エピステモロジーの本質が何なのか、ということについて、僕はかれこれ7年近く考えてきたが、最近になって、ようやくそのポイントを一般的な仕方で表現するポイントをつかんだように思う。 よく言われるように、20世紀のフランス哲学にとって、陰に陽にエピステモロジーは中心的な役割を担ってきた。このことは、すでに日本においても一般的に知られている事実であるといってもよいだろう(まだ言いすぎかもしれないが)。少なくとも、バシュラール、カンギレム、フーコーという名とともに、エピステモロジーという軸が実際に存在するということは、既知としてよいだろう。 しかし、さらにもう少しエピステモロジーについて知るようになると、そのあまりの多様性のために、一貫した思想運動のような統一性をそこにみいだすことが困難な印象を受けるようになる。そして、特に、欧米の科学哲学と比較する場合、その本質の規定と差異の明示化が非常に困難