2009-10-24

コメントへのレス

http://anond.hatelabo.jp/20091024145924

についたコメントへのレスをいくつか。

「お互いに立場が違うので議論も平行線

確かにそうなのかも、と思った。

もともと会社員をやっていたのを親の引退を機に地元に戻って今のところを継いだのだが、立場の変化によって考え方も変わることを実感している。会社員をやっていた時代は、こういう話を「許せない」と感じていた。

しかし経営者になると守るものが格段に増える。自分の生活と社員の生活を守るために、顧客との関係も守らなければならない。文字通り、死守しなければならない。生産性を上げると同時に会社としてのリスクをいかにして発見・回避していくかを考えるのが日々の生活の中で大きな部分を占めている。

「社名を晒せ」

わたしは実際にこの彼の面接を行ったわけではない。

社名を晒す義務は特に感じていない。

晒せ、との論拠を沿えた上で自分の氏名や勤務先を同時に述べる覚悟があるのかをこちらからも問いかけたい。

差別を助長」「立派な宗教差別

「同じ理屈職業差別とか部落差別とか外国人差別ができるライフハックオブラートに包んでる分、こちらの方がより醜悪」

その通りだと思っている。こういう判断をする経営者がいるからよくならないのだということはわかる。


では職場で、あなたの隣の席に座っているあの人が、ある特定の宗教信仰しており、困惑するあなたに執拗な勧誘を続け、選挙で特定の候補者投票するよう周囲の選択に干渉するようなことがあっても、なお同じことが言えるのかを問いたい。

「勧誘するかどうかは人それぞれ」

創価という組織に対する差別と学会員個人に対する差別はまったくの別物」

その通り。

だからこそ、あえて考えうる最悪のケースを問うているのだ。

逃げずに、真摯に考えてほしい。



部落差別について言及するコメントがいくつかあったが、部落出身者への就業における差別にはこのような構図があったことを今理解しているところだ(だからと言って許されるものではないこともわかっている)。わたしは部落出身者にも同様の考えを適用させるのかと言うと、たぶんしない。時代が変わったからだ。現代における部落差別の問題とこの問題は、似てはいるが背景が違う。

では外国人なら?これは悩む。国籍によるところも大きい。場合によっては宗教と同じく「差別」することも出てくるように思う。

こう考えると「文化価値観」の異同がひとつの判断基準になっているようだ。

だいたいおしなべて既存の社員とも客先とも「うまくやっていける」と確信できる人ならば、そこまで心配はしない。

そこに出自は関係ない、というのはきれいごとではなくそう思う。

問題は採用までの間に、その「確信」をつかむチャンスが少ないということだ。

トラバにもあったが、面接の段階でこれを見極めるのは非常に困難だ。

「だいたい、こういう人なのだろう」と推測することしかできない。

人と人との有機的な付き合いというのはいつだってそういう側面を持っている。

あえて「有機的」と書いたが、職場での人間関係というものは非常に有機的なものだ。

家族や古くからの友人とはまた違うが、確かに人と人との関係が形成される場だ。

互いに互いを無機物部品や道具のように扱いながらうまくことを進めてゆくことは不可能であると思う。

ビジネスの場で宗教の話を持ち出すな、と言えばいいだけのこと」

では経営者に許された線引きはどこまでとお考えだろうか。

職場にいるときはとにかくご法度、休憩時間ダメ

通勤時間ダメ

職場での飲み会でもダメ

休日に、同僚と集まって遊びに行くときもダメ

すなわちこの論理で「仕事がらみの人間にはその手の話をするな」と言うならば、プライベートの領域にまで足を踏み込まなければならなくなる可能性が出てくる。

それこそ真正面から「パワハラだ」「宗教差別だ」と糾弾されるべき行為である。

(蛇足だが、最近「飲み二ケーション」についてのエントリが賑わっているようだが、わたしは会社員時代にこれで何度も面倒な思いをしてきたので自分はやらないことにしている。)

その人の価値観信条を完全に理解できるような面接試験のやりかたがあるのならば、ぜひ教えていただきたいと思っている。

圧迫面接は確かにその人の資質を試すひとつのやり方ではあるが、では宗教文化価値観信条といった、本来ならば雇用者が踏み込んではならない領域を見ることのできる圧迫の仕方が果たしてあるのだろうか。そもそもあったとして、そのような面接が許されてよいのだろうか。

重ねて言うが、わたし個人は創価に対して何の恨みもないし、友人が「実は学会員でした」と言ってきても、そのこと自体で友人に対する印象を変えたりすることはないと思う。幸福の科学に一家で入っている知り合いもいる。そことは家族ぐるみの付き合いで、おうちの都合でお子さんを一時的に預かることもある。わたしにとってその時間はとても楽しみな時間だ。彼らがうちの家族を勧誘したことは一度もない。お互いに「そういうものだ」という認識で付き合っている。

申し訳ないが、反論する方々のレスからは「所詮、他人事なんだな」という印象を受けるに留まっている。

他人事でないレスがほしい、と思っている。

追記:

差別反対は建前でしかない印象」

とのコメントについても。

わたし個人は上に書いたとおり宗教で人を差別するような生き方はしていないが、その人間性すら否定されたようでこれには残念な気持ちになった。

何らトラブルの心配がないのであれば、採用時に思想信条には関わらない、というかこだわってはいけない。

にもかかわらず経営者としてこのような選択をする理由はなぜなのか、について今書いているところだ。

断片的に拾い上げればそれはさまざまな解釈ができるだろうけれども、全体を通じて「マイノリティは排除すべし」という意味のことは書いていないし考えてもいない。マイノリティであろうがマジョリティであろうが仕事に影響がなければ一向に構わない。今回の内容は職場の秩序維持の観点から不安材料があるので看過できないということを先ほどから言っている。「マイノリティ」という大雑把なくくりで話を広げすぎないでいただきたい。

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