ニュースをみて身内の事を思い出した。
> 「母の日」の翌日、5月12日には、「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んで
> くれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません。
> 母の涙が耳の奥で響いているのです」と記していた。
弟が昨年の6月に、川田さんとおなじ、ちょうど29歳でなくなったのだけれど、
母親が言うには、自殺する少し前に「おかあさん、どうして僕を産んだの」ときいたそうだ。
子供のようになって、そして、赤ちゃんのようになって、そして、霧雨が一日中降り続ける
ある日、そっと家を出て自動車の牽引ロープで首を吊って死んだ。
そんな質問をした時の弟はどんな気分だったのだろうか、と考えたことはあったけれど、
その質問を突きつけられた時の母親の気持ちというのを想像したことが
なかった。
男である自分にはは想像がむりかなともおもうけれど、自分がうんだ子供が自殺する
ときの母親の気もちを想像できたから、その人は「悪魔になった」と書いたのかなと
おもった。
弟が亡くなった次の日に、僕が実家についたとき、
照明も付ける気が起きない暗い家の中で弟が寝ていて、父親が子供のように泣いていた。
でも、弟にワイシャツを着せて首にネクタイを巻いてくれたのは父親だそうだ。
痛々しい痕を見せなくして、きよらかな寝顔にするために。
雨上がりの「その場所」をそっと訪れたとき、小さな山の一番上にあるその公園が、
兄も、ぼくも弟も育ったこの街中をみわたせるその場所が、まるで天国のような清浄な
場所に思えたのを思い出した。
自殺に対する客観的な意見として言えるのは ・人間の行動全ては完全にコントロールできない ・死にいたった理由は、自殺を図ったその人にしか理解出来ない の二点かな 主観的な意見...