2014-07-26

アニメカント博士課程無職」の組み合わせは犯罪関係がある

カント愛した元院生、存在感薄く 岡山・女児監禁容疑者:朝日新聞デジタル

監禁事件犯人が、阪大大学院博士課程でカントを中心とした倫理学を専攻していたという報道があり、

当初の報道では「アニメ好き」に焦点が当てられていたこともあり、

ネット上ではカント好きだと犯罪者になるとか報道しないのかね」といった皮肉が多く見られた。

確かに、何か単体のもの犯罪と結びつくという短絡的な発想は戒めなければならない。

アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。

しかし、現実的に何か複数のものの組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべきではないだろうか。

この犯人場合であれば、「カントなどの倫理学哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。

これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う。

実際、哲学倫理学というのは、思考や常識の前提に対して疑問を投げかける学問で、かなり危険(社会性の逸脱という意味で)なのは事実である(「カント危機」という言葉さえあり、クライストはそれで精神を病んだ)

博士課程(しか阪大)に行って、それなりのプライドを持つに至る一方で、周囲がエリートコースを歩みながら、自分はまともな職を得られないというのは、精神的にきついのは事実である

美少女アニメというのが、現実のつらさを忘れさせてくれるもので、容易に現実逃避対象となり、それが現実対処能力を下げうる危険性があるのは事実である


もちろん、これら単体と犯罪を結びつけるのは戒めなければならない。

いわゆる「カント危機」と称される精神的危機を乗り越えて、独自の哲学思想を築き上げた哲学者思想家は枚挙に暇がない。

博士課程に行くも、周りはうまくいく一方で自分就職に失敗し、生きる気力をなくしてしまうも、その挫折を乗り越え、その後の自分人生を誇り高く納得して歩んでいる人は数え切れない。

美少女アニメを楽しむことと、現実社会とうまく付き合っていくことを両立させている人は、必ずあなたの周りに一人はいるだろう(隠しているかもしれないが)。

から、これらを犯罪と結びつけるステレオタイプ排除しなければならない。

しかし、これらの組み合わせが、今回の「少女監禁」という犯罪に至った心理的要因ではなかったか意見を述べることがタブーであってはならない。

事実として、複数の状況や要素の組み合わせは、共同体常識規範を乗り越えさせ、犯罪を犯す要因となるのだ。

僕はあの秋葉原加藤供述を読んだときにもそう思っていた。単体要因の「非モテ」でも、「母親との関係」でも、「職場でのトラブル」でもなく、それらの組み合わせが犯罪へと向かわせたのだと。

あるいは、また思ったのだ。「灘・ハーバード楽天」という組み合わせが悪いのだと。別に、灘や、ハーバードや、楽天が悪い訳ではないと。

どれか一つ、それが「公立高校」であったり、「慶応」であったり、「Google」であったりしたら、こんな女性トラブルを起こさなかったのではないかと。

ある単体の要素と、そこから人物判断をイコールで導き出してしまうのは、単なるステレオタイプである

しかし、複数特定の要素や経験の組み合わせというのは、明らかにある種の心理的状況を生む原因となりうる。それは事実である

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<追記>

"容疑者は、他者を道具化したいとの傾向性を克服すべくカント敬愛していたが、ついに自己傾向性に負けた、とするのが妥当解釈容疑者カント親和性は明らか"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492910624356065281

"実際にカントはこういうタイプ人間たちに向けて倫理学を書いたとすら言えるのではないか。事件カント無関係風評被害と言ってる人はちゃんとカントを読むべし"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492911628392742912

こういうのは匿名ダイアリーで言っても耳を傾けてもらえないが、実名哲学教授が同じようなこと言ってくれると信憑性が増すなぁと思った。

カント好きは犯罪者」と「犯罪を起こした彼の心理の中で、その行動とカントへの偏愛とのつながりがありうる」は全然違うんだよ。何か前者とともに後者タブーにする傾向が最近見られるのが好きじゃないのでこのエントリーを書いた。

そう、今分かったけど、この前者と後者が混同されつつあるのが嫌なんだ。あと、俺は偏見を生みたい訳ではなくて、同じカント好きとして、彼の心理を理解したいからこう言っている。

カント犯罪関係あるわけない」と簡単に言い切ってしまえる人は、彼の心理的状況を真剣に考えたくもないのだと思う。

博士課程まで行ったけど年も食って就職がうまくいかないだとか、カントへの偏愛だとか、アニメポスターを部屋中に貼るとか、彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣想像してみようとも思わないのだと。

彼が美少女誘拐を行おうと思った時に「傾向性」という言葉がよぎらなかった訳がないのだ。

もちろん、犯罪者の心理なんて理解したくも想像したくもないという立場はそれはそれでありだとは思うが。

から、僕は秋葉原加藤も、許されざる殺人をしたのは事実だけど、「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と僕は共感(empathy=in+pathosという意味で)してしまうのだ。

コメントを見ると、僕の表現ゆえだろうけど超誤解を生んでいるし、誤読から変なステレオタイプを生みそうなので、このエントリーは消そうかなと思ったけど、一応残しておく。

まりさ、ジョブスが言った「connecting the dots」に近い話なのよ。人はある特定の要素や経験を結んであるストーリーをつくり、自分自身を把握し、ある行動を起こす。

彼の中で、アニメカント就職できなかったことというのは、何らかの形で結びついて、あるストーリーができていると思う。

もちろん、彼の供述を待つ必要がある。でも、それは明確に意識されていないので供述されないかもしれないとも思う。これはインタビューしてみないと分からない。

とにかく、これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だろう。

もちろん、そのつながりというのは「恣意的」に行われる。経験は無数なのだから、どれをつないで自分ストーリーを作るかは恣意的だ。僕も勝手に彼のドットをつないで彼のストーリー仮説を作っている。

から、「アニメ好きで・カント好きで・博士課程無職」に加えて「恩人との出会い」というドットさらにつないで、挫折を経た最高の人生ストーリーを描いている人も恐らくいるだろう。あるいは「博士課程無職」を何らネガティブドットとして捉えない人もいるだろう。

どんなに否定的ドットの積み重ねにも、肯定的ストーリーを描く人はいるし、あるいは、肯定的ドット一つで人生展望ががらっと変わるというのはよくある話だ。

だけど、今回犯罪を犯した彼はどうだっただろうか、「カントへの偏愛就職失敗や美少女アニメ好きは彼自身の心理の中では少女監禁を起こすに至るような関係があったのではないか」と考えるのは、否定されることだろうか。

人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う

あと、カントは「他者手段としてのみならず、目的としてとらえよ」と言っているのは有名だし、傾向性に逆らえと言っているのは常識として書いたので、そこに誤解が生じたのかもしれない。

そんなカント言葉に彼がなぜ惹かれたのか、彼自身が善きこととは何かという問いを抱えていたからだろうか、最終的になぜカント言葉に従えなかったのか、などと考えるのは彼の心理を探る上で重要だろうとやっぱり思うし、それは哲学的な問いでもあると思う。

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