昨年の12月28日にNHKで放送された「追跡!真相ファイル『低線量被ばく 揺らぐ国際基準』」を見ていて、『見えない恐怖 放射線内部被曝』(旬報社)の著者・松井英介さんの講演を思い出したのであわせて紹介します。(※以下は私の勝手な要約ですので御了承ください。by文責ノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)
まず、「追跡!真相ファイル『低線量被ばく 揺らぐ国際基準』」で明らかにされたことは以下です。
日本政府は生涯の被曝量が100ミリシーベルト以下なら影響がないとする基準をもっています。その国の基準の根拠は、ICRP(国際放射線防護委員会)が「100ミリシーベルト以下は極めて小さくほとんど影響がない」としているところにあります。
ところが、このICRPの基準以下の地域で、住民に健康被害が広がっているのです。
ICRP基準の5分の1の低線量地域で
がんが34%も増加している
スウェーデン北部にあるヴェベテルボッテン県は、ほとんど影響がないとされてきた低線量被曝の地域です。チェルノブイリ原発事故で降り注いだ当時の放射線量は年間0.2ミリシーベルト。ICRP基準1ミリシーベルトの5分の1の低いレベルでした。しかし、いまがんになる住民が増え、事故の前と比べると34%も増加しているのです。
スウェーデン政府はチェルノブイリの事故直後に安全基準を設けました。住民がよく食べるトナカイの肉は、1キログラムあたり300ベクレルで、日本の暫定基準値500ベクレルより厳しい値です。
住民の健康調査を行ってきたサールグレーンスカ大学病院のマーティン・トンデル博士は、汚染された食べ物を体内に取り込むことでリスクが高まったのではないかと見ています。博士は住民110万人を調査・解析。がん発症者の被曝量はいずれも10ミリシーベルト以下だったことが分かりました。ICRPがほとんど影響がないとした低線量でもがんが増加していたのです。「リスクは外からの被曝だけでなく、内部被曝に左右されるのです」と博士は指摘します。
ICRP基準以下で小児がんが倍増
米イリノイ州のシカゴ郊外には、3つの原発が密集しています。原発の排水には放射性トリチウムが含まれていますが、「ICRP基準以下なので影響はない」(米原子力規制委員会)とされてきました。しかし、多くの子どもたちががんなどの難病で亡くなっていました。過去20年にわたって住民1,200万人を調査したところ、原発周辺地域住民だけが脳腫瘍・白血病が30.2%増加。なかでも小児がんは2倍以上も増加していました。
原発と核開発のために
低線量被曝のリスクを半分にしたICRP
2011年10月に開催されたICRPの会議では、「子どもたちがなぜ原発労働者と同じ基準なのか。福島の母親や子どもたちは心配している。ICRPの低線量リスクがこのままでいいのか大きな疑問が持ち上がっている」という声が出されました。
ICRP科学事務局長のクリストファー・クレメント氏は「すでに作業部会をつくり議論を始めている。問題は低線量のリスクをどうするかだ。これまでリスクを半分に下げていた。低線量のリスクを半分にしていることが本当に妥当なのか議論している」と語ります。
ICRPでは、1980年代後半から議論は始まっていました。それまで1000ミリシーベルトで5%のリスクとしていたものを半分の500ミリシーベルトで5%のリスクとあらためます。ところが、ICRPは低線量被曝のところは従来通りとし、驚くべきことに、低線量被曝のリスクを半分にしてしまったのです。
なぜ、低線量被曝のリスクを半分にしてしまったのでしょうか? ICRPのメンバー17人のうち13人が核開発や原子力政策を担う官庁とその出身者だったのです。そのひとりチャールズ・マインホールド氏はアメリカエネルギー省で核関連施設の安全対策にあたっていた人物です。70年代から90年代半ばまでICRPの基準づくりに携わってきました。
マインホールド氏は次のように語ります。
「原発や核施設に携わるところは労働者の基準を甘くして欲しいと訴えていた。その立場はエネルギー省も同じだった。基準が厳しくなれば核施設の運転に支障が出ないか心配していたのだ。1990年米エネルギー省の報告書には、基準が引き上げられれば、『施設の安全対策に莫大な金額がかかる(3億6,900万ドル)』と書かれていた。アメリカの委員が低線量では逆に引き下げるべきだと主張したのだ。低線量のリスクを引き上げようとする委員に対抗するためだった。結果として、さらに原発労働者の基準を20%引き下げ被曝をより許容できるようにした。労働者に子どもや高齢者はいないのでリスクは下げてもよいと判断した。科学的根拠はなかったがICRPの判断で決めたのだ」
この結果、アメリカの原発労働者に健康被害が多発。原発で清掃の仕事をしていた女性労働者たちは健康被害に苦しみ、「私たちはモルモットでした。どんなに危険か知らされていませんでした」と語ります。
ICRPの予算(2010年)は、原子力政策を担う各国からの寄付で成り立っています。上位から、①アメリカ原子力規制委員会250,000ドル、②欧州共同体委員会130,455ドル、③ドイツ原子力安全省115,021ドル、④日本原子力研究開発機構45,000ドル、⑤カナダ原子力安全委員会40,000ドル、合計617,168ドル。
日本では、ICRPが国際的な機関として科学的な判断をしているように受け止めていますが、ICRPの委員自身が言っているように、ICRPは「政策的な判断をしているだけ。政策としてどこまで許容できて、どこまでは許容できないか判断をする組織」に過ぎないのです。
つづいて、岐阜環境医学研究所所長の松井英介さんの講演「『低線量』放射線内部被曝による健康障害」(11月26日、新医協主催、於全労連会館)の一部要旨を紹介します。松井英介さんは、岐阜大学医学部附属病院放射線医学講座助教授、東京都予防医学協会学術委員、がん研究会有明病院顧問などを歴任され、著書に『見えない恐怖 放射線内部被曝』(旬報社)があります。
政府・東電によって隠蔽される内部被曝の危険性
福島原発事故の報道で、私が一番問題だと思うのは、放出された放射線による内部被曝の危険性についてほとんど触れられないことです。加えて、時を経て出てくる先天障害や白血病・がん・免疫異常・循環器疾患などの晩発障害についてほとんど報道されないことです。
もちろん急性障害がないわけではありません。今こうしている間にも、命を削りながら福島原発事故の現場で働いている何千人もの方々がいらっしゃいます。無防備な状態で作業をしていて足の皮膚に火傷を負い、放射線医学総合研究所に入院した作業員のことは報道されましたが、高度に汚染された現場あるいは現場近くで働いている原発労働者の健康状態に私たちはもっと想いを馳せるべきです。
外部被曝が主にガンマ線が外から身体を貫いたときの影響であるのに対して、内部被曝は、身体の中に沈着したさまざまな放射性物質から繰り返し長期間にわたって照射される、主にアルファ線とベータ線による健康影響です。アルファ線やベータ線を出す核種の小さな粒が沈着した部位のまわりの細胞にとって、それらの線量は決して低線量ではないのです。このことが、内部被曝を外部被曝から明確に区別しなければならない理由です。しかも、アルファ線による細胞レベルの生体影響――分子の切断、DNA障害――はガンマ線に比べると、ケタはずれに大きいのです。ベータ線もガンマ線にくらべて非常に大きなDNA障害を与えます。しかし、ICRPはアルファ線とベータ線の健康影響を過小評価しています。
1988年につくられたECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)は、「低線量」放射性物質による内部被曝がもたらす晩発障害に警鐘を鳴らしました。1997年、一定レベル以下の「低線量」放射線廃棄物をその他の産業廃棄物と同様に処理しても良いとするクリアランス制度がEU議会に上程されようとしたとき、これにストップをかけたのがECRRです。ちなみに日本では、このクリアランス制度が国会で議決されてしまっています。
このクリアランス制度をめぐる激しい議論を経て、ECRRはICRPから独立した機関として、EU議会で認知されました。
内部被曝を無視する日本政府は、「年間100ミリシーベルト以下は健康障害なし」としています。上のグラフ(※松井氏の講演レジュメより転載)を見てください。「低線量」であっても放射性物質の微小粒子が体内にとどまった場合、重篤な健康障害、DNA障害をもたらすとするECRRのリスク曲線と日本政府の折れ線との間が、日本政府と東電が無視している健康影響リスクです。
福島原発から大量の放射性物質を海に放出するとき、ある方はこう言いました。「海の水で薄まるから大丈夫」。その方は、海には生き物がいっぱいいることを忘れていたのかもしれません。放射性物質をプランクトンが取り込み、それを小さな魚が食べ、その小さな魚を大きな魚が食べる。生態系の中でこのような食物連鎖を繰り返すうちに、放射性物質がだんだん濃くなる生態系濃縮となることをご存知なかったのでしょう。
陸上でも同じです。乳牛は空気を吸って生きています。空気が汚染されれば、汚染物資を空気とともに肺の中に取り込みます。できるだけ自然な条件で育てようとしている畜産農家の乳牛は、アメリカ産の配合飼料ばかり食べているわけではありません。外に出て草を食べます。土も食べます。草や土が汚染されていれば、それも一緒にからだの中に取り込みます。茨城産の牛乳からセシウムが検出されたのは、そのためでした。
今回の事故の後、放射性物質は、風の向きによっては数百キロ離れたところまで運ばれました。群馬産の野菜からセシウム137が検出されたのは、風や雲と一緒に運ばれ、土の上に降り積もり、地下水にも浸透していたセシウムの小さな粒を野菜が取り込んでいた結果でした。放射線は距離の2乗に反比例して弱くなるから、福島から200キロも離れた東京は大丈夫と言った方がいましたが、雨雲とともに運ばれてきた放射性物質を含んだ水道水を飲んだ場合、それはすぐ側にあるのです。細胞の間に留まった放射性物質の小さな粒子は、距離が近いだけに、まわりの細胞とDNAに照射される放射線の強さは半端ではないのです。
胎児や小さな子どもは、細胞分裂の速度が速く、代謝も大人よりははるかに活発です。体重あたりでみると、甲状腺に取り込むヨウ素131の量もずっと多いのです。カリウムはナトリウムなどとともに重要な電解質ですが、カリウムと似た化学的性質をもったセシウム137の影響は、子どもにとってずっと深刻だと考えなければなりません。体重や皮膚の性状、内臓の大きさなどが人間に最も近いとされるブタの臓器を使って、セシウムの体内分布を調べた木村真三氏(元放射線医学総合研究所研究員)によれば、セシウム137は心臓と腎臓に最も高濃度に集積していました。腎臓は排泄臓器ですから水溶性のセシウム137が集中するわけですが、24時間休みなく働き続ける心臓がカリウムと類似の挙動を示すセシウム137を高濃度に取り込んでいたという事実は注目すべき事柄です。
放射線から身体を守るには、放射性物質を身体の中に取り込まないようにすることにつきます。とくに小さな子どもや赤ちゃんをおなかにかかえたお母さん、授乳中のお母さんには、特別の配慮が必要です。早く汚染されたところから避難することが必要です。それも、個人的ではなく、幼稚園や保育園、小中学校が丸ごと移動できるよう、国と自治体に働きかける必要があります。受け入れ先では、子どもたちが安心して暮らし勉強できる環境を整えるべきです。呼吸とともに肺から吸い込んだり、母乳や牛乳、水や食べ物とともに消化管から取り込んだ放射性物質の小さな粒は、身体の中のいろいろな場所で放射線を出しつづけます。このように、何回も繰り返し長期間にわたって、ごく近いところから放射線を浴びる内部被曝を、外からごく短い時間放射線を浴びる胸部X線検査や胃透視検査などの外部被曝から区別して、健康影響を考えることが大切です。放射性物質の小さな粒のまわりの細胞にとって、内部被曝の影響は、外部被曝と比べるとケタ違いに大きいことを、子どもにも教えないといけません。
内部被曝を隠蔽しなければ原発が稼働できなくなる
1950年に設立されたICRP(国際放射線防護委員会)は、外部被曝と内部被曝に関するそれぞれの委員会を設置していましたが、1951年に内部放射線被曝に関する第2委員会の審議を打ち切ってしまいました。そして、この事実は1953年まで公表されませんでした。
「日本政府と東電はなぜ内部被曝を隠蔽するのか」を考える上で、ICRPの内部被曝線量委員会委員長であった保健物理学者のカール・Z・モーガン氏のコメントはきわめて示唆に富んでいますので以下紹介します。
「ICRPは、原子力産業界の支配から自由ではない。原発事業を保持することを重要な目的とし、本来の崇高な立場を失いつつある」
「トリチウム(ベータ放出核種)は人間の組織に沈着すると破壊的になりえる。」
「ICRPの内部被ばく線量委員会の事務局員W・S・スナイダーとともに、トリチウムの『線質係数』の値をあげるよう命がけで努力した。MPC(放射性核種の最大許容濃度)が低くなれば、産業会と軍にとってこれに対応するためにより困難が生じ経費がかかるので重大なことである。他の表現をすると、線質係数が高くなると、トリチウムに対するMPCが低くなり、放射線を取り扱っている人の作業条件がより安全になる。」
「ICRPメンバーであるグレッグ・マーレイは、原子力産業界がICRPに対して密接な関係を持っていることを率直に認めている。(線質係数を)そのように変えると政府はトリチウムを使った兵器製造ができなくなることを公に認めた。」(カール・Z・モーガン、ケン・M・ピーターソン著、松井浩・片桐浩訳『原子力開発の光と影――核開発者からの証言』2003年、昭和堂)
つぎにアメリカのピッツバーグ大学教授(当時、疫学研究の第一人者)トーマス・F・マンクーゾの報告書「マンクーゾ報告」(1977年)の一節を紹介します。
「被曝はスロー・デス(時間をかけてやってくる死)を招くものです。死は20年も30年もかけて、ゆっくりとやってきます。原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません」
「人間の生命を大事にするというのなら、原子力発電所内部で働く作業従業員の被爆線量は。年間0.1レム以下に押さえるべきである」
この「0.1レム」というのは、1ミリシーベルトのことで、ICRP勧告の50分の1になります。
原子力開発に深く関わったアメリカの2人の学者のコメントが示すものは、内部被曝を考慮し、原発労働者の健康維持を重視すると、原発が稼働できなくなるという一点につきるのです。