ネット社会が進んだ令和の時代は不倫に対して不寛容どころではない。「人の噂も75日」という言葉も失せてしまうほど、世間は忘れないもので、新たなバッシングが起こる。バッシングが起こると、いくら優秀な人でも仕事を失ってしまうこともある。
それをまざまざと思い知らされたのは、永野芽郁の不倫騒動、そして過去に不倫を報じられた山尾志桜里元議員の参議院出馬を巡る騒動だった。
永野芽郁はなぜスキャンダルを乗り越えられなかったのか
2か月ほど前に芸能の世界で大騒動になった永野芽郁と田中圭の不倫騒動。
両者は共に否定したが、二人が男女の関係であることを証明する事柄が文春砲で明るみにされると、それに対しても説明はなく、歯切れが悪い印象がぬぐえなかったため、ネットではバッシングされることが増えていき、彼女は大河ドラマ出演ほか仕事がどんどんなくなっていった。
「清純」で売り出していたせいでダメーズが酷く、さらに窮地に立たされてしまったが、そのドラマの撮影の打ち上げで開き直ったかのように聞こえた永野芽郁の一言で、「したたか~」とさらに印象が悪くなった。私は彼女が朝ドラの主役を演じたときから、かなりあざといという印象があったので、やっぱりそうだったかと妙に納得したものだ。
あざとさやしたたかさは芸能の世界に生きていく武器になるが、不倫という汚点はSNS社会から忘れ去られるものではない。そのため顔のしみが消えないのは本人にとって辛いのと同じように、スキャンダルの汚点によって仕事が失せてしまうという事態に、女優としての立ち位置も難しくなっていった。
スポンサーがいないネットフリックスなど、有料チャンネルで再起を図るようだが、ひょっとしたら二度とスポンサーありきのドラマに復帰できないかもしれない。
斉藤由貴の会見の成功、その後の離婚
一方不倫がアダにならず逆風が吹いたのは女優の斉藤由貴。
彼女の場合は前歴があり、そのたびに記者会見がなされ、「自分は学びがない」という謝罪に彼女の正直さがにじみ出ていたので、会見でイメージダウンにならなかった。本来の演技の巧さも加わって、仕事の領域が増えた稀有な存在といえるだろう。
だが仕事が順調にいっても不倫の代償は必ずやってくる。私生活では同じ宗教で結びついていた夫とその後離婚。宗教で繋がると離婚はないといわれていたが、結婚は夫と妻という個人の信頼関係がベースにあるからそれが崩れてしまうと、宗教での結びつきだけでは結婚を長引かせることができなかった。
山尾志桜里元議員が不人気なのは公人になってはいけないから
そして山尾志桜里元議員。
参議院選挙で国民民主から出馬を予定していたが、国民民主の支持率急落の原因とされ、国民民主から公認をもらうことができず、離党。その後無所属で出馬するそうだが、彼女に対するSNSでの批判は今から8年前に起こった2017年に起こったダブル不倫。
私は2017年の当時、不倫疑惑が生じた背景にあることをブログで書いた。
https://ameblo.jp/moonriver2001-2007/entry-12311137814.html?frm=theme
また2017年の10月の衆議院選で勝利した時も、「負けた女、勝利した女」というテーマで女の生き方にも言及した。
https://ameblo.jp/moonriver2001-2007/entry-12322518140.html
このブログを書いた後に不倫相手の弁護士の妻が自死したという報道があり、私はすぐに「公人である議員をやめるべき」と思った。
国民の税金でご飯を食べているのなら、自死するほど苦しんだ人の死を悼み、もはや公人ではないと潔く辞めるのではないか。
だが彼女は「選ばれた自分」、「勝利した自分」を捨てきれなかったのだろう。それが世間からエゴと映り、8年経った今でもSNSの社会では風化せずに、バッシングの対象となっている。
令和時代に世間から認められない恋愛を選ぶということ
一度過ちを犯すと、許されることもなく、再生のチャンスももぎとられてしまう。
SNSの社会では、不倫をした側は葬り去られるほどのダメージを受けることになった。
私は決して不倫を擁護する側ではないけど、愛にはいろいろな形があるので、世間から認められない恋愛の全般のことを思うと、それを選択した人のことをつい考えてしまう。
もし世間に許容されない恋愛を選んだら「世界は私を許さない」と自覚するのは寂しいものだ、だが貫くのなら墓場まで持っていくほどの強さが必要だろう。
そこには、相手を自分のものにしたいという自分のエゴの要素が大きい「恋」より、相手の幸せや相手の周囲を傷つけないように育んでいく「愛」が必要なんじゃないかな。
恋より愛を選ぶのなら、苦しい恋も相手のことを思いやって行動することで、優しさに変わることだって、ある。
愛を貫き通すには、強さが必要だ。それはしたたかさでもなく、あざとさでもない。
愛に溢れた世界は人を幸せにする。世間で認めらえない恋でも、人を幸せにする方法はいくらでもある。
その人の幸せをひたすら願うことで、あなた自身も大きな愛を自分に与えているのだから。