2023/02/06 - 2023/02/08
143位(同エリア631件中)
なかむさん
2週間滞在したチリ、サンペドロ・デ・アタカマを出発し、ボリビアの高山地帯を通り抜けながらウユニに到着する3日間のツアーに参加。
国境が開かない、雨で予定していたホテルに泊まれない、といったハプニングを経つつも、ドライバー、レイナルドのガイドのもと、彼のバンで一緒になった他5名の参加者たちと圧倒的なボリビアの景色(と夏にも関わらず10度を下回る寒さ)を堪能。
ウユニ塩湖が目的のツアーだったが、一番のハイライトは二日目のラグーナ・ネグラ。
インターネットから隔絶された貴重な3日間の記録。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
チリ、サンペドロからウユニツアーに参加。
どのツアー会社も同じ工程でツアーを組んでおり(値段はまちまちなので交渉の余地あり)、3日目の昼にウユニで終了するオプションと4日目にサンペドロまで戻ってくるオプションから選べる。
私は現金がなく、カードで支払いができるところを探したので、ツアー会社選択の余地はほぼなかった。
当初7時半にサンペドロの各ホテルピックアップ予定だったのが、前二日間続いた大雨の影響で予定していた国境が封鎖されたため、別のルートを通る必要があるということで、前日夜8時頃、出発時間が朝4時半に変更との連絡。
南米ではそのような連絡はツアー会社からのWhatsAppメッセージで知らされる。
(ツアー前日くらいにツアー会社が同じ日程で参加する参加者をメンバーに入れたグループチャットを作成し、そこに情報が流れる)
そんなわけで真っ暗闇の中、迎えのバスを待つ。 -
サンペドロは2月が雨の季節(というより、2月しか雨が降らない)。
なんと一年間の降水量の9割程度に及ぶ大雨が前々日一日の間に降り注ぎ、町は冠水状態となった。
その影響で予定していた国境は封鎖され、Ollagüeという村にある国境を通ることに。
しかし着いてみると、その国境も開いていない。
やはり大雨によるものか、システムがダウンしており技術者を呼んでいるとかなんとか。
他ツアー会社の参加者も一緒に大勢で国境で足止め。 -
しかしさすがは南米、どんな状況もエンターテイメントに変える。
突如、お世辞にも、どころかどんな美辞麗句を駆使しても決して上手いとはいえないトランぺッターとドラマーと何故かジャグラーまで登場し、即興演奏を始めたかと思えば、
それに喝采をあげていた旅行者が肩を組んで電車ごっこ。
純粋に楽しんだだけでなく、人生を楽しむというテーマにおいて多くを学ばされた。 -
そんなこんなで国境の村、Ollagüeについたのが朝8時前で、ようやくチリを出国できたのが午後一時前。
ここで各会社のツアー参加者は更にその中で6人組に分かれ、それぞれが一つのバンに乗りこむ。
各バンを担当するドライバー兼ガイドさんがバンの上で大きな荷物を受け取り、巧みに荷造りをする。
ようやくツアー開始かと思われれば、今度はボリビア入国スタッフがお昼休憩で不在のため入国手続きができない、とのことで更に一時間ほど行列待ち。
「国境が閉じていたんだから、その間にいくらでも昼食はとれただろう」というツッコミがこみ上げるが、先ほどの人生の学びを思い出しぐっとこらえる。
バンで一緒になった今後のツアーを共にするメンバーと交流を深める。 -
ボリビアの国境検査官が戻り、無事ボリビアに入国。
午前予定していたTermas de Polques 温泉と Sol de la Mañana Geyser 間欠泉はキャンセルとなり、昼食会場へ。
サン・ペドロで Geyser del Tatio 間欠泉を訪れていたので、その違いを比べるのをやや楽しみにはしていたので残念ではあったが、後から振り返れば、国境で6時間待ちというまさかの事態も貴重な体験であったし、結果的に入園料の500 BOB をその後の旅行に温存することができた。 -
ツアーの間、基本的に食事の用意は各バンのガイド兼ドライバーさんがしてくれる(食材等もバンの後ろに積んである)。
昼食準備の間、レストランの周囲を散策。
不思議な苔に遭遇。 -
別の苔だが、花が咲いているのが愛らしい。
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ボリビアの旅に欠かせない、高山病予防・治療に効くというコカ(Coca)。
そのコカとサボテンで作られたビール。
観光客目当てとはいえ、20 BOB (≒400円)とはこの国の物価からするとなかなか攻めた値段。 -
昼食後、二つの湖を巡る。
が、寒すぎて湖の記憶はほぼない。
我々のグループのガイドさん、レイナルドがかけてくれるボリビアの民族音楽をBGMにバンからの景色を堪能する。
山の名前は忘れた。 -
やはり湖の記憶はない。サン・ペドロで見飽きたフラミンゴを見た気がする。
山が素晴らしい。 -
一日目の宿は Villamar Mallcu という小さな村。
前日、私と同じ宿に泊まったベルギーからの参加者のグループに混ざり、夕食前にUNOをする。
両面にプレイカードが印刷されたUNOで、「フリップ」というカードが出されたら手持ちのカードをすべてフリップ(ひっくり返す)してプレイを続ける、というバージョン。 -
二日目。
宿泊した村の近くにある岩山を訪れると、写真では分かりづらいが数名の宇宙人が手を繋いだような古代壁画が登場。
その後の移動社内でガイド、レイナルドが La cultura chipaya? についての話をしていたが関連性は不明。
※調べると Chipaya はもっと北にある主に先住民族の人々が暮らす町とのことなので、そもそも聞こえたのが「chipaya」だったかどうかも謎。
とりあえず宇宙人と記念写真。 -
その後、Italia Perdida(失われたイタリア)という地形エリアへ。
※写真には「Ciudad perdida(失われた町)」とあるが、間違い
Wikipediaの説明によれば
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伝説によると、これらの場所を最初に訪れたのはイタリア人で、ボリビアの砂漠で道に迷い、帰り道を見つけられずに死んでしまったという。そのため、この地名に由来している。
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とのことだが、我らがガイド、レイナルド曰く「この地でイタリア人がパスポートを失くしたから」とのこと。
本気度が掴めない。
とにかく、地形は相当にユニーク。
そしてどんな危険な崖にも果敢に挑戦するツアー客たち(とそれにつられる私)。
日本だったら「立ち入り禁止」「登るな きけん」と書かれた看板の立てられること間違いなしスポットのオンパレード。 -
まるで置物のようなお花と葉っぱ。
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この季節特有の悪天候が醸し出す哀愁がなんとも感動的。
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我々のツアー会社のバンは全部で5台。
それぞれのバンに担当のドライバー兼ガイドさんがいる。みな陽気でとても親切。
右から二番目の、コカ葉の袋を握るのが私のガイド、レイナルド。
常にコカ葉を噛んでいる(彼に限らないが)。
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ちなみに「コカを噛む」と言うときに使う動詞は「masticar」。
Google翻訳によれば、
「masticar: Aplastar o triturar algo en la boca con los dientes para extraer su jugo o sabor o para ser tragado.(口の中で何かを歯でつぶしたりつぶしたりして、その汁や風味を抽出したり、飲み込んだりする)」
日本語への直訳は難しそう。
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昼食前にやってきたのは「Laguna Negra(黒い湖)」、またの名を「Laguna Escondida(隠れた湖)」とのことだが、どちらの名前で検索しても、別の湖が引っかかってくるため、正確な場所が分からない。
(それにしてもレイナルドをはじめとするガイドの方たちがいくら経験豊富とはいえ、道なき道を進みながら目的地に辿りつくのには感嘆させられる。)
これまでも野生のリャマを幾度となく目撃したが、ここには家畜のリャマが生息する。
そのためここのリャマは耳にリボンのようなものをつけている。
家畜とはいえ、人間がさほど好きでないことには変わらない。
少しずつでも近寄っていくと、無関心を装いながら徐々に離れていく。
ごついカーペットのような毛を纏い、飄々としながらも何気なく拒否感を露わにする彼らに夢中になる。 -
例外は子ども。
どの哺乳類世界でも、子どもは恐れを知らないのか。
彼らは近づいても去って行かない。
どころか100%視線を合わせてくる。まさににらめっこ状態。
こちらが痺れをきらして離れると彼(女)も立ち上がり、立ち去り際に「フッ」と見返してくる。
ちなみにリャマの顔は、もののけ姫の氏神様にとてもよく似ていると思う。 -
天国か。
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今回の南米旅行すべてにおいても、恐らく一番ではないかというくらい息を呑む景色。
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折角レイナルドたちが用意してくれたので、食事の写真も載せておく。
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その後、アナコンダとか何とかといった名称のついた崖地帯へ。
谷底を流れる川がヘビに見えるから、とのこと。
高所恐怖からではなく、風があまりに冷たいので長居できず。 -
その代わりに踊りで体温保持を図る。
レイナルドによるボリビアのダンスステップ指導。 -
これはきっとキヌア。
ボリビアでも高いらしい。
その後、町で入手しようと思ったけれど、スーパーというものに出会えず、売っているところを見つけられなかった。 -
やはり天候を理由に予定していたウユニ塩湖付近のホテルには泊まれないということで、この日は Culpina K という、ウユニへ向かう途中の小さな村に宿泊することに。
雨こそ降らないものの(道中時折降りはした)どんよりとした空も相まって散歩するだけで寂寥感に包まれるこの村では、正直なところ歓迎されていない感が半端なかった。
歓迎されていないというより、急に来られても困ります、といったご様子。
明らかに我々のツアー会社一行を受け入れる準備はなく、非常に貧しい食事となったが、それぞれのバンに一本ずつ積まれていたのだろうか、ワイン一本は配られた。
特にひどかったのがベジタリアン料理で、目玉焼きひとつに人参が数かけら、といった具合だったが、我々はそれをネタにして大いに盛り上がった。
食べるものがない中、他のグループからも恵んでもらったワインをグラスに注ぎ、それぞれが関わっている職業上の活動から恋バナまで、あらゆる話をした。
一日目の国境待機中の学びではないが、この想定外の苦境(?)によりグループの仲が圧倒的に深まった。
(ちなみにこの後訪れたブラジルで、同じグループにいたブラジル人夫婦を訪ねさせていただいた。その時もやはり盛り上がったのはこの晩の話) -
最終日、ウユニ塩湖を訪れる日。
まずウユニの町の外れにある「Cementario de Trenes(鉄道墓場)」に立ち寄る。
ボリビアには鉱山が豊富。
19世紀後半より、採掘した金、銀、銅などの原料を港湾都市まで輸送するために鉄道が使用された。
その際、鉄道の分岐点として重要な役割を担ったのがウユニ。
しかし20世紀中頃、相次ぐ鉱山の閉鎖に伴い鉄道もその役割を失い、遺棄されたままとなったそうな。
相も変わらずの天候も手助けをし、もの悲しさしかない。 -
ウユニの町から塩湖までは車で30分ほど。
到着するまではずっと雨だったが、塩湖では雨が降りにくいのか、はてはまったく降らないのか、どういうわけか近づくにつれ雲が晴れていく。
いや、だが悪天候にも関わらずこの季節にウユニ塩湖を訪れる人が多いのは、塩の上に張られた雨水が鏡に変身するから。
ということは塩湖でも降る時は降るのだろう。
とはいえ、レイナルドによれば塩湖周辺で雨に降られても塩湖では降られないということは珍しくないそう。 -
まさに狙った通りの反射っぷり!
レイナルドほかガイドたちはさすが手慣れたもので、グループのメンバーを集めて上手い具合に指示を出しトリック写真やら動画やらの撮影に精を出してくれる。
私は彼がバンから流すボリビアンな音色に踊らせてもらった。 -
一時間強の撮影ラッシュと久々の太陽を浴び、体中塩まみれ。
名残惜しさを胸に、コンドルは飛んでいくを聴きながら塩湖を去る。
(このタイミングを計っていたかのような選曲だ)
さすがにこのときは誰も言葉を発さず、それぞれの旅の締めくくりを反芻していた。 -
旅の終わりはウユニの町だったが、その前に Colchani という塩湖脇の村でお土産ショッピング時間。
「Artesania」と呼ばれる民芸品を売る店が立ち並ぶ、まさに観光客のみを相手とした村。
リャマ肉の炒め物なども売っていた。
さぞかしお値段も高めなのだろうと思い、ウユニならではのバスソルトと調味用塩のみ買ったが、後から振り返ってみれば、他の町の民芸品屋と比較しても決して高くはなかった。
その後、ウユニの町のレストランで、キヌアサラダとビーフステーキのランチ。
ちなみに外国人観光客を相手にしたツアーでは、リャマ肉は提供しないことがほとんどだそう。
好奇心の強い人もいれば、リャマを食べる文化を嫌う人も少なくないのが理由とか。
三日ぶりにWiFiが使えるということもあり、これでお別れにも関わらず皆携帯電話に夢中だった。
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