理系の人間の「僕はオボとは違う」宣言と、似非サッカーファンの「僕はレッズサポとは違う」宣言は醜悪の一言である。 ゴーチが騒動になったときを思い出してみよう。 聾者は上記の二種類の人間のような宣言をあちこちで行わなかった。 それは何故だろうか? それは、あのような宣言が全く無意味であると知っているからである。 マイノリティの生きている世界に「説得」の概念は無い。もしくはあっても非常に小さい。 「説明すればわかってもらえる」などという幻想をマイノリティはとっくに捨てているからである。 そしてまた、「僕はあいつとは違う」という宣言は、自分自身を生き辛くするということも知っている。 「僕はあいつとは違う」とわざわざ言う人間は、「連帯責任」を内面化している証拠でもある。 「連帯責任」という言葉は普通のことをできない障害者にとっては心に突き刺さるものである。 であるから、障害者は連帯責任の概念を意識的