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「現金お断り」の格安自販機 JR東が不振打開へ一石

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日経情報ストラテジー

「現金購入お断り」という常識破りの作戦で、飲料自販機に新風を吹かせようと試みる動きが出てきた。仕掛けたのはJR東日本子会社の飲料自販機運営会社、JR東日本ウォータービジネス。電子マネー「Suica(スイカ)」しか使えない新型自販機を、このほど東京都内の22駅に24台設置した。狙いは消費増税以来続く販売不振からの脱却だ。

電子マネーならではの自由な価格設定により、最大9円と小幅ながら現金機よりお買い得。年代や性別といった匿名データを分析して販売品目も見直す。待ちから攻めの姿勢へ――。しばらく大きな動きがなかった自販機ビジネスが激変する可能性もある。

黒いシールでふさがれた現金投入口

「なんだ、この自販機。お金どこに入れるんだろうか」。池袋や東京、渋谷など都内の主要駅に並ぶ、鮮やかな緑色にデコレーションされたある自販機。通りすがりの若者が驚いたのも無理はない。コインや紙幣の投入口が黒いシールでふさがれているからだ。

実は決済手段は「Suica」や「PASMO(パスモ)」など交通系電子マネーのみ。専用の読み取り装置が前面に付いている。現金と電子マネーを併用できる自販機はこれまでもあったが、駅のような不特定多数が利用する場所で電子マネー専用の飲料自販機を設置するのは異例だ。

もう一つ利用者の目を引くのが価格設定だ。例えば「伊右衛門」「爽健美茶」「カルピスウォーター」などの500mLペットボトル。駅構内にある他の自販機では160円だが、新型自販機では9円安い151円。「コカ・コーラ」の小型ペットボトルや「ワンダ」「ファイア」といった缶コーヒーは124円と、通常の130円より割安に買える。10円玉以上しか扱えないこれまでの自販機と違って、電子マネーだからこそ1円単位に価格を設定できるわけだ。

「現金お断り」のSuica専用自販機は現金客の購入機会を逃すリスクもある。なぜ同社は展開に踏み切ったのか。

販売不振が実現後押し

構想が生まれたのは2013年ころ。Suicaの旗振り役であるJR東日本の系列会社として、「Suicaで決済したときだけ値引き販売する飲料自販機」を作れれば、Suicaで決済する習慣を自販機でも根付かせられると着想したのが始まりだ。

ただ当時は、決済手段によって価格を変える「一物二価」の自販機は前代未聞。開発コストが膨大になる恐れがあるため、断念していた。

再び計画が日の目を見たのは翌2014年のこと。「春の消費増税と夏の天候不順が実現を後押しした」。Suica専用自販機を企画したJR東日本ウォータービジネスの加藤毅取締役は、舞台裏をこう明かす。

同年春に消費増税が行われ、1円玉が使えない自販機では全体で3%の値上げになるよう一部商品を10円値上げ、一部は価格を据え置いて調整した。結果として、10円値上げした商品は駅売店やコンビニの価格より高く、売り上げが大きく落ち込んだ。追い打ちをかけるように同年夏は例年より日照が少なく、肌寒い日が続いたため冷たい飲料の販売が伸び悩んだ。

業界団体の日本自動販売機工業会によると、2014年の飲料自販機による清涼飲料水の販売金額は前年比2.1%減。1兆8725億円と大幅な落ち込みを記録した。あまりの不振ぶりに、伊藤園やキリンビバレッジ、アサヒ飲料など複数の大手飲料メーカーは、ホット飲料のピーク期となる2014年秋~2015年初頭に局面を打開すべく、通常140円の商品を100円で販売するなど自販機の値下げ競争に踏み込んだほどだ。

「駅ナカ」だったことが追い風に

こうした中でJR東日本ウォータービジネスは、「他社のような極端な値下げは避けつつ、購入しやすい価格設定として自販機から離れた客に戻ってきてほしい」(加藤取締役)と判断。1円玉や5円玉に対応する自販機の設置は難しいため、思い切ってSuica専用に改良し、希望小売価格に8%を上乗せした価格設定にするというアイデアを思いついた。

同社が運営する飲料自販機は約1万台と少なく、数十万台を運営する大手と価格勝負の消耗戦になると厳しい。しかしながら駅ナカという一等地に置かれていることから、値下げ圧力は小さいと考えた。

追い風だったのは、既に駅ナカでは現金とSuicaの両方に対応した自販機が当たり前になり、Suicaによる決済比率も高まっていたことだ。

自販機約1万台のうち、複数の飲料メーカーの商品を併売する「acure」ブランドの自販機は約8000台。このほぼ全数が現金・Suica併用機だ。同社の自販機におけるSuica決済比率も、2014年時点で既に50%を突破。2015年3月には55%まで高まっていた。

もちろん、今まで当たり前にできていた現金購入を受け付けなくなることで、利便性の低下や減収につながる懸念もあった。「現金客にどうすれば迷惑を掛けないかと苦労した」(加藤取締役)。

まず2015年2月に、自販機でのSuica決済比率が高い都内の5つの駅で新型自販機を試験的に設置。新型といっても、既存の現金・Suica併用機の現金投入口をふさぎ、価格表示欄を1の位まで設定可能にするなどの改良を施しただけ。開発コストは最小限に抑えた。

利用者への影響を確認するため、設置場所は工夫した。「Suica専用機と現金・Suica併用機を隣に並べる」「背中合わせに設置する」「Suica専用機のみを単独で設置する」など、駅によってパターンを変えた。

「同じ商圏に現金・Suica併用機あると売上増」

2カ月ほど運用してみて、興味深いことがわかった。「待合室の中など同じ商圏に現金・Suica併用機もあると、売り上げがプラスになる。現金客に不便を与えないためと考えられる」(加藤取締役)。Suica専用機の周辺にある現金・Suica併用機で、Suica決済比率が上昇する現象も見られたという。Suica専用機でSuica決済をアピールしていることが宣伝効果となり、周辺自販機でのSuica決済の呼び水になったようだ。

実績をみて同社は、設置場所に配慮する前提で、2015年5月からSuica専用自販機を本格展開することを決めた。

もちろん黎明期ゆえ、利用者の戸惑いがみられるのも事実。わざわざ数円高い周囲の現金・Suica併用機でSuica決済してしまう人や、逆にSuica専用機で現金が使えず購入をあきらめる人も少なくない。ひとまずは現金・Suica併用機に「近くにお得なSuica専用機があります」と案内を張りつつ、Suica専用機の方には「現金が使える自販機も近くにあります」と掲示し、周知を図っている。加藤取締役は「できれば自販機の隣に社員が立って案内したいくらい」と複雑な胸の内を明かす。

データ起点の緻密なマーケティング実現へ

さまざまな課題を抱えながらも離陸したSuica専用自販機。現金回収の手間や現金処理部のメンテナンス費用が不要になる副次的な効果も今後見込める。それだけではない。JR東日本ウォータービジネスが見据えるのは、自販機でも精緻なマーケティングを実現することだ。

自販機での販売は従来、マーケティングがしにくかった。販売品目を見直そうにも各自販機から得られる販売状況のデータは限られていたためだ。自販機の利用者全員がSuica決済になると、個人は特定できないものの年代・性別や購入時間帯、購入頻度などが分かる。うまくデータを分析すれば、年代別の売れ筋分析や新製品のリピート率などを把握しやすくなる。

自販機利用者向けの会員プログラム「acureメンバーズ」に利用者を呼び込めれば、より高精度なマーケティング情報の収集も可能になる。現在、会員数は約5万5000人程度だが、割安な価格設定で会員規模の拡大に弾みをつけたいと期待する。

デジタルサイネージや顔認証機能搭載の自販機、女性向けを意識した自販機など、これまでにも業界の因習にとらわれない新たな取り組みを率先して行ってきた同社。前人未踏の「一物二価」で生まれた混乱を収拾し、電子マネー決済の文化を自販機業界に根付かせられるか。Suica経済圏拡大の一翼を担う壮大な取り組みは、まだ始まったばかりだ。

(日経情報ストラテジー 金子寛人)

[ITpro 2015年6月4日付の記事を再構成]

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