高村外相訪中時に、中国との間で「高村大臣より、福田総理訪中までに解決する必要性を指摘し、楊部長との間で認識を共有するとともに、立場の違いを乗り越えるための政治決断の必要性でも一致。今後も引き続き協議を加速していくこととなった。」みたいな話がありました。


 これ自体は何の変哲もない話だと思われますが、私はちょっと嫌なものを感じました。まず「政治決断の必要性」、これ自体も「まあ、そうかな」と思うわけですが、これが「福田総理訪中までに解決」という条件が付くとかなり様相を異にします。


 日本外交というのは律儀です。期限を決めると、それを守ろうと努力します。外交というと行儀良くやらなきゃいかんという観念でもあるのか、日本外交は期限に忠実です。ましてや、その期限が総理訪中というデッドラインで切れていると思うと、「総理に恥をかかせちゃいかん」という動機も働きます。非常に日本側内部の事情により、何とかして期限までに解決しようとする強い力を働かせます。そして、これをマスコミも煽ります。これで総理訪中までに決着しなければ、軽々に「訪中、成果なく」みたいな報道になります。「別にいいじゃない、決着しなくても」なんてことは日本では通用しないのが現状です。


 相手さんは事情が全然違います。まず報道が統制されています。しかも、期限を守らないと胡錦涛や温家宝の顔が潰れるなんてことは全然考えません。日本の総理が来て成果なく終わっても、別に痛くも痒くもありません。こういう国では「期限を守らないとマズい」というインセンティブはゼロです。


 こういう力学が働く中で「政治決断の必要性」といえば、どちらが既存の立場を乗り越えようとするかというと、それは日本になってしまいます。期限を守ろう、守ろうとするあまり、期限を守ることが最大の国益であるかのような誤解にすら陥ります。しかも、たちが悪いのは相手がそういう日本側の性向を熟知しているということです。中国は日本を良く知っていますので、総理訪中が近づいてくると「何とかして纏めようじゃないか。おたくの総理の訪中を成功に導くために。」という美名の下に譲歩を迫ってきます。これは正直「悪魔の囁き」で、それに乗ってしまってはいけないのですね。


 日本は外交というと「成功」とか「失敗」とか言います。日本の総理が訪問する時の成功の要件は「相手に温かく受け入れてもらい、こちらからの訪問を喜んでもらうこと」、相手の偉い人が来る時は「相手を温かく受け入れ、相手の訪問を喜んでもらうこと」みたいな感じがマスコミを含むほぼすべての関係者の中にあります。結局「相手が喜ぶこと」が主要な論点になってしまうわけです。そうすると、譲歩するのはこちら側になります。それじゃいかんのです。そもそも、そういうことが「成否」の要件ではないという国益の再定義があってもいいでしょう。「中国に行って、東シナ海大陸棚の件では意見が合わず、ガツンと言ってきた」が成果としては成功であってもいいのではないでしょうか。そのためには、すぐに「穏便に纏まるイコール成功」と報道しがちなマスコミにも成熟が求められます。


 交渉する際は「総理訪中までに決着するよう頑張るけど、別にこちらから頭を下げてまで決着させんでもいい」という腹の括り方があっていいと思います。今の東シナ海大陸棚の交渉は、なかなか日本は健闘しています。「総理訪中までに決着」、「政治決断」の言葉に引きずられて変な譲歩はしないことを祈るばかりです。