日経サイエンス  2010年2月号

乗鞍と宇宙

中島林彦(編集部) 末松芳法(国立天文台)

 百名山の1つ乗鞍岳は岐阜,長野両県をまたぐ“日本の屋根”,北アルプス(飛騨山脈)南端に位置する。単独の山ではなく標高3026mの剣ヶ峰を主峰に朝日岳や屏風岳,摩利支天岳など20以上の峰々が連なる山系の総称だ。剣ヶ峰に立てば,南に木曽御嶽山の雄姿を,振り返れば槍ヶ岳や穂高岳などの山並みを望む。

 

 この地で,戦後間もない1949年,日本の天文学の新たな幕が上がった。難工事の末,石積みの壁に守られた天文ドームが摩利支天岳山頂に建設された。東京大学附属東京天文台(国立天文台の前身)乗鞍コロナ観測所だ。1990年代末まで,外界から隔絶される厳冬期も天文学者はライチョウとともにこの地にとどまり,空を見つめ続けた。観測補助や施設保守を担う人々も越冬し,研究を支援した。そんな中には「かもしか仙人」と呼ばれた山暮らしの達人もいた。-20℃近くに下がり,北西の季節風が吹き付ける未明,命綱をつけて天文ドームに上り,結氷をピッケルでたたき割る日々が続いた。望遠鏡を覗くドームの中も,もちろん-20℃だ。

 

 交通手段が今ほど整っていなかった当初,冬季の所員交替はかなり危険が伴った。途中,山小屋に2泊して登ったが,天気が荒れればさらに日数がかかった。吹雪の中,雪がまつ毛に凍りつき,視界が真っ白になることもあったという。雪に閉じ込められ,飛行機で食物などが投下されたこともあった。60年間,風雪に耐えてきた観測所は2010年春に閉じられ歴史の1ページになる。その歩みを振り返る。

 

 

再録:別冊175「宇宙大航海 日本の天文学と惑星探査の今」

協力:末松芳法(すえまつ・よしのり)
国立天文台准教授。乗鞍コロナ観測所長を兼務。太陽の彩層・コロナで起こるダイナミック現象の起源解明を目指して太陽観測衛星と地上の望遠鏡の装置開発と観測的研究に取り組む。

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