判断するのはまだ早い――ネパール人男性殺害事件をめぐって(追記あり)


去る16日に大阪でネパール人男性が殺害された事件についての一部報道で、被疑者が「サッカーボールのように蹴った」と供述しているということが伝えられている。例えばこちら

 殺人の疑いで逮捕されたのは、大阪市の自称・彫り師、白石大樹容疑者(21)と知人で藤井寺市に住む白石美代子容疑者(22)です。2人は16日、大阪市の路上で、ネパール人のビシュヌ・プラサド・ダマラさん(42)の顔などを踏みつけたり自転車を投げつけたりして殺害した疑いが持たれています。2人は警察に対し、「サッカーボールのように蹴った」などと供述していますが、殺意は否認しているということです。

私のツイッターアカウントのTLではこの供述が反抗の悪質さを――すなわちこれがヘイトクライムであることを――示すものと解釈したと思われるツイートがいくつか見られた。
なるほど、「サッカーボールのように」というフレーズは、被害者の人間性を否定する意識から発しているようにもみえる。しかしながら、日本の警察の人権意識がどの程度のものであるかは、当ブログの読者の方であればよくご承知であろう。この事件がヘイトクライムであるという可能性を熱心に追及するような人権意識が大阪府警にあるとはとても思えない。他方で、警察は暴行ないし殺害の手段については被疑者に具体的な供述を要求する。被疑者の供述と被害者の遺体の検死結果が符合するかどうかは立件〜有罪を勝ち取れるかどうかの有力な材料となるからだ。現時点では一般論に基づく推測に過ぎないが、「どういう風に蹴ったんだ?」という尋問に対して、“回し蹴りでも飛び蹴りでもなく、倒れている被害者の頭を、ちょうどサッカーでボールを蹴るような具合に蹴った”という趣旨の説明をしていることがこうした報道につながっている、という可能性は否定できないのではないだろうか。
もちろん、この事件が「ヘイトクライム」と認識すべき事件である可能性は現時点で否定できず、警察および検察がその可能性をきちんと追及することが望ましい(ヘイトクライムであったとしても日本の法制度では特に重い罪に問うことはできないが、量刑判断に及ぼす影響はあるだろう)ことは言うまでもない。だが、警察や検察のリーク情報を鵜呑みにすることがどのような人権侵害につながりうるかを、この数年でわれわれは改めて学んだはずである。この事件のように、被疑者が真犯人であることがまず間違いない場合であっても、「警察や検察のリーク情報を鵜呑みにしてはならない」という原則は維持されねばならないだろう。


21日追記:今日、夕方5時半からTBS系列で放送の「報道特集」でこの事件をとりあげるようです。夕方から少し出かけるのですが、録画予約しておきました。