【重要】2024年10月1日以降のご入館分より、全アート施設でオンラインチケットを導入します。詳しくはこちらをご確認ください。 欧州、そして世界へ 1968年頃から「もの派」が注目を集めるようになる一方で、「何も作らず、モノを持ってきて置くだけ」という嘲笑を含んだその呼称とともに、様々な窮屈さや強い風当たりも感じることになった李は、1971年のパリ青年ビエンナーレに、もの派のアーティストたちとともに参加し、初めて欧州に渡る。 当地におけるもの派の初の発表の場となった本展は、戦後、ニューヨークやロンドンなどに押されアートの中心地としての地位を失ったパリの復権を目指して、初代文化担当国務大臣アンドレ・マルローが創設したもので、ヴェネツィアやサンパウロ・ビエンナーレのように著名作家ではなく、若手に対象を限定して開催。その革新的な方向性は、国別展示という形式自体にも疑問を投げかけ、同年は一部、傾向