信仰は淫ら 甘い体罰で 君の素足に 心が屈する 薫る想いは 劇薬の痺れ 痛々しい程 お姫様な君 僕は醜悪で 陵辱に映え 性具扱いの 快楽と死ぬ 椅子や机に 僕を施せば 君は満足し 夜と踊った 「光栄な家具」
現代詩と歌詞について興味深い視点で批評をしているブログがありました。 現代詩の現状をうまく捉えていると思います。 「詩のボクシング」についても触れてくれています。 このように歴史性を踏まえた視点で批評する人が、とりわけポエトリーリーディング、スポークンワーズとか名乗って詩の朗読している人の中にいないのが非常に残念だと思います。 一読されてみてはいかがでしょうか? ↓ ⇒現代詩と歌詞 歴史性ということで補足しておきます。 「詩のボクシング」を始めた1997年には、日本ではヒップホップという概念は(主にヒップホップミュージックとして)ありましたが、その中の一つの要素であるラップはまだ認知されていませんでした。 映画「Slam(スラム)」(1998年製作)が日本で上映されたのが1999年だったと思いますが、わたしはその上映権を得た配給会社からこの映画の上映宣伝用フライヤーに推薦文を依頼され書いた
・最近、詩と歌詞について書いてみたので貼っておく。たんなる思いつき程度のもの。ご意見募集。 さて、学校の現代文の授業のなかでは詩を読んだりすると思いますが、教科書に載っているのはちょっと昔の、萩原朔太郎とか中原中也、室生犀星といった明治生まれの詩人が中心ですね。新しくても谷川俊太郎や茨木のり子とかで、それでも大正の終わりか昭和初期の生まれです。みなさんのおじいさん、おばあさんくらいの世代になります。不思議なことにその人たち以後は、誰もが知っているような詩人というのは出てきていないんですね。現役の詩人で一番人気があるのがいつまでたっても谷川俊太郎という状態がずっと続いています。 これは詩人と言われる人が少ないからではないようです。日本現代詩人会という日本を代表する詩人の団体がありまして、ホームページにその会員数を載せています。一九六〇年は二二一名でしたが、その後右肩上がりに増え続けて、二〇〇
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