1991年のソ連崩壊で東側との優先的貿易が途絶え5人に1人が失業するという深刻な危機に陥ったフィンランド。 新たなフィンランドの担い手を養成すべく、1995年に大きな教育改革に踏み切った。 この教育改革を立案したのが、若干29歳で教育大臣となったオリベッカ・ヘイノネンだ。 ヘイノネンは1991年に教育大臣顧問となり、1995年から1999年まで教育大臣を務めたのだが、1994年に新しい教育指導要領をまとめた。 この新しい指導要領は120ページほどの薄っぺらいもので、ヘイノネンは、学習カリキュラムや指導法、評価法などを再検討して、必要最小限のモノに絞ったため、従来の3分の1以下になったという。 1995年というと、マイクロソフトのウインドウズ95が発売され、パソコンとインターネットの普及が本格的に始まった年で、この先に世界がどう変わるか予想も付かなかった時期である。 そんな時期に事細かに教育