最初の鄭重なる書翰往復
パリの会合
ロンドン到着
嵐の前
宣戦布告
ルソーの言い分
永遠の袂別
『争論文書』の公表
弥次馬
健全さの悪
ルソー英国を去る

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
悪魔と裏切者: ルソーとヒューム (ちくま学芸文庫 ヤ 23-1) 文庫 – 2014/11/10
このページの読み込み中に問題が発生しました。もう一度試してください。
ルソーとヒュームのどうしようもないケンカの記録。いったいこの人たちはどうしちゃったのか。二人の大思想家の常軌を逸した言動を読む。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2014/11/10
- ISBN-104480096418
- ISBN-13978-4480096418
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2014/11/10)
- 発売日 : 2014/11/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 248ページ
- ISBN-10 : 4480096418
- ISBN-13 : 978-4480096418
- Amazon 売れ筋ランキング: - 758,572位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中3.9つ
5つのうち3.9つ
5グローバルレーティング
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星5つ32%27%41%0%0%32%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星4つ32%27%41%0%0%27%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星3つ32%27%41%0%0%41%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星2つ32%27%41%0%0%0%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星1つ32%27%41%0%0%0%
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中にエラーが発生しました。ページを再読み込みしてください。
- 2019年7月6日に日本でレビュー済みAmazonで購入18世紀二都物語の前、啓蒙思想がアカデミーを騒がせていたフランス革命前のパリで、その著エミールにより高等法院から逮捕状を突きつけられる前にイギリスに亡命したルソーと、その世話を知故の伯爵夫人から頼まれたスコッチ、ヒュームの邂逅から決別までを、ヒュームが公開した書簡により順を追って知らしめる一冊です。ルソーとヒュームがいっぺんに来て持論ならぬ感情をぶつけた記録は、他では読めないでしょう。
- 2014年11月19日に日本でレビュー済みAmazonで購入本書は元々「昭和24年」に「創元社」から刊行された原著(234頁解題末尾より)が元になっており、次いで1978年に河出書房新社からも発行されたようである(巻末扉頁より)。恐らく本書は後者の復刊と見て良いだろう。しかし(書簡訳出を除けば)その筆致は多分に文語的表現が見られるところ、78年版の内容を知るものでないが、原著の雰囲気が垣間見える。さて本書のタイトルでは些か抽象的で、デイヴィド・ヒュームとジャン−ジャック・ルソー(以上表記は本書に従う)の『争論』、砕けて言えば絶交にまで至った「ケンカ」の経緯を、その往復書簡を中心として両者の葛藤を観察するものと言えるだろう。このページの「商品の説明」には、「ルソーとヒュームのどうしようもないケンカの記録……二人の大思想家の常軌を逸した言動を読む」とあるように、彼ら2人の往復書簡を読み説いていくと、徐々にと言うよりも唐突に2人の意図・認識・感情等の(正鵠を射た表現とは言えないが)行き違いから対立に発展する。本書ではこれを「ケンカ」と捉えるが些か一面的であろう(理由は後述する)。本書の構成・内容は、同前「商品の説明」及び「目次を見る」に譲るが、2人が知り合う経緯からの背景事情の解説から概ね時間軸に沿って2人(及び友人など関係者ら)の書簡を取り上げ、適宜解説や背景事情などを加えて「ケンカ」の真実(原因)に迫っていく。
著者は「はしがき」の冒頭において、歴史的にも18世紀に活躍したイギリスとフランスの同時代の2人の思想家について、「論争ではなく、実は喧嘩であり感情の衝突である」と評する。本文では各書簡の間における他の事実関係や背景事情(特に書簡以外でのヒュームの動静など)の叙述が少ないのがもどかしいところだが、私見では通読する限りーー2人及び関係者らの(往復)書簡、『争論文書』(における注意書ほか)、解説に観る事実経緯などをできる限り予断を持つことなく中立的に観る限りーールソーの言動(書簡他に見える自己行動の認識)には、尋常ではない情況がしばしば散見される。著者はルソーに同情的であるが(191頁以下参照)、ヒュームが善かれと思いルソーのイギリス滞在のため奔走したことを忘れたかのように、ルソーは突如として驚くべき対応(「絶交」)をする。 ヒュームのルソーに対する熱心な応対の真意を推し量るべき事実関係は見えないところ、 著者はルソーの「絶縁状」における「その言い分が、一応心理的な整合性を持っている」(191頁)と述べているが、私は俄には首肯しかねるところである。例えばヒュームがルソーの生活費の一部に充てる意図から、その縁故を頼り「国王」に働きかけ「年金」の「下賜」の内諾を得るが、ルソーの(仲介者への)返答は“婉曲に断っている”ように見える(68〜70頁参照)。ところがこれに驚いたヒュームが数度書簡で問い合わせるもルソーからは“無しの礫”であり、有名な7月10日の長文の「絶縁状」において、「永久にご辞退するというのではなく、唯今のところはおうけいたす訳には行かない」等と、現在の社会通念から観ても独善に過ぎる言い分を披露するのである。
ルソーの晩年の著書『告白』について本書は多くを語っていないのが惜しまれるが、ヒュームが夢を見てうなされ「ぼくはジャン−ジャックをつかまえた」と寝言を叫んだとする一件(37・133頁)、ロンドン到着先の家人からの「侮辱」を受けたと言う主張(106・166頁)、「年金」の「下賜」に奔走したヒュームに対する無礼極まる邪推(132頁)等から推察すれば、ルソーの当時の客観的(人格的)情況は押して知るべしであろう。ルソーの客観的(人格的)情況については現在ではつとに知られるところであり、かかる事情を精査しないで「ケンカ」や「感情の衝突」等と評するのは皮相的であると言わねばならない。「解題」で小林忠秀氏が言及しているが、ヴォルテールがルソーの『エミール』の批判に際して、ルソーが「三三歳のときから……下宿の……テレーズ・ル・ヴァスールと内縁の関係にあったが、五人の子供を全部、養育院の戸口に捨てていた」と言う事実を取り上げことを述べている。ヒュームにしても或いはこの騒動に関係した誰もが、恐らくルソーの客観的(人格的)情況を的確に認識しえた者はいなかったのではなかろうか。時代の限界でもあろうが、それがルソーにとっては結果的に不運を招いたのかも知れない。本書本文や解説でも右事情を婉曲に指摘する筆致が散見されるが(86・150・236頁ほか)、当時ルソーの右情況を認識しえなかったであろうヒュームが、『争論文書』(の公開・出版)をダランベールに託したことを厳しく咎める(192〜194頁)のは些かヒュームに酷であろう。ちなみにルソーは一方的(身勝手)な絶縁後に、自ら拒否したとも言える「年金」を、その「下賜」の実現に努力したヒュームの排除を条件にして先の仲介者に求めるという行動をするのだが、ヒュームは一方的に絶縁されてもなお陰ながらこれに協力しているのである(197頁)。こうした事情を鑑みれば、当時のルソーの客観的(人格的)情況の精査及びヒュームや周囲の認識を顧慮することなく、ヒュームの功罪を現象面に拘泥して表層的に(「裏 切 者」だとか“偽 善 者”のように)語るのは正鵠を射るものとは思えないのである。
- 2014年11月21日に日本でレビュー済みタイトルを見て思わず即購入。
中身は18世紀の大哲学者ルソーとヒュームの書簡での大喧嘩(笑)。
喧嘩の始まりは、祖国を追われたルソーを温かくイギリスに迎えたヒューム。
しかしルソーの激しい思い込みから友情が破綻。そこから喧嘩がスタート。
ページが進むにつれて、罵りあいはエスカレート。2chも真っ青な放送禁止用語のオンパレード(爆)
近代哲学を別角度から突き詰めた2人だから起きた喧嘩。
読んで笑ってもいい哲学書です。
2人の思想を勉強してからの方が、尚楽しめます。
- 2016年7月14日に日本でレビュー済み裏表がなく、人を愛することに飢えているヒュームと、裏表がない人がいることが信じられず、人に愛されることに飢えているルソーの運命的で悲劇的で喜劇的な出会い。ヒュームはイギリスの保守思想源流の偉大な思想家、一方ルソーは「苦痛のない世界」を世界の人々に夢想させる悪魔的な著作を残し、人類をある意味解放し、多くの人を死に至らしめたある意味偉大な思想家。対称的な二人がなぜかくっついてしまった。それはうまくいくはずがない。ルソーは、100%人を信じたい人。いくら正直者で根っからの善人のヒュームでさえ、その期待には応えられるはずもない。1%の疑惑がどんどん妄想的に広がっていく。この対決の延長線上に、明治十四年の政変がある。保守思想家井上毅と日本の啓蒙思想家(つまりサヨク思想家)福沢諭吉の表面では見えない対決につながっていく。この本を読んで、ヒュームに共感できる人は保守思想の人、ルソーに共感する人はサヨク思想の人と鑑別に使えるかも。