
2019/10/09 - 2019/10/17
27位(同エリア357件中)
mistralさん
- mistralさんTOP
- 旅行記269冊
- クチコミ23件
- Q&A回答19件
- 341,527アクセス
- フォロワー104人
マドリッド周辺部に絞って城塞都市巡りをしてきた今回の旅。
かつては通り過ぎてきた街に滞在し、時間をかけて街歩きを
楽しむことで、じっくりとそれぞれの街を味わうことができた。
大都市にはないそれぞれの街の特徴を感じながらの旅だったが
セゴビアまでたどり着いた今回の旅の終盤に出会ったのは
2000年の長きにわたって聳えたっている水道橋と、スペインの
王宮の歴史を見守ってきたかのようなアルカサル、
さらにはサンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く巡礼道の
影響から建造されて今に残る、ロマネスク様式の教会の数々だった。
この旅行記ではそんな教会とアルカサルをご紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10月15日、
どんより曇った朝
窓からマヨール広場が良く見える。 -
夕刻のバスでマドリッドに戻り
翌日はパリ経由で帰国する一日。
ホテルにスーツケースなどを預けて
街歩きに出発。 -
前日購入したティケットに含まれていた
Splendor Fedei Museumを目指して歩いていくと
サン・エステバン教会が
(Iglesia de San Esteban)
すぐそばにあった。 -
建築は13世紀。
最も美しいロマネスクの教会と言われる
そうだ。 -
聳え立つ鐘楼は6層からなり
アーチ型の開口部で飾られている。
遠くからでも目をひく塔は
「塔の女王」と呼ばれる。 -
現在は一部が
改修中のようだ。 -
しかし一部の柱頭彫刻は
見る事ができた。 -
彫刻の一つ一つは
長い年月の間、風雨に晒されて
溶けかかっている。 -
Splendor Fedei Museumが
オープンの時間、10:00となったので -
入場口を探して中庭へ入る。
正面入り口はルネッサンス様式とのことだが
中庭は18世紀のネオクラシックスタイル。 -
出勤してきた?女性の方に
指し示されたドアから中へ。
16世紀にはSalcedo家の宮殿だったが
1750年、司教館へと変わった。 -
-
-
-
-
-
玉座の間
-
司教、執務室
-
レセプションルーム
-
-
-
-
-
-
-
外に出たら
すっかり晴れ上がっていた。 -
水道橋まで歩いてアソゲホ広場へ。
(正面に見えているのが城壁)
水道橋をくぐりアルティジュリア広場へ出る。 -
向かったのは
サン・フスト教会。
(Church of Santos Justo y Pastor )
住宅地の続く坂を少し上がったところに
位置している。 -
塔の上には
コウノトリの巣が見える。 -
12世紀ごろの建造らしい。
-
柱頭のそばには
教会の名前が見られる。 -
ローズ模様がまだ
ハッキリと残っている。 -
-
後陣がライトアップされていて
引き寄せられるように向かう。
1960年代に漆喰の下から見つかったため
色彩などの保存状態もすばらしい。 -
キリストと
周辺部は預言者たちか? -
天井部分、
天使がメダルを掲げていて
その中には子羊が(犠牲の意味?) -
最後の晩餐?
-
ユダの口づけのシーン
-
-
横の窓には
ローマ兵士の姿が。 -
12世紀のものと思われる彫刻。
冠をかぶっている中央の女性は
コンスタンチヌス帝の母ヘレナで
エルサレムでキリストの墓を発見したとされているそうだ。
右側では天使が祝福している。
周囲を取り巻く多種類の組紐模様。 -
疫病がはやった時代、
衛生的にするためという理由で
すべてのフレスコ画は漆喰の下に
塗りこめられてしまった。
発見されたのは1960年代になってから。 -
「ガスコーニュのキリスト」と呼ばれる木彫。
フランス、ガスコーニュからロバに引かれてやってきた
この木彫は、この地でロバが倒れたことから
ここが像の辿り着きたかった場所だとされて
奉納されたそうだ。 -
周辺部の壁は今では白くなっているが
かつてはすべてがフレスコ画で飾られていた
と考えられているそうだ。 -
-
名残惜しいけど
教会を後にする。 -
先ほど内部でみてきた壁画が
鮮やかな色で立て看板に再現されていた。 -
水道橋そばにある
ツーリストインフォメーションまで
戻ってきた。
ここから左方向、バスターミナルに向かう。 -
途中、ひときわ目立っている教会。
サン・ミジャン教会
(San Millan Church) -
残念ながら公開されていない。
-
-
-
-
-
教会を後にして
バスターミナルに向かって歩きだした。
当日の夕刻、マドリッドにむかうバスのティケットの
購入とターミナルの場所の確認のため。
念のため、乗る予定の直行便のバスの出発時間を
書いたメモを渡して、ティケットをゲット。 -
城壁の外周の道を通って
アルカサルへ向かっている。
ここから城壁内へ入っていく。 -
表紙に使った写真と同じ地で撮影。
アルカサルの入場券を購入するための建物に
向かう途中からの絶景。
アルカサルへは東側からのアプローチがあり
残された三方の北、西、南の三方向は断崖絶壁。
北側のエレスマ川、西側のクラモレス川によって
大地が削り取られ、その為に出来上がった天然の
要塞の上にアルカサルが建築されていることが良くわかる。 -
-
セゴビアだだけでなくスペインを旅していて良く名前を聞く
イサベル1世 (1451-1504)
MILFLORESさんのイサベル1世の足跡を追って、のシリーズ
3.戴冠した地セゴビア(スペイン人日本語個人ガイドと
行く特別セゴビア!)
https://4travel.jp/travelogue/10839589
の旅行記を帰国後拝見しました。
スペインご在住のようですが、個人ガイドさんとともに
セゴビアでイサベル1世の足跡をたどられていて、
読み応えのある旅行記でした。
もし興味を持たれた方は、是非ご訪問ください。
関連の旅行記はイサベル1世の生涯を辿る事ができ、
セゴビア他の街の歴史も知ることが出来ます。 -
以下で「 」で囲んだコメントは
MILFLORESさんの旅行記からのコメントを
拝借しています。 -
エントランスは跳ね橋を渡って入場するように
なっているが、
跳ね橋から下を見下ろすと、足もすくむほどの
急な崖になっている。
その高さは100mほどもあるとのこと。 -
MILFLORESさんの旅行記より
「水道橋は、セゴビア近くの山脈からローマ時代にこの場所に置かれた
カストラ(軍事防衛拠点)まで水を引くために建設された。
・・水道橋のみでなく、セゴビア旧市街の道路の下にも水道が通り、
そのゴールがアルカサルになります。」
良くみると近代の黒い管のその下に、石でできた水道が見られるそうです。
その折りには、断崖の険しさばかりに目を奪われて見落としてしまった
事が残念なこと。
「深い堀に、エンリケ4世は熊を飼っていた」そうだ。 -
旧王宮の間
-
イサベルの異母兄エンリケ4世の
ステンドグラス
「製作は現代のもの」だそうです。
エンリケ4世には2度の結婚歴があるが、夫婦生活がなかったことから
エンリケ不能王とのあだ名で呼ばれており、2人目の妻とは子供が
生まれたが、その妻には愛人があったため、本当の子かどうか疑われ
たそうだ。
結果、エンリケ4世の死後、異母妹のイサベルが即位宣言をすること
となった。 -
玉座の間
2つの玉座と中央にはカトリック両王の紋章が描かれている。
(この玉座はアルフォンソ13世とビクトリア王妃の為に
作られたもの)
アラゴン王子フェルナンドと結婚して現在の
スペインを築いたイサベラ1世ゆかりの地であるアルカサル。
イサベラ1世の治世にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、
後にアメリカ大陸のほとんどを植民地とするスペイン黄金
時代を迎える礎を築いた。 -
ムデハル様式の八角形の天井
「1862年の火災により焼失し、元の天井を
再現したもの。」 -
エンリケ3世の王妃カタリーナの
ステンドグラス。
王妃はガレー船の間の建築を命じた人物だそうだ。 -
窓から ラ・ベラ・クルス教会が見渡せる。
(Iglesia de la Vera Cruz)
荒涼とした大地に佇む教会。
1208年、テンプル騎士団によって設立されたとのことだが、
近年の研究によって、エルサレムの聖ヨハネ騎士団による
可能性が高くなっているとのこと。
内部を見学された方のブログがあるので、多分見学可能のようだ。 -
イサベル1世の戴冠式の壁画。
「絵はステンドグラスの作者と同じ人によります。
異母兄エンリケ4世が1474年12月11日に亡くなると、2日後の
12月13日にイサベルは、現在のマヨール広場にあったサン・ミゲル
教会で戴冠式を挙げました。」 -
王の寝室にある
扉枠のネオ・ムデハル装飾。 -
諸王の間
「レコンキスタの開始者であるアストゥリアス王国の
ペラーヨから、イサベル1世の娘、フアナまで歴代王の
彫像が並びます。オリジナルは1862年の火災で全焼。」 -
-
-
王のテラス
アルカサルを船に見立てた時
船頭にあたる部分。 -
-
急峻な崖を見下ろすと
足がすくみそうになるほどの高さ。 -
真下に見えるのは
綺麗に刈り込みされた庭園。 -
カスティーリャ王国の歴代の王族が暮らしていた
アルカサルだが、
王族の生活の場がマドリッドに移ってからは
牢獄や王立砲術学校として使用されていたが
1862年の火災により、大部分が消失してしまった
そうだ。
その後、大規模な修復工事が行われて現在の姿が今に
残っている。 -
たくさんの見どころのあったセゴビアだったが
アルカサルから一旦ホテルに戻り
スーツケースを転がして、バスターミナルへ。
約1時間ちょっと後マドリッドに到着した。
写真は最後のマドリッドのホテル
ホテル NH ナシオナル。
以下の写真はアトーチャ駅を通り過ぎて
パエージャを食べに行った時のものです。
翌日は国立ソフィア王妃芸術センターを見学。
午後ホテルを後にしました。
空港までのバスはアトーチャ駅から始発になっている
ことから、駅近くのホテルを選んでおいたのですが
バスターミナルの情報などは別に口コミでアップします。 -
翌16日、パリ、シャルル・ド・ゴール空港での出来事、
当初、帰路としてマドリッドからパリ乗り継ぎ、成田着を予約。
マドリッドからは乗り継ぎに丁度良さそうな便を予約していたが
途中でエールフランスからメールが入り、
予定より早い便に勝手に変更されてしまった。
(調べてみたら、当初予定していた便は欠航が決まっていた
ので仕方なかった。間引き運航となった?)
その為、空港で約4時間半の待ち時間ができてしまった。
エールフランスのラウンジで、私たち夫婦はなんとか時間を
潰せそうだったが、後からフライトを予約した友人はプレミアム
エコノミーだったため、ラウンジは使えなさそうだった。
もしかしたら、OKと言われるかと期待してラウンジ入口まで
3人で行ってみたけど、やはりだめだった。
帰国便は
マドリッド発 16:49 AF1601
パリ、シャルル・ド・ゴール空港着 18:50
パリ発 23:25
成田着 18:25 (翌日10月17日) -
仕方ないので、搭乗ゲート近くで時間を潰すという友人を送り
(フリーのウェイティングスペースはすでにセキュリティチェックの前
にあった)夫婦二人でラウンジへ行ったところ、
多分、受付にいた女性二人は、ラウンジを利用するのは私一人と思って
いたようで、あら!と驚き、お友達一人が5時間も、別れて時間を潰すの?!
と驚いた様子で、それならば、一緒にラウンジを使ってもらっても
構わないから、すぐ連れてきてね、と笑顔で申し出て下さった。
一瞬、そんな申し出を受けた私たちが驚いてしまった。
とても嬉しい、温かい申し出で、その受付にいた女性二人の
やさしさに感激して、すぐ夫が友人を迎えに行った。
時に西欧の方の、ダメなものはダメ、という杓子定規の対応に
イライラすることがあるが、旅をしていて今回のような申し出を
受けると、改めて人と人との関わりには国境を越えて変わらない
ものがあるなあと思わされた体験だった。
最後は駆け足で、10月の旅を旅行記に仕上げて帰国したことに
してしまいました。
2020年も皆様にとりまして、良き年となりますようお祈りを
しながら、今回の旅をお終いと致します。
・・・・・・・
夫がトレド迄の電車の中に置き忘れたiPadのその後の行方について
追記します。
最初は忘れ物をした事を、一応お知らせしておこうという気持ちだった。
パラドールで調べていただいた、スペイン国鉄の遺失物係に、何日の
列車番号〇〇、座席xxの座席ポケットにiPadを忘れた旨をまずメール。
その後返信が来て、シリアル番号、色などの特徴を知らせるようとのことだった。
ここ迄のやり取りは英語だった。
帰国直後にトレド駅の遺失物係?保管所?担当の方からスペイン語での
返信があった。そこには夫のiPadが保管されているとの内容があり驚いた。
ただ一定期間保管され、その後は別の場所に移されるらしかった。
帰国後のことだったけれど、みつかったiPad のことを諦める前に一応は
手を尽くしてみたのでした。
トレドでフリーでガイドやら日本人のアシストをされている方に、
iPad 引き取りの業務?をお願いできるか問い合わせてみた。
しかし本人ではない為、難しいだろうとの判断をされたと思うが、
お断りのメールを頂いた。
今回の列車内への置き忘れの一件で、スペイン国鉄、なかなか信頼
できる!と思ったことでした。
たまたま乗った列車はトレド迄の短距離の運行で、座席も指定席
だったことも幸いしたのかもしれません。
今も、ある場所には、確かにあのiPadが持主が迎えに来るのを
待っていると思うと可愛そうに思ってしまいます。
夫は失ったデータはあったのですが、加入していた保険から新しい
iPad を手に入れて、それなりには満足した様子でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2019年、秋、マドリッドから
-
マドリッドまでは、すんなりと行けると思っていたのに、あれこれがあって。 その1.
2019/10/09~
マドリード
-
マドリッド周辺にちらばる城塞都市を回った。 1.トレド
2019/10/09~
トレド
-
マドリッドの周辺にちらばる城塞都市を回った。 2.トレドからアヴィラへ。
2019/10/09~
トレド
-
マドリッドの周辺にちらばる城塞都市を回った。3.アヴィラ、城壁
2019/10/09~
アビラ
-
マドリッドの周辺にちらばる城塞都市を回った。 4.アヴィラ、ロマネスクの聖堂
2019/10/09~
アビラ
-
マドリッドの周辺にちらばる城塞都市を回った。 5. セゴビア、水道橋とロマネスクの教会。
2019/10/09~
セゴビア
-
マドリッドの周辺にちらばる城塞都市をまわった。 6.セゴビア、アルカサル他
2019/10/09~現在の旅行記
セゴビア
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
セゴビア(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2019年、秋、マドリッドから
6
81