2013-06-05

生活保護嫌悪メカニズム

片山さつき×安田浩一 生活保護に関する対談 「本当に困窮して三食食べられない人がどれくらいいると思う?ホームレス糖尿病になる国ですよ」

http://togetter.com/li/511918

 やや旬を過ぎた話題かもしれないが、このまとめを面白く読んだ。

 片山さつき晒す無知と無理解にツッコミを入れる読み方をした人が大半だと思うが、この対談における片山さつきの発言から生活保護ネガティブな反応を示す者の抱える典型的感情を探るという読み方もできるというふうに思った。その意味でこのまとめは大変面白い

 生活保護嫌悪者の典型的感情が最もよく表れていると思う発言は以下だ。

『私は自力で大蔵省に入りましたよ。問題は自力で頑張った人と頑張らなかった人に差がつかなかったら、誰も頑張らない』

 努力の差に対して結果の差をつけることにより努力することの動機付けを高めるべきだ、という趣旨の発言だが、「私は自力で大蔵省に入りましたよ」という言葉からは別の側面もうかがえる。それは社会はどうあるべきか、という大きな話ではなく、もっと個人的な感情だ。

 ずばり言おう。生活保護嫌悪する者が抱える典型的な考えはこうだ。

『私は多くの努力をした。だから、その対価としてより多くを受け取るべきだ』

 こうである

 自分努力を認めてほしい。そんなプリミティブな感情生活保護嫌悪者の根底にある。

 努力というのは支払いである。より多くの努力を支払えばより多くの報酬を受け取ることができる。より多くの練習をすれば試合でより良い成績を残すことができる。より多くの勉強をすればより良い大学に入ることができる。あまり勉強をしなかったAさんと一生懸命勉強をしたBさんならばBさんのほうがより良い大学に入ることができる。そのようになっていることが正しい。そう彼らは考える。

 これが彼らにとって正しいのは、人々の努力することに対する動機付けを高めたほうが社会にとって良いからというわけではない。彼らはそんな理屈を口にするかもしれないがそれは頭の中でこしらえたものだ。より努力した者がそうでない者よりより多くを受け取ることが彼らにとって正しい理由、いや、正しくなければならない理由は、単純だ。権利意識のためである

 彼らは例外なく「自分はよく努力をした」と思っている。多くの努力を支払ったと思っている。支払いに対して対価を受け取るというのは実に正当な権利だ。だから自分が支払った努力に見合う対価を求める。

 ここで重要なのが、彼らの求める対価が「これだけのものが私に必要なのでこれだけのものが欲しい」という絶対的基準によるものではないということだ。あくまで彼らは「努力に見合う」対価が欲しいのである。それは相対的な基準による。仮に10努力をした者が10の対価を受け取っているならば、100の努力をした私は100の対価を受け取る権利がある。もちろん他の人が1000の努力をしたならばその人は1000の対価を受け取る権利がある。彼らはそのように考える。

 もちろん実際には努力量を数値化することはできない。自分10分の1しか頑張っていないように見える人がいたとしても、その人が本当に自分10分の1の努力しかしていないのかはわからない。

 しかし、仮に自分10分の1の努力しかしていないように見える人間自分の半分の対価を受け取っているとしたら(この場合対価=年収と考えるとわかりやすいだろう)。おそらく、自分が受け取っている対価が正当な権利の5分の1しかないように感じるのではないだろうか。本来自分はあの人の10倍を受け取る権利があるはずなのに実際には2倍しか貰っていないのだから

 あるいは努力の払い損だと感じることだろう。自分10分の1の努力自分の半分の対価が受け取れるのであれば、自分が受け取っている対価に見合う努力量は現在の5分の1だ。不必要に5倍の努力をしていることになってしまう。

 このとき、あの努力していないように見える人間も私の見えないところで努力しているのだろう、と考えられたら幸いだ。しかし、その人が働かず毎日パチンコばかりしているような人だったら。見えないところで努力しているのだというストーリーを信じることはできないだろう。そして、権利侵害されたという感触が鮮やかにに残る。その人が多くを受け取ることにより、私の受け取る対価の価値は目減りしてしまったのだから。私は無駄努力の支払いをしていたことになってしまうのだから

 この権利侵害されたという意識、そして己の努力が否定されたという意識生活保護嫌悪者の根底にあるものだ。

 この意識はその人の実存に深く関わることであり、簡単に否定できるものではない。自分が費やした努力価値を否定できるほど強い人間などどれだけいるだろうか。だから、いくら生活保護重要性を論理をもって説いたとしても、こういった被害者意識を持つ者には決して響かないだろう。彼らは「正直者が馬鹿を見ない社会を」というあのお決まりの文句で被害者意識をアピールし、対話は平行線上を辿る。

 説得の文句としては「生活保護現物支給にしても余計コストがかさむだけだ」なんてのは最低だ。なぜなら彼らは努力していない者の待遇を悪くすることにより自分権利を守ろうとしているのだから。そのためならコストなど二の次三の次に決まっている。

 これまで様々な生活保護制度を擁護する言説を見てきたが、この生活保護嫌悪者の被害者意識解体できるようなものはいまだ見たことがない。私としてもこの被害者意識を解きほぐせるような理屈というものは浮かんでこない。

 果たしてどうしたものか。

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