮本輝紀(メキシコオリンピック・サッカー競技で日本代表チーム初の銅メダル獲得に貢献したMF)に憧れていて、少年団の監督からはサッカーの強豪校(大分県の中・高一貫制私立学校)への進学を勧められるほどの選手だったが、中等部からの単身生活に両親が難色を示した。結局、地元の中学校へ進学したものの、校内にサッカー部がなかったことからサッカーを断念。部活動自体に参加しないまま知人の誘いでソフトボール大会へ投手として登板したところ、誰も打てなかったことから、周囲の勧めで1年生の途中から校内の軟式野球部へ入った。当時から1人で野球を練習していたが、本人曰く「言葉(口)より身体を動かさないと善し悪しを判断できないタイプ」とのことで、日本のプロ野球(NPB)へ