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  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

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  • 交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?: 極東ブログ

    年末の連休に入った静かな明け方。ふと、散歩に出かけたくなり、出かけた。いつもなら早朝の通勤の人などもそれなりに見かける時間だが、今朝は少ない。自動車も少ない。そのまま私は、空虚に魅せられたようにさらに人の気配のない、死んだような朝の街を選んで歩いて行くと、横断歩道の信号機に合った。赤である。私は立ち止まる。 自動車は来ない。信号が青になるのを待ちながら、ふと、信号機が青に変わるまで待つ必要なんかあるのだろうかと思う。 見渡しが悪いわけでもない。自動車も来そうにない。信号機に従わなくても誰も見咎める人もいそうにない。つまり、信号機を無視してもなんら問題がない。 そういうとき、若いときの私は信号機を無視したものだった。欧米人は普通そうする。そもそもルールなんて人の世界の相対的なものである。などと思っていた。しかし欧米人ならすべてそうするわけでもない。フランス人は、自動車が来なければ信号を守らな

  • アベノミクスでミートソース缶が減量したのか?: 極東ブログ

    先日、面白いツイートがあった。該当ツイートにある写真を見ればわかるように、キューピーのソース缶が最近、減量したかに見える。 右が一月ほど前に買ったもの、左が今日買ったもの。お値段は同じ。こっ、これがアベノミクスのチカラなのかッ! pic.twitter.com/sHVLF3C7tH — 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2015, 4月 5 このツイートを見たおり、そういえば、このミートソース缶は私の好みなので買い置きがあったかもしれないと材棚を見たら一つ残っていたので、この旧缶の内容とキューピーのサイトにある新缶の内容と比較してみた。結果、総量は減っているが内容がそれで減量されたとは言えないと思い、そうツイートした。単純な話、品の内容量の大半は水分なので水分を減らせば、全体量は減るからである。 だがこの際、ちょっと勘違いしていた。結論からいうと、全体で減量されていると言っ

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  • 2015年、あけまして、おめでとう: 極東ブログ

    2015年、あけまして、おめでとう。 こんな日が来るんだなというのは、僕には驚きです。タイムマシンに乗って未来に到着したような気分です。 そういえば、2000年になったときも、わーお、21世紀だ、と感激したのに、あれから15年です。もっとも21世紀は2001年からでしょうか。まあ、細かいことはいいでしょう。 昨年は、自分には当に速く過ぎました。それをいうなら東北震災からもうすぐ4年にもなろうとしています。そう考えるとあっという間で、しかも、この間、震災が象徴するように、世の中、あんまりいいことなかったなという感じがします。 自分はというと、この間、自著を書いたり、信仰みたいなものを見つめ直したり(信仰を深めるという意味ではありません)、筋トレしたり(ちょっと中断しています)、それから、ごく初歩ではあるけれど、フランス語、中国語、ドイツ語を勉強しました。 この年齢になっても勉強はいいものだ

    2015年、あけまして、おめでとう: 極東ブログ
  • Amazon.co.jp: 考える生き方: finalvent: 本

    Amazon.co.jp: 考える生き方: finalvent: 本
  • 政策意思決定と"公共マフィア"について: 極東ブログ

    昨日のエントリーを書いたあと、そういえば最近考えていることで、"公共マフィア"のことがあった。これをどう考えたらいいのかなと考えるためにまた、一人考え続けているが、これは話したことがなかった。ブログに少し書いてみたい。 "公共マフィア"というのは、これも私の造語である。英語だと"public mafia"だろうか。調べてみると私の意味合いでは、英語にもそんな言葉はなさそうだ。もちろん、あまりよい造語ではない。 マフィアの原義はいうまでもなく、「イタリアのシチリア島が起源と見られる組織犯罪集団」である。が、一般用法では別の意味合いがあり、慶応OBの「三田会マフィア」やマッキンゼー出身が「マッキンゼー・マフィア」と呼ばれることもある。伊賀泰代氏などもそうなのだろうか。日での呼称はOBとか元なんたらという含みだが、英語だと、Dicntionary.comにあるように、「any small po

  • 30代・40代男性の性欲についてfinalvent氏とmarco11氏の会話

    マ儿コ @marco11 .@finalvent おはようございます。もう子供も大きくなったし、性欲なんて邪魔なだけだからいらない、なくなって欲しいと思っている3.40代男性に何かアドバイスをば頂けたら幸いです。みなさんどうしてるんでしょうね。邪魔といえば邪魔ですよね性欲。 2014-11-06 09:29:21

    30代・40代男性の性欲についてfinalvent氏とmarco11氏の会話
  • 香港・雨傘革命の本当の力: 極東ブログ

    21日、香港で普通選挙を求める抗議デモのなか、デモ学生の代表と香港政府代表の対話が実施された。この問題に関心をある人なら、この対話の内容や結果に期待をもつことはないだろう。重要なのは、対話に香港政府代表を引き出したということで、それ自体がデモ側の勝利の一つとして位置づけられる。 今後の動向がどうなるかはわからない。大筋、共産党中国政府が、香港の民主化に明示的に妥協することはないと見られる。それをすれば中国が解体してしまう。中共側としては、現状の台湾との関係と同様、言語的な規定は曖昧のまま実態を静かにねじ曲げていくという方向ならざるをえない。 このことは、天安門事件のような流血や、李総統(大統領)選出時のミサイル威嚇のようなことを中共側がしずらい、ということでもある。しかし、中国という国はこうした常識的な視点からは捉えられない面があるので、国際社会も慢心はできない。 今回の雨傘革命でも、そも

  • 現代の若者は絶望しているのか?: 極東ブログ

    現代の若者は絶望しているのだろうか。どうなんだろう。というのは、昨日のエントリーへのツイッターのコメントでこういうのを見かけた。晒しとか、反論というかいう意味ではない。基的には「ふーん、どうなんだろうか」と思っただけ。なのでコメント部分だけ引用。 ないのはお金だけじゃないよ。将来に対して絶望感以外なんにもない国で、落ちていくしかないんやから、恋愛みたいな長期的なことより、刹那的なものに流れるにきまってるやん。 現代の若者が恋愛できないのは、お金がないこと論に加えて、この「国」の将来に対して絶望感以外ない、という意見があるらしい。 若い人が絶望を抱くことについては、20歳までに自殺すると思っていた私としては、特に違和感はない。違和感があるとすれば、私がそうであったように、小学生だった1960年代から、青少年期だった1970年代、若い人の絶望というのは凡庸なことだった。 特に60年代から70

    現代の若者は絶望しているのか?: 極東ブログ
  • [映画]レオン・完全版: 極東ブログ

    なんとなく見逃していた映画「レオン」を見た。日公開は1995年3月25日で、その20日に地下鉄サリン事件があった。そして22日には上九一色村の強制捜査があった。この映画はそうした世相の記憶と結びついている。作成されたのは1994年なのだから、そこから考えると20年経ったことになる。あのころもチョーカーとか流行っていたな。 どうしたことか私はこの映画をフランス映画だとばかり思っていた。ジャン・レノ(Jean Reno)が主演だからというのもある。なので当初、ブルーレイでフランス語に切り替えられないのかなと戸惑っていた。しかし考えてみたらニューヨークが舞台である。それでも映画の感触としてはフランスっぽい印象も強かった。光の扱い方のせいだろうか。音楽もよかった。 少女マルチダを演じてる子はなんとなくユダヤ人だろうなと思ったが、パドメ・アミダラのナタリー・ポートマン(Natalie Portma

    [映画]レオン・完全版: 極東ブログ
  • 日本人イスラム国兵士志願問題が微妙に面白い: 極東ブログ

    人イスラム国兵士志願問題が微妙に面白い。不謹慎な、と思われるかもしれないが、微妙に面白いのである。ブログのネタにしかならないんじゃないかというくらい。 昨日、イスラム過激派組織「イスラム国」の志願兵になろうとしてシリア渡航を計画したとされる日人の大学生の関係先が捜索を受けた。日人からもイスラム国への志願兵が現れたのかと、驚きをもってそのニュースを聞いた人もいるだろう。私もその一人だった。しかし、どうもこの問題、シリアスな問題というより、微妙に面白い。 なにより、この問題の発端となる募集が単なるイタズラだったようだ。 このネタは以前からネットのネタで流れていたのは私も知っていた(参照)。まさか、このネタがこの事件の募集張り紙だったとは思わなかったが、NHKの報道映像を見たら同じだった。 NHK報道によると背景は次のように、ただのイタズラだったらしい(参照)。 その後の警視庁の調べで、

    日本人イスラム国兵士志願問題が微妙に面白い: 極東ブログ
  • 「ホラサン」への空爆は何だったんだろうか?: 極東ブログ

    自分なりに調べてみたがわからなかった。9月22日に米国が実施した「ホラサン」への空爆である。心にひっかかったままというのもなんなので、ブログに書いておこう。 疑問の核は非常に簡単である。イスラム国に空爆をすると言ったオバマ米国大統領が、それとは関係のない「ホラサン」に空爆をしたのは何故か? もちろん、あとから理由は付くし、その理由はあとで触れたいと思うが、率直に言って、そんな話は事前に聞いてなかったし、いったい、どんな根拠で、そんな空爆が可能だったのだろうか? もっと、言えば、どさくさにまぎれにこんなことやっていいのだろうか? 事態をNHKのニュースで確認しておこう。「米軍 別の過激派組織「ホラサン」も空爆」(参照・リンク切れ)より。 9月23日 19時53分 アメリカ中央軍は今回、イスラム国に対する空爆に加えて、シリアで活動する別の過激派組織「ホラサン」に対しても、空爆を行ったと発表しま

    「ホラサン」への空爆は何だったんだろうか?: 極東ブログ
  • 巧妙に修辞で覆ったオバマ米大統領による第三次イラク戦争: 極東ブログ

    今月の10日のことだが、米国オバマ大統領はイスラム国の残虐報道に反応してか唐突にイスラム国の対処計画を発表した(参照)。 先月28日では、対処を計画を問われた彼は、素直に「戦略はまだない」と発言して、米国民から落胆と失笑を買っていた。共和党ジョン・マケイン上院議員などは嘲笑もした(参照)。 オバマ大統領は何も考えていなかったか。そう見えるのも、さすがにまずいと思い直し、新しい演説を考えたのが10日のこれではなかった。 内容は、イラクでの空爆を拡大するという、特に意味のない修辞だけではすまかったので、これまで否定してきたシリア国内での空爆も承認した。ただこれも、当初から軍からも言及されていたことで特に新しい対応計画というほどのことでもない。 彼は加えて、期限の定まらない長期的な対応になるとした。つまり、前回同様、「戦略はまだない」という発言の言い換えのようにも聞こえた。米国民も議員もこの件は

  • スコットランド独立住民投票(レファレンダム)、否決: 極東ブログ

    イギリスからのスコットランド独立の賛否を問う住民投票(レファレンダム)で、予想通りの接戦の末、予想通りに独立が否決された。自分にとっては予想通りの結果ではあった。だが、強い確信を持っていたわけではなく、関心をもって見つめていた。 今回の結果で、スコットランドの独立が否定されたとはいえ、これもすでに書いたが、実質的にはスコットランドの自立化は進み、事実上、独立に近い状態に変わっていくだろう。 一連の動きを振り返って思うことが3点あった。 1つは、労働党の失策である。左派政党の失策と言ってもよい。 この点は日からは見えにくいかもしれない。日政治風土は特殊なので、左翼と右翼、左派と右派、あるいはリベラルと保守といった基的な対立が他の先進国とは異なっている。 国際的には労働者の政党が左派であり、今回のスコットランド独立の動向はその左派である労働党の政策に対して違和の表明という点が大きかった

  • 広島市の土砂災害で心にずっとひっかかっていたこと: 極東ブログ

    広島県広島市で先月20日に発生した土砂災害のごとか、ぼんやりとだが、ずっと心に引っかかっている。 なにが、どう、自分の心に引っかかっているのか、うまく言葉にならないので、さらに心にひっかかる。結論も主張もないが、そのひっかかりの感覚からブログで少し言葉にしてみたい。 心のひっかかりの一つの焦点は死者が多いことだ。正確には思い出せないが、海外報道で、日の自然災害でこれだけの多数の死者を出したのは東北大震災以降初めてのことだ、という指摘を見かけた。海外報道で見ることで、これは大災害だなと私は思った。BBCなどもよく報道していた。 災害後しばらくは死者数が確定しなかった。現時点では、死者73名、行方不明者1名、重軽傷合わせた負傷者44名(参照)とのこと。行方不明者の探索はほぼ終わり、死者数も確定したかに見える。 なぜ先進国の日で土砂災害で多数の人が亡くなってしまうのだろうか。そうナイーブに疑

    広島市の土砂災害で心にずっとひっかかっていたこと: 極東ブログ
  • なぜ従順に殺害されてしまったのだろうか: 極東ブログ

    イスラム教過激派組織ISIS(イラク・シリア・イスラム国)が、人道支援団体メンバーのスコットランド人デービッド・ヘインズ(David Haines)さんを殺害した。13日の報道である。首をナイフで切断するという残酷な殺害である。同種の殺害として3人目になる。 一人目は、8月19日、米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー(James Foley)さん、二人目は、9月2日米国人ジャーナリストのスティーブン・ソトロフ(Steven Sotloff)さんである。 私はフォーリーさんが殺害されたおり、残酷性が弱められたとされる動画をたまたまネットで見た。実際の殺害シーンはボカされていた。断頭後の死体も見なかった。あの動画はあくまで処理されたものだろうと私は思っていた。 その後、「あれは当に処刑の映像なのか」という疑問を投げかける報道を見かけた。もしかすると私が見た映像はISISが流した映像そ

  • [映画]アメリ: 極東ブログ

    なんとなく見逃してしまって、そのわりに関連知識はけっこう知っていたり、その音楽が好きだったりということで、うーん、ちょっと、もう小腹いっぱい感があって、それゆえにますます見逃してしまう映画というのがある。いや、なんか改めて見て、感動しましたとかいうの恥ずかしいな気分にもなるのだけど、でも、よかったっす、「アメリ」。 かなりよかった。実は、昨年の今頃フランス語勉強始めたころ、フランス語ある程度わかったら、アメリは愉しいだろうなという思いがあった。その点はどうだったかというと、率直にいうと、私のフランス語能力ではほとんどついて行けないのだけど、字幕補助に見ていると、なんとなくわかる部分がけっこうある。それにフランス語の響きに違和感がないのも奇妙な感じだった。ちなみに、オリジナルタイトルは、"Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain"(アメリ・プーランの素晴らしい運

    [映画]アメリ: 極東ブログ
  • 率直に聞くんですが、どんなふうに死ぬつもりでいますか?: 極東ブログ

    ツイッターをしていたら「健康寿命」について知らない人がいた。この話は自著にも書いたのになあと思ったが、だからみなさんが知っているというわけはないよな、当然。 「健康寿命」にはそれなりに定義はあるが、ざっくり言って健康に生きていられるまでの年齢というような考えである。いわゆる平均寿命より10年くらい短い。男性だとだいたい70歳くらいまで。 自分も気がつくとけっこう年を取ってしまったので、まあ普通に生活できたとしても、不自由なく動けるのはあと12年といったところ。個人的にやだなあと思うのは、そのくらいまで生きていても、文字の読み書きがまともにできなくなるんだろうな、というあたり。失明はするだろうなあ。 ちなみに平成22年時点の日人の健康寿命はこんな感じ。厚生労働科学研究費補助金「健康寿命における将来予測と生活習慣病対策の費用対効果に関する研究」より。 最新の統計だったかなと、先日発表された2

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  • イエス・キリストに会ってから信じても遅くないのでは: 極東ブログ

    ネットにはいわゆるネタというのがある。ただ話題のための話題というだけで、それ以上の意味はないが、ネタはネタだから話題にしてもりあがろうという不毛な遊びである。 その手のネタにぱくつくのもどうかとは思うが、たまたま「会ったことのないイエスという存在をどうしてキリストだと信じられるのだろうか」というネタを今朝方ツイッターで見かけて、ああ、この人、聖書読んだことないんだなと思った。 ヨハネによる福音書の話である。イエスの弟子であるトマスは当然生前のイエスを知っていた。その意味ではイエスに実際に会ったことがあるが、イエスが処刑されて死んだ後、復活されてキリストとなったということはトマスには信じられなかった。 十字架刑で手に釘をさされ、脇を槍で突かれて死に絶えたイエスがどうして復活するんだろう。そんなわけないじゃないか。イエスが復活したとか言っているやつ、どうかしてんじゃないの。頭おかしいんじゃない

  • 「進撃の巨人」14巻が面白かった: 極東ブログ

    すでに「進撃の巨人」はコミック全巻買って既読のうえ、アニメも全部見ているが、これまでとりわけブログに書いてこなかった。面白いと言っていいのだが、進行中の話と受け取り方の微妙なズレみたいのがまだまだあって(物語の価値観がなんども逆転する)、現状では言及できる段階ではないとも思っていた。が、一昨日発売された「進撃の巨人」14巻はさすがに面白い。ちょっと書きたい気がした。 物語はけっこう複雑で伏線も多い。ほら予想通りでした、などとは到底言えない。逆に予想外で驚いたというほどでもない。そう思わせる緻密な展開もさすがで、同様にこの物語の面白さは多面的だが、一つ、ブログに書きたいなと思ったのは、その比喩性である。 文学的な作品を何らかの比喩として見るのは(特に、現代性の比喩とか)、その手の批評形式は、どれだけ知的な装いをしたところで、つまんないお遊びにしかならない。そうとわかっていながら、14巻の持つ

    「進撃の巨人」14巻が面白かった: 極東ブログ