アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

極私的パワーポップ名盤(5)Paul Collins Beat(ポール コリンズ ビート)「The Beat」

アメリカは西部のロサンゼルスから出たパワーポップ・トリオ、「Nerves」(ナーヴス)の元ドラマーであったポール・コリンズ(Paul・Collins)。彼がサンフランシスコに移住の後、新たにスタートさせた4人組、「Paul・Collins・Beat」(ポール・コリンズ・ビート)のファースト・アルバムが「The・Beat」(1979年)。本作は往年のパワーポップ・ファンから古典的名盤といわれ、ジャケットも昔からその筋のファンの間では有名である。

もともとは「ザ・ビート」のバンド名だったが、後にイギリスに同名バンドがいることが発覚。そのため米国の方は「ポール・コリンズ・ビート」(Paul・Collins・Beat)、英国の方は「イングリッシュ・ビート」(English・Beat)へそれぞれ改名した経緯がある。そのため、よく見るとポール・コリンズのザ・ビートは、ファースト・アルバムのジャケのグループ名表記は単に「The・Beat」となっていたけれど、続くセカンド以降は「Paul・Collins・Beat」の長いバンド名表記になっている。

ポール・コリンズ・ビート「The・Beat」は、何よりもアルバム・ジャケットがカッコいい。このバンドはジャケのアートワークが毎作、だいたい優れている。ファースト・アルバムの、正面からのメンバーが歩道を歩き出しの構図、セカンドのミニアルバム「The・Kids・Are・The・Same」(1982年)のメンバー4人の陰影が延びて「Beat」の文字が大きく浮び上がる構図、ともに傑作ジャケットだ。ファースト・アルバムのジャケ写真や昔のグループ記事を見ると、ポール・コリンズは長髪でスリムで眼光鋭くかなりの男前なのだが、まさか前頭髪部が急速に薄くなって後年あそこまで激しく風貌が変わるとは思わなかったなぁ。

ポール・コリンズ・ビート「The・Beat」は、元ドラマーのポール・コリンズ主導のバンドなだけあり、「ザ・ビート」というグループ名通りの痛快なノリのロックンロール基調の良質パワーポップである。ファースト・アルバムの初回プレスは1曲2分強の楽曲が全12曲で、アルバム1枚が30分ほど。やはり元ナーヴスで活動して、後にポール・コリンズ・ビートを結成しただけあって、デビュー間もない新人ではない、それなりに業界を知っていて売れるために、似た曲連発で単調な一本調子にならないようアルバム収録の曲調や曲展開のアプローチを各曲ごとに巧(たく)みに変えており、聴き手を飽きさせない工夫を本作から感じ取ることが出来る。

アルバム「The・Beat」で特によいのは、M4「Dont・Wait・Up・for・Me」、M6「Walking・Out・on・Love 」、M8「USА」、M13「There・She・Goes」あたり。特にM4とM6は屈指の良曲。アルバム1枚を通して魅力的なギターの音色とリフ、軽快なビートと万全のコーラスワークで抜群の安定感である。

さて、ファースト・アルバム「The・Beat」(1979年)の発表から40年以上が経過した2020年代。ポール・コリンズ・ビートは2000年代以後もよく来日して日本公演をやってくれる。しかも首都圏の大ホールではなく、各地のライブハウスの割かし小さなハコをまわる日本ツアーで、彼らのアクトが生で観られて地元のバンドと対バンもしてくれるという。熱烈なポール・コリンズ・ビートのファン、ないしは往年のパワーポップ・ファンには感動ものである。

Beat

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このブログ全体のための最初のノート

今回から新しく始める「アメジローのつれづれ」。本ブログ「アメジローのつれづれ」は全三部よりなります。第一部は「生活のたのしみ」、第二部は「音楽のたのしみ」、第三部は「読書のたのしみ」。

第一部の「生活のたのしみ」は、現在の日々の生活(ライフスタイル)について。最初は精神態度とかバイクとかファッションなど私の基本の生活スタイルである、いわゆる「モッズ」についての特集「モッズな生活」から。そして過去に遡(さかのぼ)って、以前に私は京都に住んでいたことがあるので特集「京都喫茶探訪」。昔よく行った京都のタンゴ喫茶「クンパルシータ」の思い出など。

第二部は「音楽のたのしみ」で、スカパラについての特集「東京スカパラダイスオーケストラ大百科」、つづいてYMO(イエローマジック・オーケストラ)に関する特集「YMO伝説」、さらには特集「フリッパーズ・ギター・小沢と小山田」「天才・岡村靖幸」「ピチカート・ファイヴの小西康陽」「パワーポップ関連・極私的名盤」など。

第三部は「読書のたのしみ」。別ブログ「アメジローの岩波新書の書評」で収録できなかった岩波新書以外の書籍に関することを。まずはトキワ荘出身漫画家で私が大好きだった寺田ヒロオの「テラさん」についての「特集・寺田ヒロオ」から始めて、次に海外の探偵小説・ミステリーの「シャーロック・ホームズ」「アルセーヌ・リュパン」「エラリー・クイーン」ら諸探偵の短編集の書評を。加えて、日本探偵小説界の巨星・横溝正史と江戸川乱歩の特集「再読・横溝正史」「江戸川乱歩・礼賛(らいさん)」。そして日々愛読している太宰治全集より特集「太宰治を読む」から、最後に比較的長いシリーズ「大学受験参考書を読む」へ。

お探しの記事やお目当ての特集は、本ブログ内の検索にて特集タイトル(の一部フレーズ)を入力でサーチをかけて頂くと出てきます。

京都喫茶探訪(1)クンパルシータ

今回から始まる新シリーズ「京都喫茶探訪」である。以前に京都でよく行った純喫茶のことなどを。ただ昔よく行った喫茶店への私の思いを書いているだけで、「あの店の由来や歴史はこうで」のタメになる話や「得々メニューはこれだ!」のようなお薦め情報はないので、読んでいて正直うっとうしいと思う。一般に他人の私的な思い出話ほど第三者が聞いて本当にどうでもよくて、なおかつうっとうしいものはないので。だが、このブログはほとんど人が来ないから(笑)。人に読んでもらうのが目的ではなく、自分のためだけに書いているので、それがせめてもの救いだ。

以前、京都の木屋町に「クンパルシータ」というタンゴ喫茶があった。昼間は開いていなくて夕方から深夜に開いている喫茶店だった。映画館でレイトショーを観たり、晩飯を食べて一杯やった後によく行っていた。何だか好きで本当に頻繁に寄っていた、クンパルシータには。

狭い路地の風俗店に囲まれた場所にあるので、呼び込みのオッサンの「どうですか?サービスしますよ」の怪しい勧誘の声を毎度かいくぐって(笑)、クンパルシータのドア開ける。左手にカウンター兼厨房の小さなスペースあって、カウンターの上壁に飾りでトランペットが置いてあり、さらにカウンターの奥にオーディオセットが見えて(といってもCDプレイヤーはなく、アナログのレコードプレイヤーとカセットデッキだ)、店の左壁にトイレのドアがあって、そのドアの左手の電気のスイッチの辺りに藤沢嵐子の直筆サイン色紙が飾ってある。椅子は特注で作らせた赤い薔薇(ばら)のビロードのような高級な造りで、店の奥の中央に暖炉があってテーブルは8つくらい。歩くと硬い床が上品にコツコツと鳴る。店内の改装は昭和30年代に一度やったと言っていた。店内の様子を説明し出すとキリがないが、今でもハッキリ覚えている。店の感じとか空気とか、その時聴いたタンゴとか、もちろんコーヒーの味も。

女主人のママが一人でやっていて、コーヒー1杯を淹(い)れるのに時間がかかってね(笑)。先客がいるときは1時間待ちは普通。だが、昔は私も時間がたくさんあったので苦にならなかった。いつも一人で入店して本を読んだり音楽を聴いたりして、ずっと待っていた。近所に「みゅーず」という名曲喫茶でクラシックを聴かせる店があって、そこはコーヒーもすぐ出て来るしアルバイトの人も多くて、しっかりした店だったけれど、なぜか待たされるクンパルシータの方が好きだった。「コーヒーの濃さは、いかが致しましょうか?」と注文のときに細かく聞いて1杯ずつ淹れてくれた。コーヒーの味は苦いシブイ感じだ。私は常にブラックでしかコーヒーを飲まないので、苦いシブイ味のコーヒーが好きなのだ。

私がクンパルシータに通っていた1990年代当時、タンゴの音楽では正統より少し外れたアストル・ピアソラ(Astor・Piazzolla)やヨーヨー・マ(Yo-Yo・Ma)が流行っていて(おそらくCMや映画音楽にて彼らの楽曲が当時よく使われていたため)、だが、なぜか通ぶって藤沢嵐子や阿保都夫(あぼ・いくお)らをリクエストしていた。だいたい、まず嵐子さんを頼んでかけてもらって、その後、変則でわざと「美輪明宏お願いします」と言ったりして。私は、本当はタンゴには全く詳しくはないのだが(笑)。でも、よせばいいのに調子に乗って「やっぱり嵐子さんは上手いですね。嵐子さんだと安心して聴けますねぇ」などと言ったりするので、ママも「この人は、かなりのタンゴ好きな人」と勘違いされていたと思う。すみません。しかし、藤沢嵐子は当時から「かなり上手い」と思って私は好きだったのだけれど。最近は「歌姫」と呼ばれる人は多いが、私のなかで「歌姫」といえば真っ先に思い浮かぶのは藤沢嵐子だ。あと阿保都夫の「スキヤキ」(「上を向いて歩こう」)もクンパルシータで何度も聴いたな。阿保郁夫も本当に洗練されていて日本人の発声とは思えないくらい藤沢嵐子同様、実に巧(たく)みで上手いのだ。

ママともよくお話しした。もうだいぶ時間も経っているのでママとの当時の会話の内容もここに書いてもよいと思うけれど、敗戦後まもなくの頃、映画会社の人たちが店の奥でヒロポンをやっていて当時、店を一緒にやっていたママのお母さんが怒った話。敗戦後まもなく京都四条の美松会館付近の闇市にカレーライスを食べに行った時の話。まだ大映でスターとして売れる前の勝新太郎がクンパルシータの店に来て、店の公衆電話で話す「もしもし勝だけど」の声が聞こえて来て「勝って変な名前だなぁ」とママが思っていたら、勝新太郎が「僕はタンゴよりもジャズが好きでねぇ」と言った話。あとは市川雷蔵の話なども。あの頃は周防正行監督の「Shall ・Weダンス? 」(1996年)が劇場上映された時代で、ママも昔はタンゴを踊る人だったらしく、それを観に行った時の話。映画の面白場面とあらすじを最後まで詳しく話してくれた。結構、繰り返し何度もね。

クンパルシータも今では閉店でもう行けないが、最近でもたまに思い出す、店の感じやコーヒーの味、当時聴いていたタンゴ、藤沢嵐子や阿保都夫の「スキヤキ」、そしてママのことを。特に藤沢嵐子はその後、普通にCDを購入して聴いたけれど、なぜかしっくりこない。家で聴いても車の中のカーステでかけても、これが不思議と駄目なのだ。嵐子さんを聴くのならクンパルシータに行って聴かないと。音楽も音楽みずから聴かれる場所を選ぶのか?

そういったわけで藤沢嵐子も久しく聴いていない。藤沢嵐子と「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の音源など。本当に今となっては去っていった昔の記憶だけ、懐かしくて楽しい思い出だけだ。後には実物は何も手元に残らない。クンパルシータは、嶽本野ばらの小説「カフェー小品集」(2001年)のなかにも出てくる。最後はセンチメンタルで懐古な感傷モードで非常に湿っぽく、誠にすみません。

モッズな生活(3)ホンダ ジョルカブ

最近、イギリスでの、いわゆる「モッズ」たちによるスクーター・ランの雑誌記事を見た。皆さん、かなりカスタムしてデコレーションを入れた状態のよい「ベスパ」(Vespa)や「ランブレッタ」(Lambretta)を所有していて、モッズ=「貧しい労働者階級のリアルな怒りの若者文化」というよりは「デザイナーや業界人など比較的裕福な階層による最新の流行ファッション」という印象を正直、私は持った。

いまやモッズといえば当たり前のように「べスパやランブレッタのスクーターが必須アイテム」のような話になっていて、その類のスクーターに乗っていると「あなたモッズですか?」とすぐ周りの人達に言われそうだが(笑)、もともとモッズの若者は最初から「スクーター好き」だったわけではない。本当はモッズも初めのうちは四輪の自家用車を購入して乗り回したかった。しかし、モッズは底辺の労働者階級の若者文化だから彼らに金なく、残念ながら車が買えなかった…だから車体価格が割安なスクーターに乗っていただけのことだ。

バイクに乗るとき排気ガスで自慢のモッズスーツが汚れるので、軍の払い下げのパーカーをモッズコートとして汚れよけに着ていたくらいお洒落には神経質だった若者たちだから、モッズな若者で金があったら普通にスーツが汚れない四輪の車を購入して乗る。事実、1960年代後半から四輪の価格が安くなり、自家用車人気が高まるとイタリアのランブレッタ社はバイクが売れなくなり、1971年にスクーター生産をやめている。

さてイギリス本国ではどうなのか分からないけれど、今や日本でベスパやランブレッタ所有するのは、かなり大変である。まず車体価格が高いし、しかも近所にべスパやランブレッタを扱う専門店などそうそうないし、部品調達や修理メンテナンスの面でおそらく素人には無理だ。またベスパは故障しやすい、たとえ新車でも一度バラして再度、組み立て直してから乗らないとすぐ不調になるのウワサ(真偽は不明)も時に聞く。

映画「さらば青春の光」とテレビドラマ「探偵物語」の工藤ちゃん(松田優作)の影響で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも、メンテナンスの手間や車体購入の経済的負担の金銭面で思いかなわず、私は今デザインがべスパやランブレッタぽいホンダの「ジョルカブ」に乗っている。そんなわけで愛車の赤のジョルカブにフロント・キャリアとバンパーを付けてみた(画像のような感じ)。

さすがにフロント・キャリアとバンパー完備の赤のジョルカブに、モッズスーツとモッズコートを着用で街乗りして信号待ちなどしていると「おまえはモッズか?」「もしかしたら映画『さらば青春の光』やバンドのコレクターズのファンの方ですか?」のような、無言ないしは有言の車中や通行人からの声が時に掛かって困る(笑)。

ジョルカブは、見かけはジョルノのデザインにカブのエンジンを積んでいるので「ジョルノ+カブ=ジョルカブ」なのだが、ステップに4速のギアが付いていて、足元でガチャガチャやりながら走る操作性が面白い。また、エンジンがホンダの「カブ」だから汎用性が効いて交換・代替部品も豊富にあるし、近所のバイク店でオイル交換などのメンテナンスも気軽に日常的にできる。それに何しろホンダのカブは「ストップ・ゴー」を日常的に頻繁に繰り返す郵便や新聞配達の業務用バイクに採用されるくらい故障が少なくエンジンが強く、総走行距離もかなり長くまで行けて末永く乗れるらしいので、モッズな方で「一度はランブレッタかベスパを所有したい」と思いながらも思いかなわずな人に私は強くお薦めしたい。

ジョルカブはもう生産中止だが、まだ中古車で日本国内にてそこそこの車体数は流通しているし、価格的にもそこまで高騰の「幻の車種」ではないらしいので、お薦めです。

大学受験参考書を読む(106)藤田宏 長岡亮介「大学への数学」

大学受験数学で「大学への数学」と言えば、昔は研文書院の黒いカバー表紙の参考書「大学への数学」と、東京出版から毎月出ている月刊誌「大学への数学」とが同タイトルでまぎらわしくあった。「大学への数学」ら「大学への××」シリーズの黒カバー表紙の本格派な大学受験参考書を出していた研文書院は、後に廃業し今日では存在していない。そのため研文書院の「大学への数学」シリーズは今や絶版・品切れとなっている。

このことから研文書院の「大学への数学」シリーズの硬派な黒カバーの参考書は、今では価格高騰して古書であるにもかかわらず、いずれも定価より高くなっているようである。1冊だけなら、まだ少しは納得できる古書の価格設定になっているものもあるが、「数学Ⅰから微分積分、確率統計まで」のシリーズ全冊を揃(そろ)えたコンプリートのセット売り古書となると、かなりの強気な高額で古書店での流通販売もしくはネット上で個人取り引きされており、驚くほどである。

研文書院は古くからあった大学受験参考書を出していた老舗(しにせ)の出版社で、私が高校生だった1980年代や後に私が大学進学した1990年代には街の書店の参考書コーナーに普通にあって、良心価格の納得できる定価で購入できていた。まさか、あの硬派な黒表紙カバーの「大学への××」を出していた研文書院が後に廃業して、研文書院刊の参考書が一斉に絶版・品切れとなり、ここまで一気に価格高騰するとは思ってもみなかったな。研文書院といえば、私は安藤達朗「大学への日本史」(1973年)を昔から所有していて折に触れ大切に読み返していた。安藤「大学への日本史」が相当な名著で、あの精密で周到な、ある意味、大学受験日本史のレベルを軽く越えた詳細記述に感心して、そこから同研文書院の大久間慶四郎「大学への世界史の要点」(1976年)も買い求め所有していたし、同社の「大学への数学」の各書も、それとなく購入していた。必ずしもしっかり問題を解いて勉強していない、いい加減な「積ん読」であったけれど(笑)。今にして思えば、研文書院の「大学への数学」シリーズを同社が廃業する前に定価購入して集めておけば良かったとは思う。

さて私は大学は理系学部に進学しなかったので、私が知る範囲は大学受験のための高校レベルの数学までだが、大学進学後も、また学校を卒業した後でも遊びで大学入試数学の過去問を解いたりしていた。

独学で大学受験数学を学んできて、このレベルまでの数学は、もともと(1)代数的アプローチ(変数xやyを用いた方程式で、グラフ上の点が満たす式)と(2)幾何学的アプローチ(x軸とy軸の上で図示されるグラフで、方程式を満たす点の集合図)の2つがあって、これら2つのアプローチ形式を常に意識できて、かつ「代数的アプローチ(方程式)から幾何学的アプローチ(グラフ)へ」、ないしは「幾何学的アプローチ(グラフ)から代数的アプローチ(方程式)へ」の移行がどれだけスムーズに自在に出来るかが、いわゆる「数学の基本をわかっている」とか「数学のセンスがある」ということになるのだと思う。

私が高校生の時、例えば二次関数の方程式があれば手癖(てくせ)で即座に平方完成や因数分解をしていた。だが後によくよく考えて、あれはなぜかといえば、方程式の代数的アプローチからグラフの幾何学的アプローチに移行するために必須の手続きだからである。一次関数は直線だから変数xとyの任意の2点がわかれば、すぐにグラフがかける。2点を直線で結んで延長させればよいから。だが二次関数は放物線なので変数xとyの任意の2点をわかっていてもグラフはかけない。頂点がわからないと放物線の二次関数グラフはかけない。そこで平方完成してy=(x−p)2+qで、谷型カップか山型キャップの二次関数グラフを平行・上下移動したグラフとしてかくことができる。もしくは因数分解すれば、放物線とx軸との2点の交わり(α,0)(β,0)がわかるから、その2つの解の中間点が二次関数の頂点のx値とわかるので、そこからグラフをかくことができる。

それでベクトルも指数・対数も三角関数も数列も、基本は代数的アプローチの方程式で考えるが、同時に幾何学的アプローチのグラフにも必ず移行できる。そういった「方程式→グラフ」「グラフ→方程式」を常にイメージして高校数学は勉強すると上達が早いと思える。

私が、高校数学の中で昔から特に好きな分野は微分・積分である。微分・積分は代数的アプローチの方程式と幾何学的アプローチのグラフとの双方向移行の究極を狙(ねら)っている数学分野だから、特に好きなのである。微分の概念を使えば、二次関数以上の高次の曲線グラフ(幾何学的)でも、その曲線のカーブを異常にクローズアップしてどこまでも微細に見て、その曲線はやがて直線の一次関数(導関数)の方程式(代数的)になるし、さらには曲線の線は点の集積だから1つの点(極限値)に収束していく。逆に積分の概念を使えば、二次関数以上の高次の曲線グラフ(幾何学的)でも、その曲線のカーブをある程度のロングショットであくまでも俯瞰(ふかん)で見て、直線でないため厳密に面積計算できない、その曲線部分に囲まれた範囲の総和(積)を方程式(代数的)でかくことができるのである。

大学受験参考書を読む(105)渡辺次男「なべつぐのあすなろ数学」

昔、私が高校生であった1980年代に渡辺次男「なべつぐのあすなろ数学」(1975年)という高校数学の参考書があった。現在では絶版・品切で流通数が少なく古書価格も高騰していて、なかなか入手困難な渡辺次男「なべつくのあすなろ数学」シリーズである。

本シリーズの初版はいつなのか、正確な書誌情報を私は知らないが、私が高校生の頃の80年代には(確か)「数学Ⅰ、基礎解析、代数幾何、微分積分、確率統計」の全5冊でシリーズ完結の「なべつぐのあすなろ数学」だった(と記憶している)。1980年代の高校数学の標準カリキュラムは「数学Ⅰ、基礎解析、代数幾何、微分積分、確率統計」の各分野があって、数学教科はこれら5冊の教科書で学習していた。私が通っていた高校では、高校1年の時に数学1をやり、高校2年で基礎解析と代数幾何をやって、高校3年の時には微分積分と確率統計をやっていた。

今でこそ立ち読みで済まさず、確実に書籍を購入してもらいたいがために、購入した人しか参照できない袋とじのグラビア・ページが、いかがわしい週刊誌によくあったりするが(笑)、渡辺次男の「なべつぐのあすなろ数学」もかなり古い書籍なのに、なぜか「立ち読みを許さず絶対に買ってもらう」工夫の袋とじページが昔からあるのであった。「なぜ高校数学の参考書で袋とじページありなのか!?」、私は前から疑問に思っていたが。

ところで、私が高校生の時には「必ずやっておくべき」英語の大学受験参考書の定番の内の一冊に伊藤和夫「英文解釈教室」(1977年)があって、周りの人はだいたいやっていた。しかし伊藤「英文解釈教室」は内容が高度で難しいので、いきなり「英文解釈教室」をやらずに、当時は新しく出たばかりの初級入門編的な伊藤和夫「ビジュアル英文解釈・PARTⅠ、PARTⅡ」(1987、1988年)をまずやって英文解釈の基礎力をつけてから、次に伊藤「英文解釈教室」をやるのがよいと言われていた。それで私も高校時代に伊藤和夫「ビジュアル英文解釈」の2冊を割と集中して一生懸命にやった。「ビジュアル英文解釈」は英文解釈の講義内容は初学者向けに大変に親切でよいのだけれど、本参考書の解説が通常の説明文ではなくて、なぜか伊藤和夫が扮する英語の「I先生」と男子生徒と女子生徒の3人で、対面講義を受けたり質疑応答を交わしたりで楽しく会話しながら進める、教師と生徒の架空の会話形式になっていて(苦笑)。小中学生向けならいざしらす、そこそこの大人の高校生向けの英語参考書なのだから普通に真面目に文章解説すればよいのに、著者の伊藤和夫はこの会話形式が「わかりやすいから」と思ってやっているのか、わざわざ遠回しな会話文のコント台本を延々と読まされているような、かなり幼稚な悪印象でイライラしながら伊藤和夫「ビジュアル英文解釈」を急いでやった苦(にが)い思い出が私にはある。

渡辺次男「なべつぐのあすなろ数学」も、渡辺次男が扮する「なべつぐ先生」と、あすなろ君とか、あすなろさんのような名前の生徒たちが出てきて、対面講義を受けたり質疑応答を交わしたりで楽しく会話をしながら進める、教師と生徒の架空の会話形式の寸劇(コント)のようになっていて、ふざけているような幼稚な感じが終始して、とりあえず私には合わなかった。本参考書を高く評価する人も多くいて、特に悪い本とまでは思わないけれど、少なくとも私には合わなかった。「なべつぐのあすなろ数学」シリーズの中の1冊くらいは当時、最後までやったかな。

高校生時代の私は、当時は駿台予備学校の数学科に在籍していた秋山仁や、東京出版が出している月刊誌「大学への数学」の常連寄稿者で一時期は代々木ゼミナールの数学科にいた安田亨や、これまた当時に代ゼミが出していた月刊の受験情報誌「alpha(アルファ)」で紙上講義をよくやっていた代ゼミの数学科の矢木哲雄といった、どちらかといえば大人で硬派な数学講義をやってくれる人たちが好みだったのである。

なぜ「なべつぐのあすなろ数学」という参考書タイトルなのかといえば、この「あすなろ」の元ネタは井上靖「あすなろ物語」(1953年)から来ていると思われる。アスナロというヒノキに似ているが材木としてはヒノキには劣る木があって、そのアスナロの木が「でもがんばって、やがては立派なヒノキになろう。一生懸命にがんばって明日(あす)こそは立派なヒノキになろう」の「あすなろ」エピソードから、そのまま「日々、勉強の努力を続けて苦手な数学教科であっても、やがては数学が出来るようになろう。必ず数学を得意科目にしよう」の数学を学ぶ高校生や大学受験生のひたむきな、あるべき姿に「あすなろ(の木)」を重ね合わせる著者の渡辺次男(「なべつぐ先生」)の意趣に由来するものと考えられる。

私は詳しくは知らないのだが、「なべつぐのあすなろ数学」シリーズの著者である渡辺次男は、どうやら旺文社「大学受験ラジオ講座」(通称「ラ講」)の講師を昔は担当していたらしい。だから「なべつぐのあすなろ数学」の参考書は旺文社から出ているのか、と後に納得した次第である。

大学受験参考書を読む(104)山下厚「東大合格への世界史」

山下厚「東大合格への世界史」(2006年)は、副題が「東京大学への道・東大文Ⅰ生が教える日本語力で解く論述テクニック」である。また表紙には「東大模試1位の国語力で解き明かす、世界史で満点近く取る方法とは…?文章構成力で満点近く稼げ!」「現役東大生が教える体験に基づいた東大世界史の突破法」ともある。本書は、東大現役生の大学生の著者が直近の自身の実際の東大受験突破の合格体験を元にした東大二次試験、世界史論述対策の参考書である。

本参考書が出始めの頃、「Amazon(アマゾン)」のレビューやその他の書評で、本書が異常な低評価の散々な罵倒の酷評に見舞われているのを目にしたことがある。山下厚「東大合格への世界史」は、大人でベテランの進学指導の高校教師やプロの予備校講師が執筆したものではない。本書執筆時、著者は東大在籍の学部生で20歳前後の学生であるから、たかだかそうした20歳前後の現役大学生が書いた大学受験参考書であれば、東大世界史論述過去問に関する模範解答や論述作成の解説に多少の不備や説明不足の物足りなさがあっても当然だろう。そこまで激怒して酷評するほどのことでもない。

しかしながら、レビューや書評であそこまで苛烈に低評価の末の散々な罵倒の酷評に見舞われるのは、低評価の各文章をよくよく読んでみると直接的には書かれていなくても、どうやら本書に対する客観的な内容評価以前に現役東大生たる著者への反発の感情や主観的な怒りが各人にあるためらしい。東大に見事合格の現役の東大生であることに加えて、「かつて東大模試で全国1位を獲った」とか「東大模試の総合偏差値は80だった」など、著者は東大世界論述の解説中にさりげなく、やたら頻繁に自己実績の自慢を入れるのであった。この部分が特定一部の読者にかなりの不評で、その結果の本参考書をめぐる「異常なまでの低評価の散々な罵倒の酷評に見舞われる」不幸であると思われる。その他にもこの人の著書に、山下厚「スーパーエリートの仕事術」(2011年)というのもある。たとえその人が東大出身の高学歴で実際に優秀で「超エリート」であったとしても、著者みずからが自身のことを「スーパーエリート」と自慢して本を出すのは、人としてどうかと私は思うのだが。

山下厚「東大合格への世界史」は東大の世界史論述の解き方以外にも、「自分がたとえ有能で優秀であったとしても、自身の能力実績を他人にあからさまに自慢げに誇示したりしてはいけない。そうすれば周りから反感の顰蹙(ひんしゅく)を無駄に買って結局は自分が損してしまう。自身の卓越した能力や華々しい実績、自己に対するエリート意識のみなぎる自信は周囲に自慢することなく、謙虚に徹して決して表には出すな。『能ある鷹は爪を隠す』のだ」ということまで著者自身の反面教師の身をもって実例を介し読者に丁寧なまでに教えてくれる(笑)。

本書は東大世界史の大論述の過去問を通して、実際の論述問題の解き方を教授するものだ。「東大生が教える日本語力で解く論述テクニック」とか「文章構成力で満点近くを稼ぐ」など、「日本語力」「文章構成力」の重要性がかなり前面に押し出され強調されている。これには単に論述答案を多くの加点要素で構成された機械的に高得点がもらえる答案作成を目指すだけではなくて、論述読み手の採点者に積極的にアピールして採点官の心を動かし結果、ぶっちぎりの高得点で東大世界史を突破するべきという著者の持論に基づいている。そして、そのような肝心の「日本語力」「文章構成力」の中身とは、著者の言葉で言えば「文章の強弱をつけよ!」ということである。

つまりは、「具体的な事例と抽象的で歴史的意義を表すセンテンスをはっきり区別して書け」。「採点官の印象を良くするコツの1つ」として「ある事柄を並列するときは、いきなり具体的な史実から入るよりは、読み手にわかりやすく、歴史的意義を含意するような抽象的なセンテンスで始めよ」といった論述記述のアドバイスが主になされる。その他にも、「因果関係(原因と結果)に注意せよ。原因と結果の混同は大減点である」とか、「政治、経済、社会、文化、宗教という『ものさし・軸』の下に事項を整理して書け」といったものもある。

確かに私の経験からしても東大に限らず大学受験の世界史論述の場合には、最初から最後まで具体的史実の事柄のみを細々と書き連ねるとダラダラとした、まとまりのない幼稚な考察論述になってしまい採点者への印象は悪くなる。それを避けるためには、論述の冒頭や中途に歴史的意義をまとめた抽象的な文章を便宜置きメリハリを出して、論述全体の流れを整える工夫が重要である。その他にも「原因→結果」のつながりが読み手に明確に伝わるよう、因果の接続を意識して内容を組み立てることは説得力ある論述のために必須であるし、いきなり一気に全面的に漠然と書き出さずに、例えば「政治の面では…経済の点では…文化的には…」というように内容をあらかじめ場合分けしておいて、後にそれぞれの項目を詳しく書き込む配慮の工夫も論述作成の際には必要となろう。そういったことが著者が本論中で何度も強調し、本参考書のウリにしている「東大生が教える日本語力で解く論述テクニック」「文章構成力で満点近くを稼ぐ」における「日本語力」「文章構成力」の実践的な内容である。

つまるところ、山下厚「東大合格への世界史」は、東大世界史論述の過去問演習に際して、「この問題ではこうした歴史用語や歴史事項が加点要素となるので必ず書くべき」とか、逆に「この問題ではこの用語、歴史事項を書き入れると設問の要求から逸脱して失点となるから書いてはいけない」などの個別の問題に対する手取り足取りの親切指導の世界史論述の参考書ではない。そういった「どのような内容の論述をするべきかの判断は初歩の基礎で、東大志望の本参考書の読者であればすでに分かっているだろう」の暗黙の前提があって、その上で「どういった文章表現や文章構成にすれば、論述読み手の採点者に積極的にアピールして採点官の心を動かし結果、ぶっちぎりの高得点で東大世界史を突破できるか」という完答の上でのさらに好印象の高得点を狙う東大世界史論述対策の参考書である。そのための本書でアドバイスされる、論述作成に際しての「日本語力」「文章構成力」養成の指導内容なのであった。

これは、もともと「東大合格への世界史」の著者である山下厚という人が、「かつて東大模試で全国1位を獲った」「東大模試の総合偏差値は80だった」の非常に優秀な人であったことによる。東大模試で過去に極めて優秀な成績を修めて東大合格を果たした現役の東大生であるから、わざわざ「何を書くか」の初歩で基本的な論述内容の指導教授は飛ばして、論述読み手の採点者に積極的にアピールし好印象の良読後感を引き出して採点官の心を動かし、さらなる加点を狙う「どういった国語技術の文章表現・構成で書くべきか」の、論述作成に際しての「日本語力」「文章構成力」養成が中心の指導内容となっている。ゆえに本参考書は初心者や中級者向けではなく、世界史論述の知識がもともとあって、そこそこの答案論述がすでに書ける受験生に向けた明らかに上級者用の世界史論述対策の大学受験参考書といえる。

「東大合格への世界史」の著者・山下厚は実際に、かなりの優秀な方であるらしい。この人は東京大学法学部卒業後、経営コンサルタントとなり現在も幅広く活躍されているようである。ただ前述したように、この人の著書に山下厚「スーパーエリートの仕事術」(2011年)というのもあって、たとえその人が東大出身の高学歴で実際に優秀で「超エリート」であったとしても、著者みずからが自身のことを「スーパーエリート」と自慢して本を出すのは人としてどうかなぁと私は思う。

大学受験参考書を読む(103)田中拓雄「実践 世界史問題集 精選257問」

昔、田中拓雄「実践・世界史問題集・精選257問」(1995年)という大学入試世界史の問題集があった。本書は絶版で今ではほぼ入手不可能。仮に古書であったとしても古書価格は相当に高騰している。私も前にこの問題集を所有していたが、これが実によく出来た世界史問題集で、難関私大の過去問を集めて問題文の同じページの右側に解答が掲載されてある。巻末や別冊の解答・解説はないのである。これは著書の田中拓雄が入試世界史を教える時のいつもの方針で、「厳密にいちいち問題演習をやって時間をかけて問題を解かなくてもよい。そういうのは時間のムダなので、問題文を読んで解答を即で見てとにかく覚えろ!その方が受験勉強の効率がよい」の教え方の信念に支えられていた。

以前に田中拓雄は東進ハイスクールに出講していたことから、東進から書店売りの世界史参考書を出していた。これが語学春秋社の「××講義の実況中継」シリーズをそのまま真似したような、東進による「××に強くなる実況放送」と言う会話口調の講義録の参考書で(笑)。その田中の「世界史に強くなる実況放送」(1997年)のヨーロッパ史や中国通史の各参考書を読むと、普段の通常講義から田中拓雄は、大学入試の過去問分析をやって、一度でも以前に出題された世界史用語を全て押さえて網羅し、それらをひたすら板書して受験生に覚えさせるような世界史講義をやっていた。

つまりは田中においては、「なぜそのようになるのかの世界史での歴史の詳しい原理的な話や、受験生に歴史に興味関心を持ってもらうために一部の予備校講師や高校教師が日々の授業の中で長い時間を費やしやるような、世界史のエピソード的な裏話の脱線や、ある世界史の事柄を取り上げた文学・映画・音楽の紹介とおすすめなど、あのようなことは大学に合格するための受験勉強として一切ムダである。そういったことにこだわり時間を使うのは効率的ではない」の旨で一刀両断に切り捨てる。

要は入試当日に世界史の試験で合格ライン以上の得点が取れて志望校に無事に合格できればよいのである。「世界史を知るために、受験生の頃から岩波書店の『講座・世界通史』を全巻読むのが望ましいなどという高校の先生がたまにいるけれど、あのような世界史の専門書籍は、めでたく大学に合格し大学生になってから読めばよい」とか、田中拓雄は「世界史に強くなる実況放送」の参考書の紙上講義の中でやたら怒っていたような記憶が(笑)。

なるほど、歴史の理論や深い理解はさておき、とりあえず試験日当日にまでに入試問題が解けるようになっていればよいのである。そのため入試過去問で出た世界史用語を徹底的に押さえて、とにかく覚えさせる極めて効率的な受験勉強指導が田中拓雄という人の世界史講義の持ち味であったと思う。だから、この人の世界史参考書や問題集を読んでいると、「これは過去に入試で出たからとりあえず覚えておけ!」の連発で、「なぜそうなるのか」とか「肝心の世界史用語の詳しい内容や意味は何なのか」、田中の世界史参考書を読んでも、よく分からないのである(苦笑)。

しかし、当の田中拓雄に言わせれば、「そういったことは大学に合格するための受験勉強として一切ムダである。そのようなことにこだわり、時間を使うのは効率的ではない。要は入試当日に世界史の試験で合格ライン以上の得点が取れて志望高校に合格できればよい。世界史に関する詳しい事柄は、無事に大学に合格した後にやればよい」と、おそらくは反論されるだけのことである。