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Posted by スターリンクさがみ運営事務局  at 

2016年08月15日

她便是上蒼派來愛我的那個人





 一 我的生活重心就是對付她

  曾經,在這個世界上我最恨的人,便是她,林麗玲。

  1992年,我9歲那年的中秋節,月亮又大又圓,母親吃了她人生中的最後一個月餅,當夜便選擇了安靜地離開人世,成全了她的男人、我的父親的移情別戀,而林麗玲,就是那個第三者。

  一年之後,父親娶了她。她結婚那天出了大醜,替換的旗袍出了問題,背部的中線莫名其妙地開了,而她備用的晚禮服在胸前開了個大洞。她在換衣間裡幾乎要哭出來,我躲在酒店的門後面,為自己的傑作而得意大笑。

  那天晚上我挨了父親的打,而她躲在臥室裡一語不發。這是我們的第一戰,她經歷了一個遺憾的婚禮,我受了一次皮肉之苦,沒有誰是勝利者……

  因為我,她的生活瑣碎繁雜。我把她辛苦擦乾淨的地板踩出一串髒腳印,她新買的床單被我剪出一個個小洞,她的新衣服總是無緣無故地開了線……她大多保持著沉默,偶爾惹急了她,會告訴我父親,然後我便得來一頓皮肉之苦。我每次挨打的時候,總會大呼小叫,誇張得很,惹得四鄰八舍的人看她的眼光都是怪怪的。有時候父親下手狠了,她也會出來勸,在我看來那眉眼裡都藏著幸災樂禍……總之,我對她的討厭沒有絲毫的掩飾。

  學校開期末家長會的時候,我假惺惺地請求她去參加,她有些意外,然後高興地把衣櫥裡的衣服翻了個遍,還化了妝,問我好不好看。我挑了一件她穿起來有些緊繃的衣服說好看,她有點猶豫,但最後還是穿了,有些緊張地跟我去學校。

  我的學習成績一向是我的驕傲,所以,校長請她講講教育心得。她站在偌大的主席臺上還沒開口,就被我和一幫同學起哄,我們叫她“小三”,說她根本不是我媽,讓她滾出去。那一次,全校的人都認識了她,她是哭著跑出會場的,背影無比悲傷。

  其實我知道自己把禍闖大了,我以為她會再次告訴我父親,於是,一整晚我在街上遊蕩著,遲遲不敢回家,不知道她會恨我到什麼地步。可是,清晨的時候,我在學校門口看到焦急的她,一臉的疲憊和困頓,她找了我一整夜!

  我的心裡有一點點的軟,但是這並不妨礙我依然討厭她,討厭她假裝大度的眼神,討厭她對父親嬌滴滴說話,討厭她看我的作業本,討厭她買的衣服。

  這年我十歲,我的生活變得單一而又充滿奇趣,因為除了上學,我的目標就是對付她……

  她懷孕了,父親討好地問我,你想要個弟弟還是妹妹啊?我把房門摔得震天響,躲進房間裡不說話。這一晚,我抱著媽媽的照片哭了半夜才睡著,恍惚間看到她在我床邊坐下,拿著媽媽的照片看了好久,臨走的時候替我蓋好被子。

  第二天,便有了我們第一次面對面的談話。她在放學的路上等到我,執意把我帶到附近的咖啡廳,她說了很多的話,她說,我母親的死她很抱歉;她說,她知道我恨她,不想讓她要這個孩子;她說,她很想要這個孩子,但是不想讓我充滿仇恨……

  我把頭埋在冰激淩裡吃得有滋有味,頗有心計地聽著她翻來覆去地表達她的意見。之後,我抹抹嘴巴,不說一句話就離開了。

  許久之後,她才到家,臉上有疲憊還有些無奈,但還是擠出一絲笑,去廚房給我做飯。我把臉扭過去,她剛剛的笑容讓我的心有點疼,心底的防線好像在一直向後退,這讓我鄙夷自己的心軟。

  她懷孕的反應很厲害,父親又出了長差,她母親打電話說要來照顧她,我聽到她說,算了,怕悠悠不習慣你,她快考試了。我忽然發現原來她已經來我們家三年了,這上千個日夜裡,我的一日三餐,乾淨的衣服,都是她給的,甚至上個月我的初潮,連衛生巾都是她來打點……這一切都是母親才可以做給我的,可是我不想感恩她的好,她哪能替代我的母親。

  中考的前一天,天氣炎熱,半個縣城停了電,父親不在,她把地板拖了一遍又一遍,我還是大汗淋漓。最終,她帶我轉了半個城市,找了一家價格昂貴的帶空調的賓館。那兩個夜晚,她沒睡好,我也沒睡好,思緒像開了花兒,想著幾年來的往事,我才知道其實她是這樣包容我,而這樣的包容不是愛又是什麼呢?

  她生了一個男孩,我跟著父親去醫院看她,她看我的眼神有著懇求還有著歉疚。我其實是介意的,可是她身邊那個粉嘟嘟的嬰兒在沖我笑,那是怎樣純潔的笑容啊……我漫不經心地逗著嬰兒說,叫姐姐。她就扭過臉去,落了淚。

  我順利地考上了重點中學,開學的時候,父親說,她還在月子裡,恐怕不能照顧你,你還是住校吧。剛到學校,還沒辦好手續,她便風風火火地趕來了,頭上戴著厚厚的帽子。她把我的行李搬上車,倔強地牽著我的手回家。一路上,我們都沉默著,除了她上車的時候,說了一句:我說過,有了弟弟不能委屈你的。

  二 父親身邊的女人不是她

  我在她面前一天天地成長,弟弟也慢慢長大了,叫姐姐叫得甜蜜無比,人前人後喜歡跟著我。他說,媽媽說,你是這世界上我最親的人。這話常常讓我感動。是的,在這個世界上,我們傳承了同一個男人的血緣,而她是那樣渴望我們相互親近。

  她慢慢老了,廚藝越來越好,脾氣越來越溫和,可是她的臉上開始有了皺紋,也不是那樣愛打扮自己了,一顆心全都在我和弟弟身上。我戀愛了,她跟著問東問西。弟弟的成績總是讓她忽喜忽憂,我們的喜怒哀樂牽動了她全部的精力,她一直以為這是她的全部,我也以為生活本應該是這樣的,直到有一天我去逛超市的時候,在街頭看到了父親的背影以及他身邊的那個女人……

  我跌跌撞撞地回家,她一眼便看出了我的反常,焦急地問我怎麼了。我淚眼婆娑地盯著她,為她無比委屈。她搓著手一直不安地追問我,問我是不是和男朋友吵架了,問我是不是工作不順利了,直到我心煩,沖著她大吼,我說你可不可以打扮一下自己,像個女人一樣打扮自己。

  她愣在原地,許久沒有說話。那天晚上,父親沒有回家,她屋子裡的燈亮了一夜。夜半,我不放心,去看看她,她正坐在地板上看照片,是她結婚之前照的,陽光無比的女子,每一張臉上都有著青春肆意張揚的笑容。她說,世事總有輪回的,我給過別人的傷害,上蒼一定會讓我體會。她是個聰明的女子。

  我在地板上陪她坐了一夜。其實,我早已經知道母親那年自殺是因為得了極重的抑鬱症,而那時她剛剛認識我父親,即使兩情相悅,也才只是丁點兒的曖昧……可是,我自始至終沒說過,我以為我不說,她會歉疚一輩子。

  這一晚,我說了,她卻搖著頭,仍是無法釋然。

  三 她是天使派來愛我的那個人

  陽光一早便照進屋子裡,我拉著她上街購物,帶她去做美容、剪頭髮、修眉毛,仿佛一下子要把青春還給她。她在我身後乖乖地跟著,不說一句話。

  我們去過的商店,很多人問,這是你女兒啊?這是她惟一高興的時刻,她笑著點頭,驕傲得很。我為她挑了一款大紅的旗袍,她說太豔,我拉著她去試衣室,執意地為她挑了合適的尺碼,給她付了賬,我說這是我當年欠你的,現在還。她笑出了淚,她新婚的狼狽和我的尖利仿佛都在昨日,而時光已經生生地過了十幾年。

  她說,那天晚上我在房間裡想著以後的生活害怕得很。我說,其實,我也是。

  我們在陽光下牽著手,想想那時的她也無非是她母親的孩子,沒有經歷過婚姻,沒有經歷過自己的小家庭,面對著充滿了報復欲望的我,她和我其實一樣惶恐……好在,這麼多年,我們都過來了。

  弟弟的功課開始由我接手,我給她和爸爸報了旅遊團,讓他們兩人天南海北地去逛。我把越來越多的時間騰給她和爸爸。我總會在爸爸去赴那個女人約會的路上“無意地”遇到他,再興高采烈地帶他回家。

  2008年5月,我的婚禮上,她坐在正中間,眉眼裡都是笑意。司儀讓她說幾句話,她拉過我的手,把它放在我男人的掌心裡,她把它們握得緊緊的,哽咽著未能說出來一個字,而我擔心著她的婚姻,更是淚流了滿臉。

  你看,時光是多麼奇怪的東西。9歲那年,我是這個世界上最恨她的人,我所有的心思都用來和她鬥智鬥勇;25歲的時候,我嫁為人妻,變成這個世界上最願意她能幸福的人。

  我的新婚之夜,我給父親發資訊:你一定要對她好好的,這些年,她把青春都給了我和弟弟……很久,父親回資訊說:謝謝你,丫頭,我早知道了你的心思。

  我知道他是個好男人,懂得適時的索取與放棄,而她也恢復了年輕時的心態,練瑜伽,跳交誼舞,把家裡收拾得更加溫馨。終於,再一次回家的時候,我在父親的手機裡看到那個女人的短信,她說,我走了,再新鮮的東西也抵不過舊日的習慣。

  十幾年之後的今天,我已經分不清對她的感情,或者她也成了我的習慣。可是,有這樣一個女人在我生命裡,替代母親來愛我,讓我無比信任與依賴,這習慣何嘗不是生命中的恩賜……











  

Posted by kema  at 12:57Comments(0)

2016年07月08日

生活的經歷讓我平靜了許多



曾經在一篇文章裡看到這麼一段話:“浪漫的感覺是美的,家的感覺卻是踏實的。我知道自己對不期而至的浪漫會欣喜若狂,畢竟浪漫是每個女人一生都不會厭倦的主題,然而我不會因刻意追逐浪漫,追逐風花雪月而破壞家的寧靜。也許婚姻讓女人變得俗了,抑或家的責任讓女人學會妥協,但人終是慢慢轉變的,人生也總是在不斷地選擇中前進的。生活充滿風風雨雨,既然選擇了婚姻就要有與之真心面對,為之甘心付出的勇氣和決心。”這是一個女人對婚姻生活的感悟,蛻變的過程,寫得非常好,於是我把它整段都抄了下來,放在日記本裡,也許是心靈的共鳴讓我被這段文字所感動著。
  同樣的,我也是婚姻圍城裡大多女人當中的一個,25歲步入了婚姻的殿堂。不成熟的思想讓我對婚姻充滿無限的遐想,除了浪漫還是浪漫,過著簡單而享受的二人世界便是幸福。曾有人告誡過我:“婚姻是沒那麼簡單的”但我不以為然,我不相信每個人的婚姻經歷都是一樣複雜的,生活是有著不同的浪漫的。所以我不只一次地在老公面前強調“我決對決對不能容忍沒有愛情的婚姻”
  是的,我是幸福的,幸運地,我沒有別人一樣,德善健髮好唔好?一下了班匆匆忙忙趕菜市場,為一家人準備著一日三餐,我依然可以過著悠閒的生活,自由自在的逛街,購物,不緊不慢的回家,享受著家公家婆已準備好的佳餚;我沒有別人一樣,為買一套房子而勒緊褲腰帶或到處借錢,因為老公早在我們結婚之前,已為我們買好房子,我們可以舒舒服服地享受二人世界;我更沒有為柴米油鹽所煩的時候,我甚至不知道我們家水電,房貸一個月花多少,因為這一切都由老公統統安排好了。享受的同時我沒有想過要承擔什麼付出什麼,直到有一天,家婆因為過度勞累而血壓升高,看著白髮蒼蒼而瘦弱的家婆,我流淚了。轉過身,回想年老的家公家婆為我們整日操心勞累忙裡忙外;回想老公頂著烈日炎炎奔波忙碌為了省下幾十塊錢的住宿費而寧可步行一個多小時住小旅館,我悔恨著,原來自己一直這麼自私……
漸漸明白,婚姻不是一個人的享受,兩個人的浪漫,而是一家人的幸福。有一位大姐告訴我:“人要知足惜福。”是的,儘管我們的婚姻沒有那篇文章裡女主角的哀傷,鑽石能量水 騙局儘管沒有別人所說的現實,有的只是目前的幸福和甜蜜,但同樣的感同身受讓我知道了婚姻生活的真諦……

  

Posted by kema  at 18:07Comments(0)

2015年01月19日

バンクーバー五輪


フィギュアスケートには、夢中になった。
男子も女子も、6人の代表全員が入賞するなんて、素晴らしい。
世界のトップ16人のうち、6人が日本選手ということで、
日本国民は幸せな夢を見させてもらったと思う。

オリンピックの晴れの舞台で、
各国の多くの選手たちが、最高の笑顔を見せたり、
感激の涙を流したりした中、
浅田真央選手の、固くこわばった表情が不憫だった。
15~16歳頃の、朗らかで天真爛漫な姿が、記憶に焼き付いているだけになおさら。
真央ちゃんは4年間、最善の努力を重ねた。
本番も見事な精神力で、ベストを尽くした。
悔いが残る微かなミスは、あのこわばりが招いたものだったろう。

伸び伸びと、思いっきり楽しく演技してほしかった。
明るく温かい曲調を選んでいたら、結果はまた違っていただろう。
全ては試合直後の、真央ちゃんの悔し涙が物語っている。
でも、刈屋アナウンサーが言ったように
「悔しさをごまかさずに純粋に悔しく思う心」が、まぶしい。

19歳の真央ちゃん、お疲れさまでした。
銀メダル、まるで金色に見えるよ。
おめでとう――

  

Posted by kema  at 11:41Comments(0)

2015年01月13日

仕分け

わたしの家庭は、皆さん方の家庭とは違っているのかも知れない。
あるいは、家族の中で、わたしだけが違っているのかも知れない。
わたしの周辺の家庭だけが、皆さんと違っているのかも知れない。
亡くなった家族の、多くの遺品を整理、抑鬱症処分した(ごく身近な)人の話を聞いていると、
「大量にあって疲れた、まいった、大変だった。
想像はしていたが、量の多さ、内容のガラクタぶりに驚いた」
という声は聞くが、故人を偲んで辛かった、という声が聞けなかった。
中には、すばらしい高価な宝物を見つけ出した人もいた。
母は、祖母が亡くなったとき、一気にすごいパワーで
蔵の整理やら、祖母の遺品の整理をしていたように記憶する。
なにも、こんな時期にしなくても???と思ったが、ノリ、勢いというものがあるのだろう。
休憩も入れず、凝縮した作業で、ががががーーっと、根を詰めてやっていた。
その体力、バイタリティたるや、すごい。ブルトーザーのごとく働く。
何百キロ~トン級の遺品を処分したという話も、二人聞いた。家ごと逆さに振ったのか?
彼女たちには、辛さは、精神的というより、肉体的に大変そうだった。
何トンとなると、ひとつひとつ、感傷に浸っているヒマも余裕もない。
「不要」「必要」「重要」「保留」に分ける、
願景村 退款その仕分けには、体力ではなく、判断力がいる。
大量にあると、最初の頃の仕分け判定と、最後のあたりの判定とでは、多少の誤差が生じる。
ぱぱぱぱぱぱっとしていかないと、のろのろしていたら日が暮れて、何ヶ月も何年も、何十年もかかる。
「保留」「重要」に分けられたものを横目で廃品回収屋が狙う。
「これ、もらっていきますね」「だめです」
逆に、いいタイミングに業者がスタンバイしている、この機会に、とばかりに押し付けようとする。
「これ、持って帰ってください」「だめです、いりません」
お互いの価値観が微妙にズレる。
お金になるかどうか、売れるかどうか、だ。
引き取ってもらうのに、お金がかかる。
中には、引き取ってもらうと、お金をもらえるものもある。
この差が、おもしろい。
ひとつの世代が終わるというのは、こういうことだ。
自分で自分の世代を終わらせる、賢い、立つ鳥、あとをにごさず、が、断捨離だろう。
ほったらかして他界し、家族に押し付けた場合、いまいましく、疲れる作業だとげんなりされても、
わたしの周辺では、ひとつひとつに感情移入するヒマは、ないケースが多い。
わたし自身のケースだと、家族は、それはそれはスッキリした気分になると思う。
泣くとすると、すっきりして、泣いて喜ぶ、って涙だろう。

  

Posted by kema  at 12:25Comments(0)

2014年12月24日

雨の多い梅雨です

農家に聞くと、「雨が降らないなら降らないで困る。
そやけど、こう毎日続くと野菜が根腐れするし、トマトなんか水分含みすぎて弾けよる。
メロンはパンパン裂けて どうにもならん。ほどほどに降ってほしいわ…」だそうです。
ほどほどがどれくらいなのかはわかりませんが、天気だけは人間の力の及ぶところではなく、
難しいものです。

そんな梅雨の真っ最中、6月30日は水無月(ういろうに小豆の乗ったお菓子)を
食べる日でしたが、皆さんは召し上がりましたか抗衰老
雨が多い月なのに、何故6月を水無月と言うのか、不思議に思って実家の母に聞くと、
「この日が1年の半分過ぎた折り返しの日なので、残り半年を無事に過ごせるようにとの
願いをこめて食べるのや。白い三角を氷に見立て暑い夏を涼しく過ごし、小豆はおめでたい
時に使う物として縁起をかついでいるんや。残り半年の無事を祈って30日に食べることに
意味があるんやで。あんた、今まで由来も知らんと食べてたんか」と説教されましたが、
今年ももう折り返し点を越えてしまったんですねぇ…。早いものです。

さて、全然関係のない話なのですが、2月と7月は私にはビクビクものの月なんです。
農家のビクビクに比べたら時限の違う話で怒られますが…。
だって、2月と7月は子猫が生まれる時期で、あちこちに捨てられてるからなんですっ!!
見たら放っておけない私(うちの子ども達もだけど)は、保護しては連れ帰り、
病院に連れて行って(たいてい衰弱してるし)、育ててトイレの躾をして貰い手探しに
ポスターを作って、もう精魂尽き果てるんです驗窗
貰い手が見つからなければ飼うしかないし…それだけは避けたい。
道を歩いててダンボール箱とかがあると、子猫が入ってるんじゃないかとチョー怖い。
赤ちゃんの泣き声まで子猫の声に聞こえてしまうし、草むらで何かが動くと「子猫か!?」と
常にビクビクの月なんです。

我が家にいる2匹の先住猫は、1匹は(名前はうずらと言う)オスなのに、
一生懸命に子猫の世話をし、オッパイまで吸わせる見上げたヤツなんですが、
もう1匹のメス(きなこ)の方が、組合屋フーフーハーハー怒りまくりで発狂寸前になる
困ったヤツなのです。

数年前のこの時期には息子が巣から落ちたコノハズク(フクロウみたいな鳥)の子どもを
拾ってきて、何を与えたらいいのかわからず獣医に聞きに行き、ミルワーム(ミミズみたいな
形の甲虫の幼虫)を与えろと言われたものでペットショップに買いに行きました。
このミルワーム、パックに入って売られてますが、オガクズの中で無数のミミズ状態のものが
うにょうにょ動いてる様は、さすがの虫好きの私でも勘弁してって感じです。しかもコイツは
甲虫の幼虫なので、冷蔵庫で保管しないとすぐに成虫になってしまうので、冷蔵庫の中にミル
ワームのパックがいくつも並ぶという恐ろしい光景になります…
なんとか育てて飼い主を見つけましたが(本当は飼ってはいけない鳥らしいのですが、
人の手で育てると自然では生きていけないそうなので…)、
そんなこんなで、このシーズンは原っぱや川べりは絶対歩かないようにしているわけです。

なのに!!やっぱり今年も子猫を保護してしまい、(知り合いが拾って「何とかして~っ」
と渡された…)、今、トイレトレーニング格闘中です。
梅雨だしタオルは乾かないし、案の定 きなこは全身の毛を逆立てて怒ってるし…。

世間ではこの不況で、飼えなくなって捨てられる動物が増えてるらしく、
殺処分される数も増えてると聞きます。
もの言えぬ立場の弱い動物たちを思うと胸が痛い。
拾ってる私だって極貧で赤字生活なのに頑張っているんだぞ!!
一旦飼ったなら最後まで頑張って面倒見てほしい。
ペットショップで高い血統書つきの子犬や猫を2匹飼うなら、
1匹は動物愛護センターへ行って、殺処分される犬や猫をもらって
1匹でも命を救ってほしい。

そんなことを想いつつ、どうかこの子猫も貰い手が見つかりますように、
動物たちがこれ以上捨てられたりしませんように、
と梅雨の曇り空に手を合わせて祈ってしまう月なんです…


  

Posted by kema  at 11:49Comments(0)

2014年12月19日

悲しいときは

涙は 目の内側へ
内側へ 流れて
心へ 届くまでの
体の道すじを 
きれいに 洗い流す雪纖瘦投訴

本当に 泣いてしまうと
目は 腫れて
鼻水は あとからあとから
出てきて雪纖瘦投訴

悲しみの痕跡が 残ってしまう

だから
涙は 心の中に流す
体の内側へ
内側へ
悲しみを 洗い流すように雪纖瘦投訴

胸の痛みも 
涙が 
薬のように
しみ込んで
そのうち
治っていくだろう

深い悲しみを
心に 持つ人の
流しつづける涙も 
いつか
その悲しみを
溶かすように

涙は 内側へ
内側へ
流れていく 

人類が 
心に流してきた涙が
地球に 美しい
青い海を 湛えている

  

Posted by kema  at 11:30Comments(0)

2014年12月10日

早速仕事に取りかかる

 朝。いつもの時間に起床。いつもの時間に出かける。いきなり、冬。風が冷たい。

 出勤。今日も孤独に、ミーティングの結果報告作り。

 そんなに時間がかかるのか、と聞かれれば、自分の流儀でやっているから、と答える。

 結局、パソコンで資料を作るのだから、瑪姬美容集團呃錢ミーティングの内容もその場でパソコンに打ち込めば早いと思う人が多い。現に、パソコンで記録している人もいた。

 だが、話をする速度と、パソコンに打ち込む速度なら、パソコンの方が遅い。話を止めて、打ち終わるまで待ってもらわないと、全部記録できない。

 自分は、記録用紙に手書き。。瑪姬美容
それも要点だけ、殴り書き。それなら、話すのと同じ速度で記録できる。結局、所定の時間で話が聞ける量が多くなる。パソコン打ち込みの人より、自分の記録の方が、情報量が多い。

 情報量が多いと言うことは、あとで記録にまとめる量も多いわけで、だから時間がかかっている。

 今日も、残業。いい加減疲れて、切り上げたのが、瑪姬美容8時。目の疲れ方がハンパなく、目頭のあたりが腫れてふくらんでいる感じがする。視界が霞んで、焦点が合わない。

 明日は定時上がりで、一服入れられると良い、な。。。。
 


  

Posted by kema  at 11:29Comments(0)

2014年11月29日

ハエを追い払う必要もない

哺乳動物には尻尾(しっぽ)があるのに人間は尾てい骨あたりにそれらしい名残をとどめているだけで、
それに類するものもない。
あったからと言って、
尻尾を使って木の枝にぶら下がったりする訳でもなし、ハエを追い払う必要もない。
ところが夏目漱石の弟子、内田百閒は猫の仕草を見て自分にも尻尾があればいいと随筆に書いていた。
彼が、拾って飼っていた猫が、うつらうつら、まどろんでいるところに声をかけてみると、
その猫は、億劫(おっくう)がって尻尾だけで返事をすることがあるという。
自分は今眠くって、返事をすることが出来ないことを暗に尻尾を少しあげて表現するそうだ。
百閒自身が、まどろんでいたり、返事をしたくない時など、
そんな風にできるのであれば、尻尾ほどありがたいものはないと括(くく)っていた。
内田百閒に限らず、重要案件だけはなんとかやりこなすが、
何でも出来るだけ先送りにして、ものぐさに過ごしていきたい人間は世の中に多い。
だけども、そんな風に過ごしていると、とかく非難されやすい九龍補習社
これを非難すべきではないという
アメリカの心理学者チョイ?チュー氏の研究が、時々ニュースなどの話題にのぼることがある。
一部の今日のニュースにも取り上げられていたが、
その研究というのは、「宿題など提出日ギリギリに出す学生ほど
『自信家』で『集中力が高く』『時間を有効活用している』
と200人以上の大学生を対象にした行動研究から導き出された」というもの。
そのような行動を『積極的先送り(Active procrastination)』と呼ぶそうだ。
何でも、締め切りギリギリまで追い込まれないと出来ないという人がいるが、他人事ではない。
こういう人は、『集中力が高く』『時間を有効活用している』
というお褒めの言葉をいただけるのであれば、
この性格、ちょっとヤメられないという気がしてくる。
周りのヤンヤ ヤンヤと言われる言葉を馬耳東風とばかりに聞き流し、
ギリギリになるまで、けだるく過ごし、
何を言われても生半可な返事を尻尾に託していれば、お褒めの言葉をもらえるのだとすると、
『積極的先送り(Active procrastination)』も悪くはない。
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Posted by kema  at 11:09Comments(0)

2014年11月11日

祝いの舞いを舞った

毎度おなじみの演目である。 バカの一つ覚えともいう。
 当人は、 これが無ければ宴席が始まらぬ と固く信じている。
 和やかなうちに 祝い膳が次々と運ばれ、
 ありがちな出し物が 二つ三つと進んでいき、Maggie Beauty好唔好 ほどよく酔いも回り始めた頃、
 南蛮渡来の巨大な四弦琴を抱えた剛手が 登場した。
 珍しいものを目にして、 その場の一同は 興味深く注目した。


 剛手は 大きく深呼吸をして、 弓を構え、Maggie Beauty好唔好 おもむろに演奏を始めた。
 グギギギ―― ギューン ガリガリガリ
 聴衆は うろたえた。
 どう理解したらいいのか 分からない。
 初めて耳にする 面妖な音であった。
 さすがは南蛮渡来。 上手いのか下手なのかさえ判断できない。
 和やかに進んでいた談笑が、 ぴたりと止まった。
 隣と顔を見合わせ、Maggie Beauty好唔好なんなんだよこれ的な表情を見かわすばかりだ。
 戸惑いに充ち溢れる中、
 ギュギュ――ン バリバリ ギュギュ――――ン
 が何度か繰り返された その時であった。

 ドコドコドコドコ ドドドドン ド――ン
 太鼓の音が加わった。
 巨大な太鼓に向かって 撥を振るっていたのは、
「どこから出てきた為五郎!」
 宴席から 一斉に発せられた言葉の通り、
 あくまで無表情な為五郎だった。

 ギコギコ ギギギ―
 ドドドン ドンドコ
 ギュギューン ゴリゴリ
 ズドドドドドドン
 ギ――――ッ ギュギュギュン ギュルルルル―― ゴリッ
 ドドンドンドン ズダダダダ――ン ドドスコ ドドスコ ズンドコド

 頭の中と五臓六腑にしみわたる演奏は、
 もはや 上手いとか下手とかは どーでもいいところにまで達して、
 宴席を震え上がらせた。

 ズギューン ドドン

 終わった時に訪れた 形容しがたい静寂の後、Maggie Beauty好唔好怒濤の拍手が沸いた。
「何か 人生観が変わった気がします」
「今まで生きてきて、 いま、世界の不思議に改めて気がつきました」
「いや、分かんないけど、すごい。 全然分かんないけど」
「ギュルルルル―― のところが良かったんじゃないか。
 魂が でんぐりかえりしそうでさ」

 様々な感想が飛び交う中、
 摩訶不思議な興奮とざわめきに包まれた彼等は、
 この後、 丙姫のどら声によって 地獄に突き落とされることを、
 まだ知らない。
  

Posted by kema  at 11:59Comments(0)

2014年11月05日

僕は妻を見送って

「私、来年40歳なんですよ。もう完全に自分としてはダウンヒルって感じで、あとは終わりに向かって走るというか転がり落ちるというか、とにかく終わり方を意識し始めているんです。先は長いというのに」
するとRさんにこういわれました。
「俺から見るとシェヘラザードさんなんかまだまだ小便くさいよ。さすがに俺らの年になったら色々考えるけどさ。例えば俺は自分が死んだら検体に使ってもらうよう、もう登録もしてあるんだ。その他にも、俺が先に死んでもかみさんには世話や金をかけさせないようにもう色々準備はしてある」

そう私に説明すると、あ、検体から戻ってくる時には、お骨にもれなく一万円もついてきます、といってRさんは笑いました。う~んいいなぁ。私は愛しているといわれるよりも、こういう風に思いやってもらえる方がぐっとくるんですよね。
「俺ばかり頑張ってるみたいだ。君にももっと俺を好きになってほしい」とか普段から自分がいかに彼女を愛しているかを言葉にしていた男が、いざ彼女が妊娠した時、何かと理由をつけて中絶させて費用も一銭も出さなかったケースを若い頃に見たことがあるせいかもしれません。それ以来つくづく男は言葉より行動だと思うようになりました。

例えば昔の上司Jを見ていても、やっぱり行動で示される愛にぐっとくると思いました向日葵纖體美容
Jは当時還暦を迎えたばかりのアメリカ人でしたが、彼の年代の多くのアメリカ人男性みたいにベルトに腹が乗っているわけでもなく、とにかくはつらつとしていたんですよね。
もう見るからに幸せそうというか、エネルギーに満ち溢れていました。そしてある日私は彼の自宅に招かれて奥様にお会いした時に、ああこの人が彼のエネルギーの源なのか、とすぐに思いました。
普段から食べるものには気をつけていたJ。もちろん彼だってアメリカ人らしくこってりとした肉料理や、ダイナーで出てきそうな高カロリーのパンケーキを時々楽しんではいました。
でもちゃんと節制していて、しかもそれが普通という感じでした。向日葵纖體美容頑張っているという風には見えない。それもそのはずでした。
「僕は妻を残して死にたくない。僕は妻を見送って、それから逝きたいんだ。彼女は一人にできないよ。そのためにはまずは健康でないと」

不慮の事故に巻き込まれたりすることもありますから護膚客製化旅立ちの順番は自分達の意思では決められないとわかっていても、それでもできる限りのことはしようと、Jは奥様を大切に思っていたのです。義務感ではなく愛情が根底にある節制ならそりゃ悲壮感も漂いませんよね。


愛され●●とかモテ●●が溢れる世の中ですが、愛する喜びは忘れてはいけないなと思いました。その喜びが大きければ大きいほど、失った時の悲しみが大きいことも確かなのですが。  

Posted by kema  at 15:31Comments(0)