アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(13)花崎皋平「生きる場の哲学」

本を読む意図からして、内容重視で書かれている論旨や論述展開や細かな情報そのものに関心の価値がある場合もあるが案外、内容などどうでもよくて著者の人柄に魅せられ、その本の書かれていること全般に心惹(こころひ)かれる場合もある。また、そういった著者の個性の人柄がにじみ出た本の場合には、しっかりした論文集や完成した小説ではなくて、その人主宰の雑多なバラエティ・ブックのような、論文があり書評があり創作もあり、インタビューもあれば対談もあるし複数参加の座談もある、著者本人とその人の師や友人らが多く出てきて内容も様々でなかなか要約しづらい幕の内弁当のような雑多な内容構成ではあるが、しかし著者の人格の人柄で全てがつながっている、そうした体裁の本が多い気がする。

岩波新書の黄、花崎皋平(はなざき・こうへい)「生きる場の哲学」(1981年)も著者の魅力がにじみ出た内容雑多な著者主宰によるバラエティ・ブック的本で、私は一読後にも昔からなぜか強く印象に残ってしまう看過できない新書なのである。

「あとがき」にて著者の花崎が書いているように「この仕事は、わたしのはじめての書き下ろし」であり、「お読みくださった方のなかには、小冊子のわりには内容があれもこれもと欲ばりすぎ、詰め込みすぎではないかとのご批判がありそうに思えます」で、確かに内容は「欲ばりすぎ、詰め込みすぎ」で話もあちらこちらに飛んでスッキリとした要約や書評は困難な一冊だ。具体的にどういった所がこの本の良さなのか、また逆にどういう所が難点なのか、バランスシート的に無理をして指摘しようと思えばできるのだろうけれど、そういった細かな事はどうでもよい。

岩波新書「生きる場の哲学」は副題が「共感からの出発」となっている。原理的にいって「共感」というのは社会的弱者、現代社会にて抑圧された人達、底辺にいることを余儀なくされている人々に対する人間的な、ある種の精神的感応なのであり、そういった姿勢の出発点となる「共感」すべき人々が本書には多く登場する。例えば、アジアの底辺の生活人民ら生活ぎりぎりの水準のその日暮らしを強いられる人々、日本国内の在日朝鮮人やアイヌの人達、ベ平連の同志、伊達火力発電所建設反対運動の地元の住民(著者は北海道在住で伊達火力発電所反対運動に参加している)、広島や長崎の原爆被害者、水俣の患者ら、成田の東京国際空港建設反対の三里塚・芝山連合空港反対同盟の同志らである。

花崎皋平はマルクス「ドイツ・イデオロギー」(1845年)の訳者でマルクス主義者なので、「共感」や「思いやり」を説く際にそれが「思いやりイデオロギー」になること(「思いやり」の優しさや同情を表面上示しただけで、不均衡で非人道的な現実の過酷な支配体制の改革に何ら乗り出さず、そのまま現状維持の態度を貫くこと)を十分に警戒する氏の態度を最低限、確認した上で後は本書を自由に思う存分に読み散らかしたい。社会的弱者に対する「共感」や「思いやり」強調で陥るイデオロギー的罠を、とりあえず確認しておきたい。すなわち、

「共感は、現代の日本国では『思いやり』イデオロギーとして、階級融和の幻想に人びとをからめとるために使われてもいる。功業をなしとげたブルジョアジーの代表者やそれに尻尾をふる学識経験者たちによって、きまったようにくりかえし、この『思いやり』精神が鼓舞される」

他者への「共感」や「思いやり」が治者によりイデオロギー的教説に使われることに対し警戒を露(あらわ)にする、いかにもマルクス主義者らしい本新書での花崎による文章ではないか。マルクス主義の良いところは、ある思想や言説に対し、近接して内在的に読み解き明らかにしつつも、次の瞬間には即反転して今度はかなり離れた遠方からその思想言説が時代状況の中で果たすイデオロギー的役割を総体的に冷徹に捉えることができる、遠近の自在性にある。

ただ、この花崎に限っては社会的弱者や社会の底辺の人々と接するうちに「言語の過剰を批判して、身体性を軸とした思想を組み立てる、さまざまないとなみ」を学んだ結果、私は「理性への信頼、知識と技術の習得を至上の価値のようにいう…『マルクス曰く』の自分の文章がはずかしくなった」とまで述べているから、さらにマルクス主義の理性的言説を離れ射程の広いより遠くへ踏み出していることも確かだ。しかも、この人はもともと北海道大学の教授であったのに中途退官し、一市民として執筆したり地域の運動に参加したりしているから、氏の実際の生活において氏が言うところの「保身と出世」を投げ棄(す)て自身の生活を賭(か)けて、そして人間が生きて生活する場の「根拠地」の根っこは大切にする他者との「共感」や「思いやり」の内実、花崎が発する言葉の文章の重みは果てしなくどこまでも重い。定年まで待たずに自主退官し、大学での「保身と出世」の道を絶っての市民運動・地域活動への献身というのに私はひたすら頭が下がる思いである。

また「共感」や「思いやり」について、自身の経験からその大切さを主観的に延々と循環的に語る独りよがりの説教にならず、ルソーの「憐れみ」やスミスの「共感」の概念定義に言及して内容を深める学問的裏付けある記述もよい。それからルソーやスミスから経済学史のスミス研究の内田義彦、社会科学のヴェーバー研究の大塚久雄に話が広がっていくのだ、これが(笑)。この辺り、著者による内田義彦のスミス論の読解解説など、花崎皋平「生きる場の哲学」の読み所ではないかと思う。

最後に、この「共感」や「思いやり」をめぐる今日的課題について私が気になることを軽くまとめておくと、社会的弱者や底辺の人々に対し「共感」や「やさしさ」を持つことは思想や理念の点からして何ら異論はない。ただ思想の言葉以前の肉体や感性や感情の次元からして、どうしても「共感」の「共生」では認められない言語以前の他者に対する違和や時に不信の思い(特定人物に対する生理的嫌悪や苦手の意識で、どうしても馴染めない人の存在など)が、人により内心生じてしまうことも確かだ。こうした「共感」や「共生」に関する「実感からして自分としては、どうしても連帯できない人達が世間には少なからずいること」について、言葉以前の限界を冷静に了解しておくことも大切だ。

しかしながら、その一方でそういった「共感」の齟齬(そご)の感性的・感情的違和を異常に拡大解釈し、「やはり共感など所詮は理想論のキレイ事のウソ。人間は本来的に自分の事だけが大切なエゴイスティックな存在でしかない」と開き直る露悪な本音主義が社会世論の本流になってきつつあることにも注意したい。加えて現代国家や企業資本は「共感や共生を『思いやり』イデオロギーとして、階級融和の幻想に人びとをからめとるために使う」など、そんな遠回しで回りくどい面倒なことは今の時代にはやらない。例えば、隣人への家族愛や郷土国家への「思いやり」の愛国心で人々を国家主義に動員したり、職場での「思いやり」封建的人間関係のパターナリズムの強要で現状の過酷な労働環境を正当化して労使関係の対立緩和を謀(はか)ったりなど、現在の国家や企業は、そうしたことはしない。むしろ、前述の露悪な本音主義に乗っかって共感・共生よりは個人のエゴを称揚した上で、社会的弱者擁護よりは今や「公正な」競争是認や「社会的弱者になるのは自己責任」の自己責任論の横行にて当たり前の階層秩序強化の方向にシフトで、社会的弱者の救済や社会の底辺の人々との連帯可能性は常につき崩されつつある。共感・共生成立の契機は現在、非常な苦境に立たされているといってよい。

そういった思想理念の言葉以前の「共感」への個人の感性的な違和の問題、それにつけ込んで共感・共生を全否定する露悪な本音主義の社会的風潮と、さらにその「所詮、人間はお互いに分かり合えないエゴイズム単体」の開き直り本音主義な社会風潮に便乗して人々の共感・共生の連帯を挫(くじ)く、現代国家や企業資本のあり様にどう対処し対抗していくか。共感や共生の問題は、静的で固定的な定番紋切りの説教テーマではなくて、時代状況や社会的趨勢(すうせい)、国家や企業資本のあり様の、いわゆる「相手の出方」を見定めてから対応する極めて状況的で流動的な思想的課題である。「共感」と「共生」の重要性をただただ固定的に説くばかりでなく、時代の風潮や国家・企業資本への動的対抗事案をいかに勘案し自らの「共感・共生の哲学」の内に繰り込むか、花崎皋平にとっても私達にしてもいい加減ひとつの考え所ではないかと思う。

「生きる場の哲学・共感からの出発」(1981年)から、この後も「アイデンティティと共生の哲学」(1993年)や「共生への触発・脱植民地・多文化・倫理をめぐって」(2002年)など、「共感・共生の哲学」を一貫してブレずに唱え続ける花崎皋平であるから、そのような時代状況の中での動的対抗事案たる「共感・共生」の思想的課題への戦略について、後の氏の著書にて果たして言及があるかどうか、もし言及があるとしたらどのように扱われているのか各自、追跡し見極めると面白いに違いない。

このブログ全体のための最初のノート

今回から新しく始める「アメジローの岩波新書の書評」。本ブログ「岩波新書の書評」は全7カテゴリーよりなります。「政治・法律」「経済・社会」「哲学・思想・心理」「世界史・日本史」「文学・芸術」「記録・随筆」「理・医・科学」です。

お探しの記事やお目当ての新書・著者は、本ブログ内の検索にて入力でサーチをかけて頂くと出てきます。

最後に。大江健三郎による1960年代の最初の全エッセイ集「厳粛な綱渡り」(1965年)初版の単行本は二段組で全500ページほど。大江の1960年代の思想と文学と行動と生活がこの一冊にびっしり細かに丁寧に書き込まれている。評論・書評・ルポルタージュ、講演・インタビュー、広告文・コラム、日記・雑記…内容は多彩である。「何でもあり」なバラエティブックの様相である。書籍自体も辞書のようで非常に厚くて重い。私は本書を日々携帯し繰り返しよく読んでいたのだが、本書の書き出しは「この本全体のための最初のノート」であった。全六部を経ての巻末は、もちろん「この本全体のための最後のノート」である。大江健三郎「厳粛な綱渡り」全エッセイ集は私にとって昔から非常に感じのよい、もはや手離すことの出来ない極上書籍で愛読の内の一冊だ。

大江「厳粛な綱渡り」の「この本全体のための最初のノート」の中で「どのようなエッセイが良質なそれか」という問いに、大江健三郎は次のように答えている。「権威の声でかたっていない赤裸のエッセイであるにもかかわらず、あきらかに人間的な威厳の感じられる文章である」と。「そしてそのような文章にいたることがもっとも困難な技術だ」ともしている。当ブログの書評文において私は、「権威の声でかたっていない赤裸のエッセイであるにもかかわらず、あきらかに人間的な威厳の感じられる文章」が書けるよう日々、自分を律し修練を重ねていきたいと切に思う。大江健三郎には全くもって及ばないが、私も「このブログ全体のための最後のノート」記事をいつの日か書くだろうか。

岩波新書に愛を込めて。(2021・4・1記)

いちばんはじめの書評をめぐるコラム

私は若い頃から「図書新聞」をよく購読し、昔から書評やブックレビューの読みものを楽しんで読んでいた。私は自分で書評ブログを始める際、これまで他人の書評を日常的に読み、かつ研究した結果、自身に課したことがいくつかあった。

(1)自分の身辺雑記や個人情報は書き込まず、最初から書籍の話題にすぐに入り、できるだけ書籍のことについてだけ書く。(2)後々まで読まれることを想定して、時事的な最新のニュースや昨今の流行風俗の事柄は、なるべく書き入れないようにする。(3)書籍の目次を最初に示して各章ごとに記述内容を要約紹介していく、「本を読んでもいないのに書評を一読しただけで一冊すべてを実際に読んだ気にさせる」ような、横着な読者に便宜を供する都合のよい「書評もどき」の記事は書かない。(4)書評にて必ずしも書籍に対し明確な評価を下す必要はなく、時に表面的な印象批評で終わってもよい。点数をつけて採点したり、毎回、必ず評価を確定させなくてもよい。ただし良い本と誉(ほ)めると決めた場合には「具体的にどこの何が良いのか」、同様に感心しない本とする場合は「どこの何が悪くて、なぜそのような残念な書籍になってしまったのか」掘り下げて説明するようにする。

(1)に関しては、最近はインターネット環境の普及で皆が「書評ブログ」をよく書くようになった。書き出しから書評本と自身の出会いのエピソード紹介(「本当はその分野の本には全く興味がなかったのに学生時代、恩師に薦められてつい」)とか、その書物をどういう状況で読んだか(「帰宅途中の電車で読んでいたら面白すぎて没頭してしまい、降りる駅をやり過ごして終点駅まで行ってしまった」)だとかの身辺雑記や個人情報を「枕の文章」として最初に熱心に長々と語る人がいるけれど、そうして「自分語り」だけ熱くやって書物のことにあまり触れないで、そのまま終わる「自分大好き」な困った人が時にいるけれども(笑)、そういうのは必要のない余計な情報だ。

普遍的な人生の真理として、「私が自分の生活や人生に関心があり大切に思っているほどには、実は他人は私の生活や人生に関心や興味はない。皆が自分のことだけ大事で案外、他人のことには無関心でどうでもよいと思っている」。だから、世間の皆がその人の私的なことまで知りたいと思っている芸能人や著名人ら余程の人気者とか有名人でない限り、一般の人は自身の身辺雑記や個人情報は語らずに最初から「即(すぐ)」でスムーズに書籍の内容記述に入って、書評の内容だけで終わらせるのがよい。

(2)については、例えば1990年代当時に「オウム真理教」の話題が世間を騒がせ人々の耳目を集めたが、時事論やニュース解説の文章でない場合に、あえて例えの説明に「オウム事件」云々を書き入れてしまうと、当時は時宜を得て(タイムリーで)新鮮でよいけれど、後に時間が経って2020年代に読むと、その書籍にはいかにも古く色褪(あ)せた「今さらな感じ」が、そこはかとなく漂う。だから、自分の文章が後々まで長く読まれることを望むなら、書き手は執筆の際には時事的な最新のニュースや昨今の流行風俗の事柄は、なるべく書き入れないようにした方がよい。

(3)の、書籍の目次を最初に示して各章ごとに記述内容を要約紹介していく「書評」は今日、ネット上で確かに人気がある。おそらく、そうした方が確実にアクセス数も増えるに違いない。しかし、それは「本を読んでもいないのに書評を一読しただけで一冊すべてを実際に読んだ気にさせる」ような(昨今は、こうしたことを期待する怠け者の横柄な人が本当に多い)横着な読者に便宜を供する都合のよい記事で、読み手を甘やかす堕落の「書評もどき」なので私は感心しない。

(4)のように、書評にて必ずしも書籍に対し明確な評価を下す必要はなく、時に表面的な印象批評で終わってもよいけれど、ただし良い本と誉(ほ)めると決めた場合には「具体的にどこの何が良いのか」、同様に感心しない本とする場合は「どこの何が悪くて、なぜそのような残念な書籍になってしまったのか」を掘り下げて説明するようにしたほうがよい。ただ単に「これは絶対に読むべき名著だ」と激賞したり、逆に「この本は読むだけ時間の無駄」と酷評して採点するだけの、そのまま言いたい放題の放り投げで終わる短文書評を特に「アマゾン(Amazon)」のブックレビューでよく見かけるが、毎度読んで「あれは良くない」の悪印象が私には残る。

岩波新書の書評(535)山田圭一「フェイクニュースを哲学する」(その2)

(前回からの続き)ここで「陰謀論」について、改めて確認しておこう。

「陰謀論─何らかの有名な出来事・状況に関する説明で、『邪悪で強力な集団組織による陰謀が関与している』と断定したり信じたりするもの。陰謀論は、単純に秘密の計画を指す『陰謀』とは異なり、関係者や専門家らその筋の正確性を評価する資格のある人々の間での主流の見解・常識に強く反対して異を唱え、関係者や専門家の見解・常識そのものが『陰謀』であると激しく非難したり、背後に邪悪で強力な集団組織の暗躍による陰謀のたくらみがあると強弁する荒唐無稽な俗説である」

誠に不思議なことに陰謀論を力説する人によれば、情報発信の際には、なぜかそのニュースの背後には故意に悪意をもって情報発信をなす闇の集団組織が必ずいて、彼らの邪悪な陰謀のたくらみが常にあり、多くの人々は陰謀の情報(陰謀論者が言うところの「フェイクニュース」)に無警戒で能天気にダマサれている、とされるのであった。常識的に考えて、世間に出回っている情報には、そうした悪意ある陰謀組織のたくらみなどなくて、単に自然発生的に情報伝播されたり、素朴な事実の事柄がそのままニュースとして伝えられることもあると思うのだが。

近年(2024年)、こうした陰謀論の典型が日本の政治にて見受けられ、「日本社会の劣化」が痛切に感じさせられる出来事が連続してあった。以下に挙げてみる。

「事例1─第50回衆議院議員総選挙(2024年10月)にて、野党の国民民主党が議席を倍増させ大躍進するも、妻子ある身でありながら、選挙後に代表の玉木雄一郎に交際女性との密会を報じた週刊誌報道が出て不倫が発覚。国民民主党代表の玉木は『報道された内容はおおむね事実』と会見を開いて謝罪した。ところが、玉木が代表の国民民主党が、いわゆる『年収103万円の壁の引き上げ』の減税公約を掲げて先の選挙で躍進したことから、『即税収減につながる減税政策に強い反対の立場にあった財務省が、国民民主党代表の玉木雄一郎を政治的に失脚させるために女性スキャンダルのニュースを故意に流した』という陰謀論が噴出。『玉木は財務省の策略の陰謀にハメられた』『玉木は何ら悪くない。女性問題は政治の仕事に関係なく、政治家には政策実行力があって政策実現ができればよい』など玉木を擁護の意見が、『今回の不倫報道は玉木の政治的失脚を狙った財務省による悪意ある策略』の陰謀論と共に拡散した」

「事例2─兵庫県職員が当時兵庫県知事であった斎藤元彦による、部下へのパワーハラスメント(激しい叱責、恫喝、舌打ち、無視、机を叩く、物を投げる、勤務時間外での連絡指示など)、県内業者に対する贈答品要求(いわゆる「おねだり」)、イベント事業での金銭の不透明な流れらを告発するも(2024年3月)、斎藤知事は、これを公益通報の扱いにして告発者を保護せず。第三者機関の調査結果を待たずに告発された側の当事者で上司にあたる知事が、知事を告発した側の部下の県職員に早々に懲戒処分を下し、後日、告発者の県職員は『一死をもって抗議する』の遺書を残して自殺した。これら一連の兵庫県庁内部告発文書問題を受け、兵庫県議会が設置した百条委員会にて、斎藤知事が問題追及される報道が連日なされると、『職員の天下り利権や事業の既得権益を温存しておきたい県職員、各市長、県議会議員が、それら権益の見直しをはかる斎藤元彦兵庫県知事を政治的に失脚させて辞任に追い込むために悪意をもって文書告発をやり、それに味方するかたちで百条委員会も招集された』とする陰謀論が噴出。『斎藤知事は県職員と各市長と県議会議員の策略の陰謀にハメられた』『斎藤知事は何ら悪くない。逆に斎藤知事はこれまで県内にはびこっていた天下りや既得権益の見直しをやる改革派の優秀な知事で、告発内容の知事のパワハラやおねだりは嘘。告発した県職員が自殺したのも、知事が公益通報者保護をせず急いで懲戒処分したからではなくて、自己都合により自殺した』の斎藤知事を擁護の意見が、『今回の兵庫県内の知事をめぐる告発文書問題は斎藤元彦知事の政治的失脚の辞任を狙った県職員・各市長・県議会議員による悪意ある策略』の陰謀論と共に拡散した」

これら陰謀論の事例では、否定できない事実情報(玉木代表が不倫していたこと。斎藤知事のパワハラ・おねだりの問題が指摘され、告発した部下を斎藤知事が公益通報者保護せず、後に告発者が自殺していたこと)の背後にあるとされる陰謀付加の操作を通して、話の重心が故意にズラされて、「国民民主党代表の玉木は財務省の策略の陰謀にハメられた。玉木代表は何ら悪くない。玉木、がんばれ!」「斎藤兵庫県知事は県職員と各市長と県議会議員の策略の陰謀にハメられた。斎藤知事は何ら悪くない。斎藤、がんばれ!」の強引な擁護と応援の下に、不倫や、パワハラ・おねだり・告発した部下を公益通報者保護せずに告発者の自殺という最悪結果をもたらしたことら、非倫理的・反社会的行為をなした彼らに対する責任追及を封じて、いつの間にかその重い責任が軽く免責されてしまう、遂には全くの不問にされるという、情報(ニュース)そのものの全体の意味と印象を巧妙に改変させる虚偽(フェイク)操作になっている。

ここに至って、「現職の国会議員で野党の代表で、半ば公人である重責を担う人物が選挙の前後まで、妻子ある身でありながら不倫をして、こうした異性への目先の欲望を抑えきれない人物であれば、外国政府や反社会的勢力(やくざ・暴力団や右翼・左翼の過激派集団ら)のハニートラップ・美人局の罠にかかり弱みを握られ、後々日本の国益に著しく損失を及ぼす恐れもあって、政策実行力云々以前に政治家の資質として不適合ではないか」とか、「いくら有能で仕事ができる県知事であっても、部下にパワハラをやり、知事の地位特権を利用して県内業者に対する贈答品要求(おねだり)で私利私欲に走り、上司である自身を文書告発した、部下に当たる県職員を公益通報の扱いでの告発者保護せず、告発された側の当事者である知事が第三者機関の調査結果を待たずに懲戒処分を急いで下して結果的に告発者を自死に至らしめたというのは、『告発(者)つぶし』にも通じる公益通報者保護法に抵触する重大な違反行為の疑いが濃厚で(さらには告発の県職員が自殺し亡くなった後でも、知事とその側近と知事のシンパたちが告発の社会的信用性を下げるために告発者のプライベート情報をバラまき、死者の告発職員の人格を毀損し続けている異常さで)、そもそも組織下で働く社会人として不適格ではないか。彼がこの後もそのまま県組織の長である知事職を続けてよいのか!?」のまっとうな批判や建設的な議論は、これら陰謀論の前ではもはや継げなくなってしまっているのだ。

この2つの事例は「虚偽のフェイクニュースに仕立てて嘘情報を何ら大々的にまき散らしていなくても、陰謀言説を介し情報への視点や論点の重心を故意にズラすことで、情報(ニュース)そのものの全体の意味や全体的な印象を巧妙に改変させる事態」をもたらす型(タイプ)の陰謀論の典型といえる。

思えば、陰謀論とは、あからさまな虚偽情報(フェイクニュース)の提供だけではなくて、例え事実(ファクト)の情報であっても、その事実情報の背後にある(と無根拠に信じられている)荒唐無稽な傍流の物語(ストーリー)=「実は邪悪で強力な集団組織が関与しており、背後でその集団組織の暗躍による陰謀のたくらみがある」と強弁するような俗説を新たに付加することで虚偽形成をなす、より複雑なフェイク言説なのであった。

岩波新書の書評(534)山田圭一「フェイクニュースを哲学する」(その1)

岩波新書の赤、山田圭一「フェイクニュースを哲学する」(2024年)を読むと、いわゆる「陰謀論」というものは「フェイクニュース」の範疇(はんちゅう)にあることがわかる。

つまりは、フェイクニュースという、そもそもの大きな問題カテゴリがあって、そのフェイクニュースの問題現象をより詳細に見ていけば、「フェイクニュース」(偽ニュース。マスメディアやソーシャルメディアにて事実とは異なる情報を発信すること)の中に「陰謀論」を始めとして、例えば「誹謗・中傷・デマ」(ある人物や組織の社会的評価を低下させるような根拠のない悪口や噂)、「都市伝説」(「友達の友達から聞いた話」など、身近なようで実は顔も名前も特定もできない人物が体験したという荒唐無稽な話)、「似非(エセ)科学」(がん治療・予防、ワクチン効果・副作用、ダイエット、長寿、美肌、発毛・育毛らに関する矛盾、誇張、反証不可能性、確証バイアスを含んだ非科学的言説)、「歴史修正主義」(証言・史料の捏造や飛躍した論理で、従来確立されている史実や歴史的評価を故意に否定し書き換えて「修正」する操作)の問題事例があるのであった。事実、岩波新書の山田圭一「フェイクニュースを哲学する」では陰謀論に関し、かなりの紙数を割(さ)いて詳細に扱っている(「第5章・陰謀論を信じてはいけないのか」)。

以下では、「フェイクニュース」の数ある問題現象の中での「陰謀論」について書いてみる。

「陰謀論─何らかの有名な出来事・状況に関する説明で、『邪悪で強力な集団組織による陰謀が関与している』と断定したり信じたりするもの。陰謀論は、単純に秘密の計画を指す『陰謀』とは異なり、関係者や専門家らその筋の正確性を評価する資格のある人々の間での主流の見解・常識に強く反対して異を唱え、関係者や専門家の見解・常識そのものが『陰謀』であると激しく非難したり、情報の背後に邪悪で強力な集団組織の暗躍による陰謀のたくらみがあると強弁する荒唐無稽な俗説である」

陰謀論にも虚偽断定の信じられ方に様々なレベルがある。例えば「宇宙人による秘密裏の地球乗っ取り計画が進行中」(宇宙人はすでに地球に潜伏しており、宇宙人が各国首脳と密かに入れ替わって地球乗っ取りが年々極秘に進行されている)とか、「アポロ11号の月面着陸成功は嘘」(1969年のアメリカのアポロ11号の有人月面着陸は実は失敗で、あの月面着陸の映像はNASAが当時のハリウッドの最新技術を駆使してスタジオ撮影したフェイク・フィルム)など。これら荒唐無稽な陰謀論はお笑いネタの与太話のようなものであって、「宇宙人による秘密裏の地球乗っ取り計画が進行中」の陰謀論に対しては、「あーこのままだと地球が宇宙人に乗っ取られて、こりゃ大変だね(棒読み)」と軽くいなしたり、「アポロ11号の月面着陸成功は嘘」の陰謀論に関しては「そういえば、昔このアポロ計画陰謀論をそのままお笑いネタにした『カプリコン・1』(1977年)という面白映画があってね」程度の軽い話を適当に継いで場を濁(にご)しておけばよい。

しかし、例えば「ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)は捏造」(第二次世界大戦時にナチス・ドイツにより実行されたというユダヤ人の大量虐殺は、ユダヤ人勢力の陰謀により捏造された虚説。もしくは著しく犠牲者数が誇張されており、信憑性がない)などの、歴史修正主義に架橋した人道上極めて悪質な陰謀論になると、公的な歴史書き換えの問題ともなり、実際にユダヤ人被害者とナチス加害者の証言史料があって大量処刑のためのガス室を含むナチスによる強制収容所遺構ら史実の客観証拠もあるにもかかわらず、そうした陰謀論に安易に乗ってしまうことは後世にまで遺恨を残す不正確で深刻な社会問題となる。

また、例えば「抗がん剤はがんには全く効かず、むしろ人体に有害」(抗がん剤に治療効果はなく、逆にがんを進行させる。にもかかわらず、抗がん剤投薬が、がんの標準治療の内の化学療法の主流に未だなっているのは高価な薬剤を販売して金儲けしたい製薬会社と医師の陰謀である。医者は自身ががんに罹患しても決して抗がん剤治療は選択しない)など、似非科学に架橋した現代科学に照らし合わて医学的に到底妥当とは思われない飛躍した陰謀論となると、実際に抗がん剤治療で寛解したり腫瘍縮小の薬効が見られた臨床事例が数多くあるにもかかわらず、こうした陰謀論をそのまま信じて抗がん剤治療を頑(かたく)なに拒否するがん患者も出てきて、重篤な患者に対し医師の助言に基づく適切医療が公正に施せない事態に、ついには抗がん剤治療以外での怪しい代替医療や非科学的な民間療法を選択し結果、がん進行で寛解なく早くに亡くなってしまう人も出てくる深刻な社会問題ともなろう。

これら悪質な陰謀論を含むフェイクニュース一般に対しては、いわゆる「ファクトチェック」の手続きが有効とされている。

「ファクトチェック─情報の正確性・妥当性を検証する行為のこと。事実検証、事実確認とも呼ばれる。特に個人がマスコミやソーシャルメディアのニュースを受け取る『情報公開後のファクトチェック』に際しては、次のような手続きが基本である。(a)客観的データ(数値)・資料と比べて吟味する。事情をよく知る当事者や、その筋の専門の有識者の見解を参照し参考にする。(b)情報の出処の発信源にまで遡(さかのぼ)って追跡・確認する。いわば『伝言ゲーム』のように、第一の発信源から情報が次第に拡散していく過程で誇張、省略、切り取り、意味の取り違え、(故意や悪意を含む)改ざんがないか注意し確認する」

以上のようなファクトチェックの手続きが、私達が情報を受け取る際に「フェイクニュース」=誹謗・中傷・デマ、都市伝説、似非科学、歴史修正主義、陰謀論らの諸問題に安易にダマサれず、それらに適切に処する方策であるといえる。

フェイクニュースの中で、誹謗・中傷・デマや都市伝説らに対してはファクトチェック(情報の正確性・妥当性を検証する事実検証の行為)だけで大抵は処理できる。どのように細かで、たとえ専門的で一般の人には難解な情報内容であっても、誹謗・中傷・デマや都市伝説などは最終的に「その情報は事実なのか虚偽なのか」の二者択一の単純な結論判断に毎回収束してしまうからだ。だが陰謀論だけは、そうした「その情報は事実(ファクト)か虚偽(フェイク)か」の二者択一の単純な真偽問題だけで終わらない複雑さを時に有する。陰謀論においては、「情報そのものを虚偽のフェイクニュースに仕立てて嘘情報を何ら大々的にまき散らしていなくても、陰謀言説を介し情報への視点や論点の重心を故意にズラすことで、情報(ニュース)そのものの全体の意味や全体的な印象を巧妙に改変させる事態」もあり得るのである。

例えば、「アメリカ大統領は9.・11テロ計画を事前に知っていた」(アメリカ大統領と政府首脳は2001年の9.・11テロ計画を事前に情報把握していたが、後日の「テロへの報復」というアルカイダらイスラム勢力攻撃のための中東地域へのアメリカの軍事派遣の口実を得るために、あえて放置し9.・11テロを黙認してやらせた)という陰謀論が以前にあった。この陰謀論では、「ワールドトレードセンターに航空機が突っ込む自爆テロの衝撃映像は全くの作り物のフェイク動画で、現実には9.・11テロはなかった」とか「自爆テロを実行した犯行グループは実はアメリカ政府に雇われた人達で、今回の9.・11テロはアメリカによる完全な自作自演」などいうような、情報そのものを虚偽として全面否定する単純なフェイク言説ではない。イスラム過激派テロ組織のアルカイダが9・11テロを計画し遂行した事実は、何ら否定されていないのである。

ただこの場合は、「アメリカ大統領と政府首脳は2001年の9.・11テロ計画を事前に情報把握していたが、後日の『テロへの報復』というアルカイダらイスラム勢力攻撃のための中東地域へのアメリカの軍事派遣の口実を得るために、あえて放置し9.・11テロを黙認してやらせた」という陰謀言説を介することで話の重心が故意にズラされて、「テロ加害者側のイスラム勢力のアルカイダよりも、一見誠に気の毒な一方的な被害者側であるかに思えたアメリカ政府とアメリカ国民の方にこそ、実は責められるべき非がある」旨の、反社会的行為をなしたイスラム・テロ集団組織への加害責任追及を封じて、いつの間にか被害国のアメリカの方が社会的非難の窮地に立たされてしまうという、情報(ニュース)そのものの全体の意味と印象を巧妙に改変させる虚偽(フェイク)操作になっている。

(※もっとも「アメリカ大統領は9.・11テロ計画を事前に知っていた」は、「アメリカは太平洋戦争時、日本の真珠湾への先制奇襲攻撃を事前に知っていた」(太平洋戦争の開戦となる1941年12月の日本軍による真珠湾への先制奇襲攻撃を、アメリカ大統領と政府首脳は暗号解読し事前に情報把握していたが、後日の「奇襲攻撃に対する報復」というアメリカが日本を戦争に引きずり込むべく、日本への攻撃の口実を得るために、あえて放置し日本に真珠湾への先制奇襲攻撃を黙認してやらせた)とする、歴史修正主義に架橋した陰謀論と全く同じ型のもので、かつて流行した陰謀論の焼き直しのリバイバルである。

この「アメリカは太平洋戦争時、日本の真珠湾への先制奇襲攻撃を事前に知っていた」陰謀論に基づいて、日本の保守右派や国家主義者らは、「だから先の太平洋戦争では正式な宣戦布告もなしにアメリカのハワイ真珠湾攻撃の先制奇襲作戦を仕掛け開戦した日本は何ら悪くはない。むしる日本はアメリカの策略の陰謀にハメられた。悪質なのは、もともと日本を戦争挑発して開戦の機会を狙っていた、日本軍の奇襲攻撃情報を事前に把握していたが、日本の『卑怯なだまし討ち』に対する後日のアメリカの『正当な報復』という、日本を戦争に引きずり込むために、あえて日本に真珠湾への先制攻撃をやらせたアメリカの方だ」と昔から決まっていつも力説する。ここでは日本が主体的に開戦決断をして正式な宣戦布告もなしに、太平洋戦争に突入していった日本側の戦争遂行責任の過失は、かの陰謀論を介し完全免責され、全くの不問にされてしまっている。

「アメリカは太平洋戦争時、日本の真珠湾への先制奇襲攻撃を事前に知っていた」という昔からある古典的有名な陰謀論をすでに知っている者からすれば、今般の「アメリカ大統領は9.・11テロ計画を事前に知っていた」の新たな陰謀論に安易にダマサれることなどないのだが。こういった意味でも以前の陰謀論の実例を知り学んでおくことは、後々新たな陰謀論にダマサれないために大切である)

誹謗・中傷・デマなどと同じフェイクニュースの種別であるにもかかわらず、陰謀論だけが最終的に「その情報は事実なのか虚偽なのか」の二者択一の単純な結論判断に必ずしも収束してしまわない複雑さを時に見せるのは、陰謀論というのが、「事実(ファクト)か、さもなくば虚偽(フェイク)か」とやがては判断される単なる情報(ニュース)の提供だけではなくて、その情報の背後にある(と無根拠に信じられている)荒唐無稽な傍流の物語(ストーリー)=「実は邪悪で強力な集団組織が関与しており、背後でその集団組織の暗躍による陰謀のたくらみがある」と強弁するような俗説を新たに付加する、陰謀論それ自体の虚偽形成の原理に由来するものだと考えられる。陰謀論とは表面的な情報の虚偽だけではなくて、そのニュースの背後にある情報発信をなす闇の集団組織の存在や、彼らの陰謀のたくらみにまで言及するタイプのフェイクニュースであるからだ。

この記事は次回へ続く。

岩波新書の書評(533)大島堅一「原発のコスト」

原子力発電所を日々稼働させ、かつ国内での新規原発の増設を今後も進めるべきとする原発推進派と、廃炉を進め原発を廃止し続けて将来的には発電の原発依存から完全脱却すべきとする脱原発派との間で昔からある議論に、経済的合理性の観点からの、いわゆる「原発のコスト」というものがある。

「原発のコスト」議論とは、基本単位の発電量に要する金額と、その他、原子力発電所の建設・解体などにかかる総費用とを計算し、それらを合算して1kWH(キロワット時)あたりに換算した発電コストをまず算出する。その上でさらに原子力発電以外の、従来の主要発電方式である火力・水力発電と、さらには次世代の新しい発電方式とされる太陽光・風力発電に関しても、それら単位ごとの発電量の金額と、その他、発電所の建設・解体らに要する費用を計算して同様に1kWHあたり換算の発電コストを割り出し、原子力発電に要する「原発のコスト」と原発以外の諸発電でのコストを比較検討するのである。それらコスト試算の算出数字にて、数値が少ないほど経済的に優れて経済合理性にかなった発電方式ということになり、1kWHあたりに換算の発電コストが安価な発電方式が他の割高なそれよりも優遇され、社会を支える基本の発電方式(ベースロード電源)として電力供給の主軸と見なされるわけである。

ただ今日、発電方式の妥当性は(1)供給安定性、(2)経済合理性、(3)環境負荷度、(4)安全性の4つの観点から総合的に判断されるべきものであり、これら4つの指標の内の1つでしかない経済合理性が優れている(つまりは低コストで発電できる)からといって、そのままその発電方法が一気に拡大され振興されるわけではないのだが。

いわゆる「原発のコスト」は発電原価と社会的費用によりなる。「発電原価」とは発電施設の建設と運用に直接に関わるコストのことで、具体的には施設の建設費、燃料費、運転維持費、また使用済み核燃料を加工して再度燃料として利用する核燃料サイクル費や、規制基準適合のための安全対策費、廃炉措置をとった場合にかかるコストなどを含む。「社会的費用」とは社会全体あるいは第三者が被(こうむ)る損失に伴い負担させられる費用(外部不経済)のことで、賠償費用の事故リスク対応費と原発建設地への地域対策交付金など、原発の運用に間接的に関わるコストのことである。

こうした「原発のコスト」概要を踏まえて、各方式の1kWHあたりに換算した実際の発電コスト試算の一例を以下に挙げてみる。

1・経済産業省による試算(2010年)、原子力5─6円、火力7─8円、水力8─13円、太陽光49円
2・内閣府による試算(2011年)、原子力8.9円、火力(石炭)9.5円、太陽光33.4─38.3円、風力(陸上)9.9─17.3円
3・立命館大学・国際関係学部教授(環境経済学専攻)大島堅一による試算(2010年)、原子力10.68円、火力9.90円、水力(一般水力)3.98円
4・米国エネルギー省による試算(2010年、1ドル=90円で換算)、原子力10.3円、火力(石炭)8.5円、水力7.8円、太陽光19.0円

それぞれが各発電方式の1kWHあたり換算の実際の発電コスト試算を同じようにやっても数字にばらつきがあるのは、発電方式のモデル想定や諸費用数値の見積もりの相違によるものと考えられるが、それら発電コスト試算にて着目すべきは原子力発電が従来主力の火力・水力発電と比較して割高か割安かという点であろう。

「原発のコスト」議論を連続し追跡して見ていると、昔から一貫して国(歴代の自民党保守政府、経済産業省)と電力会社による試算、ないしはそれら国・電力会社の傘下にある組織が割り出した試算では、原子力の発電コストは火力・水力のそれよりも必ず安価で、原子力発電は経済合理性に非常に優れているのである。他方、国と電力会社から独立してある、大学教授や民間のシンクタンク、海外の政府筋の試算では原子力の発電コストは、ほとんどの場合が火力・水力のそれよりもコスト高か、せいぜいよくても火力・水力発電と同等の数字となっている。海外では原子力の発電コストが火力・水力のそれよりも安価である試算は、ほぼ皆無である。上記の試算例で1の「経済産業省による試算」と2の「内閣府による試算」にて、いずれも国による試算でのみ他の発電方式に比べ原子力の発電コストの優位性が示されていることを確認されたい。これには「原子力エネルギー政策」を国策として堅持している歴代自民党の日本政府と原子力発電の事業主である電力会社に原発推進の意向の姿勢がもともと強固にあって、原子力発電振興のために「原子力は発電量当たりの単価が安く、優れた経済性を持つ」の試算結果に故意に誘導されているからだと考えられる。

このように国と電力会社が試算する場合にだけ、「他の発電方式と比較の発電単価にて採算性が高く低コストである」原子力発電であるわけである。国と電力会社による1kWHあたりに換算した「原発のコスト」算出に対し、例えば次のような問題点が従前指摘されてきた。

☆「原発のコスト」の内の「社会的費用」、つまりは賠償費用の事故リスク対応費と、電源三法ら原発建設地への地域対策交付金の原発の運用に間接的に関わるコストが加算されていない。もしくは加算されるとしても極めて低い数字で見積もられている。

(歴代自民党保守政府と経済産業省、各地域の電力会社ともに福島原発の事故発生以前には、「原発施設にて重大な過酷事故は万が一でも起こり得ない」の公式見解の立場が強くあって、そのため原子力発電に伴う事故リスク対応の賠償費用の想定は皆無か、あっても過小の最低限見積もりで済まされてきた。また電源三法ら原発建設地への地域対策交付金についても、原発立地の特定地域に集中的に偏って(時にはバラマキのような露骨なかたちで)多額の補助金投下していることに後ろめたさがあるためか、政府も経済産業省も電源三法ら原発建設地への地域対策交付金の実態には極力触れたがらない、の事情がある)

☆試算モデルの原子力発電所を年間稼働率60─80パーセント、40年─60年という連続的かつ長期間の稼働想定で算出している。原発一基あたりの年間稼働率と稼働年の数値を高設定にすれば分母が増えるのでコスト効率は高くなり、1kWHあたりに換算した原発の発電コストは机上の数値では、なるほど安価になる。

(現実に日本国内で年間稼働60パーセント以上の原子力発電所はそうはない。稼働停止しての設備の定期検査や、原子力規制委員会による新規制基準をクリアするための安全追加対策、立地自治体からの稼働不認可などで実際の原発の年間稼働率はかなり下がる。また老朽化による安全性の点から原発の40年以上の長期稼働は懸念されている。60パーセント以上の年間稼働率、40年以上の長期間の稼働想定で一律に「原発のコスト」試算をすること自体に問題がある)

これら問題指摘を踏まえ、またこれまでの「原発のコスト」議論を概観すると、総じて「原子力は、火力や水力の従来主力の発電方式との比較において採算性が悪くコスト高である」といえそうだ。

岩波新書の赤、大島堅一「原発のコスト」(2011年)は、東日本大震災での福島第一原発の放射能漏れ事故(2011年3月)の約九ヶ月後、「従来と変わらずこのまま全国の原発稼働を続けるのか、それとも各地域の原発を停止して脱原発の方針に将来的に転換するのか」の原子力発電の是非についての国民的議論が高まる中で出版された。本書は、いわゆる「原発のコスト」議論の全体を広く簡略に述べた入門書のような書籍である。ただ著者は「原子力発電は高コストで経済的合理性がなく、ゆえに反原発で脱原発」のかなり強硬な立場にある方なので、これとは逆の「原子力の発電コストは火力や水力ら他の発電方式と比べて安いのだから、今後とも原発推進するべき」主張の国・電力会社による検証報告や、それに準じた内容書籍も同様に読んでおくべきだろう。その上で「原発のコスト」を各人で慎重に判断されたい。

最後に岩波新書、大島堅一「原発のコスト」の概要を載せておく。

「原発の発電コストは他と比べて安いと言われてきたが、本当なのか。立地対策費や使用済み燃料の処分費用、それに事故時の莫大な賠償などを考えると、原子力が経済的に成り立たないのはもはや明らかだ。原発の社会的コストを考察し、節電と再生可能エネルギーの普及によって脱原発を進めることの合理性を説得的に訴える」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の書評(532)宇沢弘文「経済学の考え方」

思えば経済学者の宇沢弘文(1928─2014年)は、元は理学部に在籍し数学を専攻していたが、河上肇「貧乏物語」(1917年)を読み感銘を受けて経済学に転じた、河上肇の社会主義思想に傾倒した人だった。後に宇沢はアメリカに留学し、効率重視の安定成長を第一義に目指すケインズ理論ら新古典派経済理論の限界を指摘するに至る。帰国の後は、元は数学者の資質から統計理論や数字算出の地道な手法に裏打ちさせて、「水道や教育や報道などは文化を維持するために欠かせないものであり、それらを市場原理に委ねてはいけない」「効率重視の過度な市場競争は格差を拡大させ社会を不安定にする」旨を主張し、都市政策や環境問題に経済理論を絡(から)めて積極的に取り組んだ。宇沢弘文は、今日でいう市場原理万能視の新自由主義(ネオリベラリズム)に真っ向から対決するような「福祉経済社会」政策ベースの経済学者であった。

没後、宇沢弘文の過去の仕事が注目され今日、広く深く読み返され再評価されているのも、価格統制の廃止、資本市場の規制緩和、貿易障壁の排除、移民労働力の拡大、福祉・公共サーヴィスの縮小、公営事業の民営化ら市場化と緊縮財政とで政府による経済への影響の削減を急速に推し進める経済改革政策にて、市場競争のみの重視による国際格差と国内での階級格差の激化、民族共同体の解体、自己責任論の横行と相乗させて「小さな政府」下での公的社会福祉政策の放棄による人々の総貧困化などをもたらし、国民の大多数を占める中間層からのダンピングと安価な移民労働力に依存する搾取型経済の典型たる現在の世界経済の一大潮流である所の、昨今の新自由主義的なあり方に抗する「ネオリベ批判の経済学」の古典として、そうした文脈で主に宇沢の著作が読み返されているからに違いない。

宇沢は岩波新書から多くの新書を出している。何と!これまでに岩波新書で7冊も出ている。

宇沢弘文「自動車の社会的費用」(1974年)、「近代経済学の再検討」(1977年)、「経済学の考え方」(1989年)、「『成田』とは何か」(1992年)、「地球温暖化を考える」(1995年)、「日本の教育を考える」(1998年)、「社会的共通資本」(2000年)

これら宇沢の岩波新書は内容が重複しており、そこまで複数冊も連続して数多く出す必要はないと正直、私は思うのだが。とりあえずは青版の「自動車の社会的費用」(1974年)と赤版の「社会的共通資本」(2000年)は、宇沢弘文が志向する宇沢経済学の中心思想を著した代表作であり、さらには岩波新書歴代の既刊総カタログの中でも絶対に外せない、一度は必ず読んでおくべき岩波新書の必読の名著といえよう。「自動車の社会的費用」と「社会的共通資本」の両著ともにタイトル及びその中核概念に「社会」という言葉があることに留意されたい。宇沢弘文は、公的国家や私的企業の利潤追求とは時に相反する、「(市民)社会」の観点から人間の権利保障を第一にした「社会のための」経済学を一貫して展開した人であった。

今回は岩波新書の赤、宇沢弘文「経済学の考え方」(1989年)を取り上げる。本書の概要は以下だ。

「経済学とはなにか、経済学の考え方とはどういうものか─日本を代表する経済学者が自らの研究体験を顧みながら、柔軟な精神と熱い心情をもって、平易明快に語る。アダム・スミス以来の経済学のさまざまな立場を現代に至るまで骨太いタッチで把え、今後の展望をも与える本書は、経済学のあるべき姿を考えるために格好の書物と言えよう」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の宇沢弘文「経済学の考え方」は、「アダム・スミスからケインズ以後まで」の経済理論史の概説である。ただし新書一冊完結で総数265ページなため、足早に非常にスピーディーに要点のみを極めて簡略に述べている。先の表紙カバー裏解説文での「アダム・スミス以来の経済学のさまざまな立場を現代に至るまで骨太いタッチで把え、今後の展望をも与える」での「骨太いタッチで把(とら)え」るとあるのは、「何しろ新書一冊分で紙数が相当に限られているから本書ではスミス以来の経済学史を、あまり細部に拘泥せず深くは掘り下げずに、あえて大まかに太い線のタッチでラフに素描した」旨の著者ならびに編集部よりの裏メッセージがあることを、あらかじめ読者は踏まえて本新書に当たるべきだろう。岩波新書「経済学の考える」に関し、「概説が不充分で説明が不親切だ」とか「解説の省略や議論の飛躍か多くて分かりにくい」などの苦言を呈してはいけない。常識的に考えて、「アダム・スミスからケインズ以後まで」の近代経済学の歴史をたかだか260ページ前後の新書の一冊で全て書き抜くこと自体が相当に困難だと思われるので.

宇沢弘文「経済学の考え方」のおおよその内容はこうだ。まず序論に当たる第1章の「経済学はどのような性格をもった学問か」で、宇沢弘文が社会科学としての経済学の定義をしている。「暖かい心と冷めた頭脳」(8ページ)といったフレーズにて、経済学という学問に関する本質的な規定をやっている。この序論はわずか10ページほどだが、まさに「経済学の考え方」について簡潔で引き締まった硬質な文体で書かれており、これから経済学を学ぶ人、経済学とはどのような学問か知りたい人ら経済学の初学者は必読である。

続く第2章から第4章まででスミス、リカード、マルクス、ワルラスを取り上げて新古典派経済学の理論的前提を「生産手段の私有制、経済人の合理性、主観的価値基準の独立性、生産要素の可塑性、生産期間の瞬時制、市場均衡の安定性という仮定が置かれていて、いわば純粋な意味における資本主義的市場経済制度のもとにおける経済循環のプロセスを分析しようとするもの」(84ページ)とまとめている。それから新古典派のワルラス批判を展開したヴェブレンを「新古典派理論に対する最初の体系的な批判者」(91ページ)とする小論を中途の第5章に短くはさみ、続く第6章で「理性的な財政政策と合理的な金融制度にもとづいて、完全雇用と所得分配の平等化を可能にするという、すぐれて理性主義的」(138ページ)なケインズ経済学を概説する。そうして第7章と第8章とで、いわゆる「ケインズ革命」以降の第二次大戦後の経済学史の新しい動向でジョーン・ロビンソンらを取り上げる。

そして、第9章にて「反ケインズ経済学」として「合理主義の経済学、マネタリズム、合理的期待形成仮設、サプライサイド経済学」の四つの形態を挙げ、それぞれについて論じる。「反ケインズ経済学は、…その共通の特徴として、理論的前提条件の非現実性、政策的偏向性、結論の反社会性をもち、いずれも市場機構の果たす役割に対する宗教的帰依感をもつものである」(189ページ)と一刀両断に断じているように、ケインズ経済学以降の今日流行の「反ケインズ経済学」の主要な経済学潮流について宇沢弘文は終始批判的である。「いずれも市場機構の果たす役割に対する宗教的帰依感をもつもの」と市場原理主義の性格を難としており、それへの評価は非常に厳しい。その上で最後にリカッチマン「追いつめられた経済学者たち」(1976年)での「(1970年代よりの反ケインズ経済学は)貧困、失業、インフレーション、資源、多国籍企業、労働組合など、…これらの諸問題に対して適切な分析をおこなうことができないだけでなく、経済学者の多くがそのことをはっきりとした形で意識することなく、問題をさらに深刻化させるような方向で分析を展開し、逆に反社会的な役割を果たしつつある」(213ページ)とする考察に依拠した形で論述を進め、その上で「リカッチマンの主張に対して、私も全面的な同感を覚える」(216ページ)と宇沢弘文はリカッチマンによる反ケインズ経済学への厳しい批判に「全面同意」である自身の立場を明確にしている。

終章の第10章は、「現代経済学の展開」として本書執筆時の1980年代の同時代の経済学の流れ、「反ケインズ経済学の終焉」として、ケインズ経済学以降のものを展望的に概観している。そのなかでも後の宇沢弘文の岩波新書のタイトルにもなっている、宇沢経済学での主要概念の内の一つである「社会的共通資本」の理論の概要が本章でコンパクトにまとめられており(247─256ページ)、読んで有用である。

岩波新書の宇沢弘文「経済学の考え方」は1989年に出された書籍であった。このことから今日の2020年代以降に読み返してみると、本新書は「アダム・スミスからケインズ以後まで」を述べた単なる経済理論史の概説であるばかりでなく、当時の時代を知る「時代の書」としても誠に興味深く読める。つまりは本書初版時の1989年とは、国際的にはソビエト連邦崩壊(1991年)直前の時期で当時ゴルバチョフ政権によるペレストロイカ改革にてのソ連の経済的混乱、さらには中国でも天安門事件(1989年)の民主化弾圧の同時代の動きがあって、ソ連の共産主義と中国の社会主義の政治経済体制に相当な不信の国際世論の強い非難が寄せられている時節であった。そうしたなか宇沢弘文は本書でのマルクス主義経済学の解説箇所で、現在のソ連の共産主義並びに中国の社会主義経済に対する批判を多くの字数の紙面を割(さ)いて非常にしつこく繰り返しやっている(43─52ページ)。

必ずしも直接的に文章にして書いてはいないが、「私は河上肇『貧乏物語』を読み感銘を受けて経済学を本格的に志した旨を事あるごとに喧伝しているけれど、だからといって宇沢弘文は社会主義思想に完全にイカれてマルクス主義経済学を信奉している、生粋(きっすい)のマルクス主義の経済学者というわけでは決してない。私は今日のソ連と中国の共産主義ないしは社会主義の経済体制や経済政策を完全支持などしていない。むしろ相当に批判的である。そのことを読者諸君は絶対に勘違いするなよ」の言外のメッセージが確かに本書記述の行間・背後・全体に強力にあるのだ。そうした執拗な念押しのクドい確認、著者の宇沢弘文の直接的には書かれざる言外の必死さが本書を読む際に感受できて、私はかなり笑えた。

また本新書が出された1989年は日本国内ではバブル経済のバブル景気の真っ只中の最高潮で、日本中の多くの人が経済の好景気に歓喜し浮かれていた。多くの人が地に足のつかない浮(うわ)ついた時代であった。そうした不動産・株式らの時価資産価格が投機によって経済成長以上のペースで高騰し、実体経済から乖離(かいり)して(実体経済にそぐわない膨張経済だから「バブル(泡)」経済という)、さらなる過熱投機の信用経済で膨張を続けた日本国内のバブル景気隆盛の時代の中で、「反ケインズ経済学の流行」にて1970年代から「さまざまな規制・管理制度の撤廃、社会的共通資本の私的管理ないしは所有への移管、予算均衡主義、貨幣供給量を重視する金融政策、さらに自由貿易、資本移動の自由化、変動為替相場制度の採用等々」(212ページ)の考え方が広く顕著に見られたことを問題視し、その自由放任主義・市場原理(万能)主義の反ケインズの経済学は、「インフレーション、失業、資源問題などという、すぐれて経済学的な現象を解明するための分析的枠組みをもちえないとともに、他方では、貧困、不公正の問題を解決するための政策的指向を欠如している」(214ページ)として、市民社会的な人道正義の倫理的観点から暗に、しかし痛烈に宇沢弘文は否定的に書いていた。

本書初版時の1989年には、私はまだ10代の高校生で本書を未読であったし、経済学者の宇沢弘文その人のことも全く知らなかった。後に宇沢弘文のことを知り、宇沢の著作を読んだ。同時代の何ら実体経済にそぐわない、かなり危うい投機型経済たるバブル景気の流行に安易に迎合することなく、岩波新書の赤、宇沢弘文「経済学の考え方」のような堅実硬派な経済理論史の書籍が当時の1980年代に執筆され出版されていた事実に、後の90年代に読み返して私は何だか胸が熱くなる感動の思いがした。

岩波新書の書評(531)加藤節「南原繁」

日本の政治学者で、敗戦後の1945年よりの日本の民主化、学問の自由と大学の自治を担った戦後初の東京大学総長(第15代)の南原繁である。そもそも南原繁は今日、多くの人々に知られているのか!?近年の政治学者・丸山眞男ブーム下にあって、東大法学部教授の南原は丸山が東大在学時よりの指導教授であり、南原繁は丸山眞男の政治学の師である、といえばいくらか伝わるかもしれない。

「南原繁(1889─1974年)は政治学者。1945年に東大総長。46年、教育家委員会委員長としてアメリカ教育使節団に教育改革を建議。講和問題では全面講和を唱えて吉田茂首相と対立した」

南原繁は東大法学部の政治学者であると同時にキリスト教信仰を持つキリスト者でもあった。南原以前の東大教授にてキリスト教信仰を有して、宗教学や政治学の社会科学研究をやる近代日本の知識人の系譜は確かにあった。その系譜といえば以下のようになろうか。

「内村鑑三─ 矢内原忠雄・南原繁─ 丸山眞男・福田歓一」

明治の時代のキリスト者で聖書研究の帝大教授の内村鑑三から始まって、内村の弟子が同様に帝大教授でキリスト者の矢内原忠雄と南原繁であり、さらにキリスト者で政治学専攻の南原の弟子が戦後昭和の政治学者で東大教授の丸山眞男と福田歓一なのであった。この中で内村鑑三から矢内原忠雄と南原繁、そして福田歓一まで皆がキリスト教信仰を有するキリスト者であったが、丸山眞男だけキリスト教の洗礼を受けていない非キリスト者である。キリスト者の南原繁に師事しながら、丸山はキリスト教の宗教的なものであるよりは、新聞記者で政治評論家であった実父の丸山幹治のジャーナリスト気質をバックホーンに政治学研究をやっていた。南原の他の弟子とは異なり丸山眞男だけ、内村鑑三から南原繁に引き継がれたキリスト者で東大教授の線から例外的に外れていた。そういった内村鑑三から南原繁を経ての、やや例外的な非キリスト者で東大政治学者の丸山眞男が人気でブームであるのに私は少し奇妙な思いも持つ。確かに丸山眞男がなした丸山政治学は読むべきものがあって優れているけれども、丸山の師の南原繁と、共に南原の弟子でキリスト者で東京大学の正統な政治学者、丸山の兄弟弟子である福田歓一も、もっと注目され広く読まれてよいと思うのだが。丸山人気のみが異常に突出した昨今の丸山眞男ブームに、私は苦言を呈する。

内村鑑三から福田歓一まで、近代日本のキリスト者の彼らの自身の宗教的真理への敬虔な信仰が、宗教学や政治学の社会科学研究をやる際の真理価値への尊重・追究という学術的態度にそのまま重なっていた。また彼らのキリスト教の神および聖書への敬虔信仰の禁欲的態度は、学者、知識人として世評の人気評価に浮かれずに研究を積み重ねる学徒の堅実態度を見事に裏打ち形成していたし、彼らは世界宗教たるキリスト教を信仰していたがゆえに、世俗の政治権力に安易に取り込まれることなく、現存の国家を相対化して批判できた。かつ信教の自由の原則から国家に侵食されることのない人間の思想・良心の内面の自由を確保しようと奮闘したし事実、ある程度までは個人の思想・良心の自由を彼らは保ち得た。

特に戦前の内村鑑三から矢内原忠雄と南原繁にて、内村は日露戦争にて非戦論を展開できたし、矢内原は十五年戦争時に反戦平和の論陣を張って結果、政府当局の圧力により東大教授辞職を余儀なくされている。南原も戦時には東大法学部長という帝国大学の公的教官の地位にありながら、戦前昭和の挙国一致内閣の国策たる戦争遂行には批判的で極秘に早期戦争終結のための終戦工作に奔走していた。内村鑑三から南原繁まで、彼らは戦前の近代天皇制国家に安易に取り込まれることなく、つまりは自身と日本の国家とを安直に同一視して、日清戦争から太平洋戦争に至るまでその都度、自国の日本が戦争勝利すれば「あたかも自分が勝利したかのように」興奮して喜び、逆に日本が負けれは「まるで自身のことのように」悲しんで心底から悔(くや)しがるような、同時代の多くの日本人に見られた国家主義者的醜態をさらすことは決してなかった。この点は近代日本の知識人として内村鑑三から南原繁まで実に見事だという他ない。

しかし、他方で彼ら近代日本のキリスト者の知識人には対国家の抵抗側面が弱く、時局を傍観し結果的に日本の天皇制国家に時に取り込まれてしまった面も顕著にあった。これには内村鑑三から矢内原忠雄、南原繁に至るまで近代日本のキリスト者にて、

(1)幼少時よりの家庭での生育環境から来る生粋(きっすい)のキリスト者ではなくて、比較的遅い10代の青年期に、すでにキリスト教を信仰していた学校の師や先輩らへの人的傾倒の影響からのキリスト教入信のパターンが多い。(2)神への信仰であるキリスト教思想そのものに対するというよりは、聖書研究を通しての精神的な自己修養目的の動機からの副次的なキリスト教入信のケースが多い。

の傾向があるからだと考えられる。もっとも明治以前の日本には、誕生の生まれながらに洗礼を受けて信仰と共に終生生きるような正統なキリスト者などそもそもいない。近代日本にて西洋思想であるキリスト教は外発の輸入思想でしかないのだから、これには「ないものねだり」の超越批判の感もあるのだが。

南原繁に関して、前述のように南原は戦前昭和の挙国一致内閣の国策たる戦争遂行に内心批判的で、極秘に早期戦争終結のための終戦工作に奔走していたことの詳細が後の南原繁研究にて明らかにされている。だが、その終戦工作の際に南原が強く主張したのは、終戦のための現下の昭和天皇の自発的退位なのであって、近代天皇制そのものの廃止や縮小の線には決して行かなかった。南原の政治主張には、いつも日本の天皇制護持の主張が一貫してあった。

日本近代史研究において、問題は天皇個人の人格ではなくて、近代天皇制の制度(システム)であったとは前よりよく指摘される所である。軍国主義の昭和ファシズムの問題は、世論や帝国議会に何ら制約されることなく、「大元帥」の天皇みずからが帝国陸海軍を統帥し戦時の宣戦および終戦講和を天皇が特権的にでき、かつ平時より天皇を「現人神」と神聖視して仰ぎ、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼ス」ることを日々の学校教育にて国民に注入教化する、大日本帝国憲法と教育勅語とを二本柱とした明治国家由来の反民主的で神権的な近代天皇制の制度にあったのだ。問題の核心は明らかに昭和天皇個人ではなくて、近代天皇制の制度(システム)自体にあった。しかしながら、キリスト者で政治学者であった南原繁は戦時から戦後に至るまで、「日本精神の宗教改革」「新日本文化の創造」の必要性を時に強く説きながらも、天皇制護持の立場を貫き、天皇個人への戦争責任追及から昭和天皇退位論に終始した。世界宗教であるキリスト教信仰のキリスト者でありながら、民族宗教である神道を素地とする極めて政治宗教的な国家神道体制に象徴される「現人神」たる天皇への陶酔を内実とした神権的な近代天皇制に対するトータルな批判を遂になし得なかったのである。南原繁の近代日本の知識人としての、この問題は改めて考えられるべきだろう。

岩波新書の赤、加藤節「南原繁」(1997年)は、キリスト者であり政治学者であった南原繁の評伝である。本新書のサブタイトルは「近代日本と知識人」であった。著者の加藤節は東京大学法学部出身で、加藤は東大の政治学者の福田歓一の弟子である。前述のように福田歓一は元東大総長の政治学者・南原繁の弟子であるから、加藤節は南原繁の孫弟子ということになる。若い頃の加藤は晩年の南原に師事し南原の近くにいて、よく南原を見ていたという。だから南原からの聞き書きである丸山眞男・福田歓一編「南原繁回顧録」(1989年)の長い内容をコンパクトにまとめた今般の岩波新書「南原繁」は、南原の正統な弟子筋に当たる加藤節の筆によるものとなっている。

「幼くして家長教育を受けた郷里香川での日。キリスト教に出会った一高時代。内務官僚の実務経験。ナチス批判と終戦工作。戦後初の東大総長として高くかかげた戦後改革の理想。『理想主義的現実主義者』南原が生涯追究したのは、共同体と個人との調和であった。近代日本の激動の歴史と切り結んだ政治哲学者の思想を綿密にたどる評伝」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の書評(530)中村とうよう「ポピュラー音楽の世紀」

私が中高生の頃の1980年代から90年代は、まだ今のようにインターネット環境が不在でダウンロードやサブスクはなく、音楽を聴くのに街のレコード店に頻繁に行っては新譜や旧譜のレコード・CDをその都度購入していたし、新作情報やアーティストのインタビューらの音楽記事もネット上の記事配信がなかったので、紙媒体の音楽雑誌をよく読んでいた。

洋楽雑誌に関する限り、渋谷陽一の「ロッキング・オン」と、中村とうようの「レコード・コレクターズ」と、森脇美貴夫の「DOLL・MAGAZINE(ドール・マガジン)」の3誌を私は必ず読んでいた。各雑誌に各人の名が付するのは、実は音楽雑誌、特に洋楽ロック系の雑誌は1980年代当時はまだ歴史が浅くて、それぞれの雑誌にだいたい創業者で編集長の名物で有名な人がまずいて、彼らがもともと趣味の小規模誌でやっていたものが人気が出て多くの読者を獲得し、やがて商業誌としてビジネスベースに乗って全国書店に流通し、そうすると彼らの個人商店のような形態で会社化して、創刊時の編集方針はそのままに、大手出版社の傘下の一音楽雑誌部門に課されるような制約なく、各雑誌がかなり自由にやっていたのである。だから当時は各誌とも、それぞれに特徴があって読んでいて面白かった。

渋谷陽一の「ロッキング・オン」は、来日ミュージシャンへのインタビューやライブ・レポートが早かったし充実しており、カラー写真も多く掲載されていてビジュアル的に綺麗な雑誌で気に入っていた。また海外雑誌から記事購入し翻訳して載せていて、文字的にも毎号読みごたえがあった。中村とうようの「ミュージック・マガジン」は毎月新譜のレビューと採点評価があってチェックしていた。また音楽評論家の萩原健太の連載コラムなども毎号、私は楽しみにしていた。

森脇美貴夫の「DOLL・MAGAZINE(ドール・マガジン)」はパンク・ガレージロック系の専門誌で、他雑誌にはないパンク・ガレージのバンド紹介や新作情報が目当てでよく読んでいた。編集長の森脇美貴夫による多少の鬱(うつ)が入った暗い無気力な連載エッセイも、私は何だか好きだった(笑)。当時、私が住んでいる街には輸入レコード店がなかったので、その時はインターネットもないし、「DOLL・MAGAZINE(ドール・マガジン)」には東京や大阪の輸入レコード店がパンク・ガレージ系の外盤の入荷情報を載せた広告を毎号掲載していて、私は雑誌を見て店に電話してよく通販利用していた。

昔は音楽雑誌の編集者やライターは現在のような社会的地位になく、だいたいバカにされていたのである。「あれこれ音楽について述べて評論記事を書く以前に、そんなにエラそうに言うなら自分で作曲して演奏して歌って実際にパフォーマンスしてみろ!お前ら音楽雑誌の編集者・ライターは、文筆でミュージシャンと音楽作品そのものに単に寄生しているだけだろう(怒)」のような口吻が昔はよくあった。「ミュージック・マガジン」の中村とうようは歌手の高田渡を酷評したが、逆に中村は高田から「そんなにいうなら、あんたが歌えばいいじゃないか」と突き放して冷たく言われるあり様だった。

だが他方で、各音楽雑誌を編集・販売する彼らの方にも編集者・ライターの立場からのそれなりの主張があって、「既存の音楽雑誌はレコード会社やプロモーターのヒット拡大の意向を汲(く)んだ御用雑誌で、ミュージシャンのアイドル的な写真とピンナップ掲載や絶賛太鼓持ちの提灯記事ばかりで、ロック雑誌に批評性が皆無じゃないか。新作でもライブでも良い時は好意的な記事を書くけど、悪い時は正直に批判の酷評の記事も載せる」というようなこと。また世間一般にまだあまり知られていないミュージシャンでも、これはよいから編集部が積極的に取材し記事を出して猛プッシュして行くような動きも彼ら音楽雑誌にはあった。

前者に関していえば、「ミュージック・マガジン」での、マイケル・ジャクソンのアルバム評で中村とうようが0点を付けた、あの件である(笑)。「ミュージック・マガジン」は毎月、新譜レビューで講評して10点満点で採点するのだが、マイケル・ジャクソン「スリラー」のクロスレビューで中村だけ、なぜかやたらと厳しくて10点満点で0点を付ける。マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」(1982年)は80年代の当時からリアルタイムで聴いて、現在の2020年代に聴いてもよくできた良作の名盤だと私は思うけどなぁ。中村とうようという人はワールドミュージックに造詣深くて、世界の民族音楽を収集の大家で一家言あって、マイケル・ジャクソンのような「民族性や地域性に根差した大衆音楽の歴史の重みに対する尊敬の念を欠いて、単に黒人音楽を商業ロックの流行に乗せチャート急上昇で世界中で売れまくって大ヒット」のようなことが(おそらくは)とにかく気に入らないのである。それで中村とうようによる採点では、マイケル・ジャクソン「スリラー」は最低点の0点←(爆笑)。大手出版社の傘下の既存の音楽雑誌でレコード会社やプロモーターのヒット拡大の意向を汲み利権が絡んだ御用雑誌では、絶対にあり得ない事態である。

後者に関し特に印象に残っているのは、日本のバンド「エレファントカシマシ」のことだ。今でこそ宮本浩次のエレファントカシマシは人気のバンドで代表曲もヒット曲も多くあって売れて有名だけれど、昔はエレファントカシマシは知名度が低く、そこまで売れず、売上不振のため中途でメジャーのレコード会社から契約打ち切りとなり、一時期はインディーズのバンドになって相当に苦労していたのである。渋谷陽一の「ロッキング・オン・ジャパン」はデビュー時から宮本浩次らのエレファントカシマシをやたら高評価し激賞してかなり猛プッシュしていたし、エレファントカシマシがメジャーのレコード会社から契約解除され地下漂流している時でも、誌面で全力応援していた。私はエレファントカシマシというバンドのファンではないが、昔に渋谷陽一の「ロッキング・オン・ジャパン」がエレファントカシマシに異常に肩入れして熱烈応援していたことが、今となっては非常に懐かしく思い起こされる。

さて、「ミュージック・マガジン」の創業者で元編集長でミュージック・マガジン社の代表取締役であった中村とうように関しては後に、中村の投身自殺というショッキングな出来事があった。

2011年7月、東京都内のマンション敷地内で倒れているのが発見され病院に搬送されるも、後に死亡が確認された。警察は、このマンションの8階の自宅から飛び降り自殺を図ったものとみている。中村とうよう(1932─2011年)、79歳没。

晩年の中村とうようは、「ミュージック・マガジン」のレビュー執筆者を降板して、同誌ではコラム「とうようズ・トーク」のみ担当していた。私は「とうようズ・トーク」を毎号だいたい読んでいたけれど、最後の方のコラムはもはや音楽には関係がなく、政治や社会問題への急角度からの突っ込みで、自民・公明与党の政権批判とか、地方の過疎化や高齢者の介護医療問題らの内容が多くて、中村とうようは非常にいらだっていつも激怒しているような、どこか暗い袋小路の鬱状態に入ったような少し心配になるコラム内容で正直、私は敬遠気味であった。そうしたら、後に中村とうよう自殺の報を聞くことになるとは。

それで中村とうようが亡くなってすぐ、自死の直前に中村が書いて編集部に渡した最新で最終の「とうようズ・トーク」が中村の絶筆の遺稿として「ミュージック・マガジン」に全文掲載される。もうこれから死ぬことを決めて覚悟した「遺書」のような壮絶内容の中村の「とうようズ・トーク」最終回で。その時の号が今は手元にないので正確な文面は忘れたが、「こんな雨に日に飛び降りたら後で片付ける人は大変だろうな」「年を取っても他人の世話にはなりたくない。…ぼくという少し変わったやつがいたことを覚えていてもらえるとうれしいです」「でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかったってね。この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、もう思い残すことはありません」というような事が書かれてあった。

音楽雑誌「ミュージック・マガジン」での「とうようズ・トーク」最終回の掲載は近年のメディア史でも、それなりの衝撃の「事件」であったと思う。編集部は中村の自殺を受けて、社内協議の上で最後に渡された故人のコラム原稿に一切手を入れることなく、そのまま全文掲載したという。あのような編集者個人の私的な遺書に近い原稿をそのまま全文、自死の直後に不特定多数の誰もが購読参照できる全国流通の商業誌に載せることは、通常はない。このような故人の私的な遺書めいた最期の文章が遺族の意向で後日の「お別れの会」や後年の法要の積み重ねの節目に、印刷され関係者にのみ配布されることは時にある。だが、それが死の直後に即のリアルタイムで全国流通の商業誌に載せられることは、やはり珍しい。

大手出版社の一編集部門の音楽雑誌であれば、こうした編集者の私的な最期の文章を何の検閲もなしにそのまま全文を雑誌に載せることはありえない。しかし、中村とうようの「とうようズ・トーク」最終回の場合にそれができたのは、音楽雑誌「ミュージック・マガジン」の創業者が他ならぬ中村とうようであり、もともと中村主宰の小規模誌でやっていたものが人気が出て多くの読者を獲得し、後に商業誌としてビジネスベースに乗って全国書店に流通して結果、ミュージック・マガジン社という中村とうようが創業者で元編集長で代表取締役である個人商店のような形態を取っていたことによる。同時代の渋谷陽一の「ロッキング・オン」や森脇美貴夫の「DOLL・MAGAZINE(ドール・マガジン)」らと同様、既存の大手出版社下の一編集部門ではなく、小規模誌出発の個人創業から始めて創刊時の編集方針を保持し自由にやる編集経営の形態にて発展してきた、日本の音楽雑誌の特殊なあり方ゆえと思うのである。