バートン・バーンステインさん(米スタンフォード大名誉教授) ――原爆投下機エノラ・ゲイとともに、広島・長崎の被爆資料の展示ができなかった「スミソニアン論争」から20年。当時と今の違いをどう見ていますか。 「米国の人々は、この問題に関心を失った。当時、スミソニアン航空宇宙博物館の展示に反対する退役軍人、特に空軍協会がプレスリリースを次々と発し、スミソニアンの展示計画を支持する歴史家側はなすすべがなかった。当時の館長は妥協で問題を解決できると思っていたのだろうが、そうはならなかった。あのような敗北を防ぐ術はあったはずだ」 ――あなた自身もアドバイザーとして、展示計画を支持していました。 「館長らに展示計画を守るための方策をアドバイスしていた。私の解決策は、こうだ。原爆投下に関わった重要な米国人10人の言い分を示した展示を行うのだ。原爆投下を支持するトルーマン(大統領)やスティムソン(陸軍長官)