高校3年でグーグルをソデにしたルーマニアの怪童イオヌッツ。世界が欲しがる頭の中

コンピューターとは縁のない町で暮らす彼のもとに、ある日借金返済の代わりにやってきた1台のインテル。その出会いから今日まで、イオヌッツとPCは、ともに育ち、ともに学び、脇目も振らずコーディングに励んでいる。1秒たりとも無駄にせず、よりよいコーディングとサーヴィスの開発に精進する恬淡寡欲な青年。彼が目指す世界にはどんな未来が待っているのだろう? (雑誌『WIRED』VOL.10より転載)
高校3年でグーグルをソデにしたルーマニアの怪童イオヌッツ。世界が欲しがる頭の中
PHOTOGRAPHS BY IOANA VACARASU

イオヌッツ・ブディシュテアヌ


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25年前。1993年に創刊された『WIRED』。すべてがつながった(=WIREDされた)世界の中で生まれ育った「NEXT GENERATION」は、既存の分野を横断しながら、新しい領域で軽やかにイノヴェイションを巻き起こしてきた。『WIRED』創刊以降に生まれた「NEXT GENERATION」が繰り広げるゲリラ激論に飛び込み、「次世代」の意味を更新する1DAYフェスティヴァル。


NASAのサイトのハッキングは朝飯前、FBIに逮捕されるのではないかと高校の先生を怖がらせるほどのコーディングの腕をもつイオヌッツ・ブディシュテアヌ(1993年生まれ。取材当時18歳)。

故郷ルーマニアで、彼の名をテレビや新聞、巷の噂で見聞きしたことのある人は多い。しかし、実際の彼を知る人はほとんどいない。イオヌッツは、毎日16時間近くをPCの前で過ごし、公園に散歩に行くこともほとんどなければ、友人と出かけることもない。雑誌や小説などは小学校2年生(ルーマニアの教育制度は、小・中・高各4年制)以来読んでいない。興味の矛先はすべて情報学に行きつくので、ほかのことはどうでもいいのだ。

彼に会ったことのある人は、イオヌッツを「天才」と言う。しかし、彼は自分を「よく勉強しているだけ」と語る。彼については、視覚障害者向けの物体識別ソフトをつくったこと、アメリカの一流大学から誘われたこと、開発したプログラムで多くの審査員を感動させたことなどは知っていたが、実際に会ってみた彼は、メールのやりとりから抱いた印象通りの、いつでも他人への気配りを忘れない細やかな青年だ。

イオヌッツは、自分のプロジェクトについてつとめて冷静に謙遜して語るが、その端々には自信もにじみ出る。彼は数々の発明についてひと通り語り終えたあと、バッグから賞状を一束取り出した。その数は、130にも上るという。「コンテストに参加していたら、こんなに貯まっちゃった」と控えめに言う。最初に目に入ったのはイェール大学からものだ。ほかにも台湾、アゼルバイジャン、オランダなどで得た賞状がある。

彼はまだ18歳だ。コンテストに参加し始めたのは11歳からだが、国外のコンテストではすでに13回、国内では数えきれないほどの賞を受賞している。だが、それよりもずっと前から情報学とテクノロジーへの情熱をもっていた。


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イオヌッツが、PCに出合ったのは3歳のときだ。両親に借金をした人物が返済できず、その代わりにインテルの「ペンティアム386」をくれたのだ。「当時、PCなんてこの町にはほとんどありませんでした」。生まれ育ったルムニク・ヴルチャ(ルーマニア中南部の都市)では当時、PCに詳しい人はおらず、イオヌッツは独学でその使い方を学んだ。

彼はまずさまざまなゲームで遊んでみた。4歳でゲームをセーヴできるようになり、PCのコマンドや用語を覚えた。そしてすっかりコンピューターに夢中になった。1,000以上のゲームをオンラインで購入し、しばらくの間ゲームに没頭したが、あるとき、もう少し難易度の高いことに挑戦したくなった。遊ぶのに飽きて、今度は自分でそれをつくりたいと思ったのだ。

そして小学校3年生のとき、ゲームやソフトウェアの仕様書や専門書を参考に、オリジナルのゲームをつくり始めた。英語の書物が多かったが、彼は「英語版のOSを使ってきたから、読むことはできた」と振り返る。イオヌッツはとりわけ3Dアニメーションに興味があった。当時は『ロード・オブ・ザ・リング』が流行しており、彼も似たものをつくろうとして、爆発シーンのアニメーションをつくったが、人間が登場するアニメーションはうまくできなかった。そうした折にコンピューターをいじることが、性に合っていないのではと悩んだこともあったという。

しかし、彼はあきらめることなく試行錯誤を繰り返し、学び続けた。そのころ、学校ではワードやエクセルの使い方を教わっていた。イオヌッツはキーボードを打つのが速いからと、先生に書類の入力を頼まれたことがある。そのときに彼は自分がつくったゲームなどを先生に見せたが、彼がつくったとは信じてもらえなかった。

中学1年生になっても、学校とソリが合うことはなかった。カリキュラムでは、数学のクイズをPCで表示するプログラミング言語を習うことになっていたが、彼は3D効果やアニメーションなどのアプリケーションに引かれていた。

先生からは、授業をきちんと受ければ、ゲームを完成できるように手伝ってあげると言われ、イオヌッツは、自宅でプログラミングの作業を続けながら、授業を真面目に受けることにした。時々、作成したアプリを先生に見せたが、「先生は、ぼくが基本的なプログラミングすらできないのに、なぜアプリケーションがつくれるかを疑問に思っていたようです。つくったものを見せても、あまり信用してもらえませんでしたね」と笑いながら当時を振り返る。

そのうちに、中学校で天才少年として名を馳せるようになった。どんどん学び、どんどんプログラミングをした。全国のITコンテストに参加し始め、専門性を深めていった。同級生がまったく興味をもたないようなITの学術論文や著書も読んで独学した。9歳ごろからだろうか、いつの間にか団地で遊ぶことはなくなっていた。PCがあるだけで十分満たされていたのだ。

「PCのキーボードに突っ伏したまま翌朝まで寝てしまうこともよくありました」。PCをやりすぎて、両親にしかられなかったのかと訊ねると、「しかられませんでした。ぼくが遊んでいるのではなく、時間を有効に使っていることをわかっていてくれたみたいです。ITはいずれ仕事にもできますし、ひとり立ちすることを可能にしてもくれるツールですから」。学校では、少しずつ同級生との距離が広がっていった。勉強時間を1秒でも増やすために、教室にノートPCや専門書を持ち込むことが多くなった。

「休憩時間にも、IT関係の本を読みふけっていました」と、中学で数学を担当した教師イリネル・ダフィンチェスクは語る。ダフィンチェスクは、イオヌッツが全国ITコンテストのために勉強しているとき、数学の質問をしたことを機に彼と出合い、以後イオヌッツにとって大切な恩師となった。ダフィンチェスクはコンテストのたびにイオヌッツを応援してくれた。「世界的に有名な賞で優勝しても、彼は一切傲慢になることなく、一所懸命に勉強し続けました」とダフィンチェスクは回想する。

高校1年生のときに、初めて訪れたアメリカでは自分の能力を向上させる機会に恵まれた。アメリカで、IT分野最大の学術協会であるACM(計算機械学会)の最優秀賞を受賞したのだ。ACMは、情報学におけるノーベル賞といわれる「チューリング賞」を主催する団体だが、イオヌッツはその受賞者12人のうちのひとりで、最も若く、IT研究経験のない唯一の受賞者だった。

「こういったコンテストには1,000人以上が参加していますが、みんな勉強好きだから、お互いのことを尊敬し合っています」。イオヌッツは「尊敬」する姿勢を重んじている。わたしが、彼とは年齢が近いのだから、敬語で話す必要はないと言うと、「人間性の問題なんです。年齢は関係ありません」との答えが返ってきた。

初めてアメリカに行った際、イオヌッツはまだ高校1年生だったが、サンフランシスコ大学から、すぐにも入学してほしいとのオファーを受けた。しかし、彼は断った。「未熟すぎて、親から離れたくなかったんです」と、笑いながらその理由を明かす。ルーマニアの学校は、自分のためになっていたから、わざわざ飛び級する必要がなかったそうだ。大好きな情報学で手一杯になってしまい、ほかの科目に費やす時間はないけれど、学校では勉強の仕方を学べるし、インターネットがあれば、生物学、物理学など興味をもった講義をなんでも独学できるからだ。最初は、修士課程用の講義内容を学んでいたが、いまは博士レヴェルの難解な論文を読んでいる。

アメリカのコンテストで賞を得たことから、イオヌッツはIT業界の世界一の団体であるACMとIEEE(電気電子学会)の会員となった。インテルの賞を何度も受賞し、高校3年の時にはスイスのグーグルからも誘いを受けたが、「凡庸なプログラマー7,000人のうちのひとりになりたくない」という理由で断った。

彼は、将来は大学の教授になりたいそうで、ほかの進路にはまったく引かれていないという。イノヴェイディヴな発明や研究のために働いたほうが、人類のためになると考えているのだ。普通の仕事に就くと、情報学や人工知能の研究よりも、事務的な仕事や営業活動が重視されることがわかっているようだ。

彼の発明のなかで最も知名度が高く、最も多くの賞を勝ち取ったのが、視覚障害者が物体を識別するのをサポートするプログラムだ。彼は、数年前に失明した叔父の役に立ちたいという思いから、目を患っている人々の役に立つ装置をつくろうと思い立った。

以前、ブレイン・マシン・インターフェイスをつくろうとしてインターネットで研究書を読みあさったことで、彼は舌が目と同じように脳へと信号を送ることができることに気がついていた。彼は、視覚障害者が舌につけると、さまざまな物体を認識できるようになる装置とソフトをつくり、数週間叔父とともに実験した。ヴィデオカメラで周りの簡単な物を撮って、叔父の舌に取り付けた四角形の発信機に送信すると、発信機から映像の各部の明るさをなぞって電気信号が舌に伝わるという装置だ。しばらく繰り返すと、叔父はアルファベットを識別できるようになった。

ほかにも、イオヌッツは覆面強盗の顔を認知できるプログラムを発明したり、自然災害認知用のソフトウェアの作成にかかわるなど多数のプログラムを開発し、海外で受賞を重ねている。なぜそれらをつくろうとしたのかと尋ねると、彼が頻繁に参加するコンテストでは、世の中のためになるテーマが評価されるからだと言う。

現在彼がつくろうとしているのは、自動走行車だ。SF映画のようなこのアイデアに、「クルマが自分で勝手に走るということですよね?」と聞いたところ、彼はうなずき、これが世界で2番目の発明になるのだと胸を張ってみせた。

世界初の自動走行車は、スタンフォード大学の研究者が多数携わったものだ。同大の教授のひとりがかつてこの研究について講義を行ったが、あえて肝心なことは明かさず、イオヌッツのような若いプログラマーに新たに発明する余地を与えたのだった。スタンフォードの自動走行車はレーダーを使用している。イオヌッツは、数万ドルかかるそのレーダーよりもはるかに安い2,000ドルのレーダーを自分の発明のために使おうとしている。

加えてこの計画を完遂するために、国産車ダチア・ルノーとダン・ヴォイクレスク財団からクルマを1台与えてもらった。運転免許はあるのかと訊ねると、「ないですよ、クルマの運転には興味がないんです。ただ、運転せずに走るクルマがつくりたいだけなんです」。

一時期、イオヌッツの才能を危険視した教師たちがいたという。彼が人類のためになる発明をしようと励んでいたころ、彼の住むルムニク・ヴルチャでは、詐欺の容疑でハッカーが30人ほど逮捕され、この町はアメリカの新聞に「ハッカーヴィル」と名付けられた。そうしたこともあって小学校最終年のとき、校長先生に対してイオヌッツがIT研究室に入室するのを禁止するように求めた教師たちが現れたのだった。

その人たちが「いきなりFBIが本校にあらわれかねない」と騒ぎたてたことを、彼は笑いながら思い出す。「逮捕された人たちは、ハッキングではなく、フィッシングをしていたのです」と教師たちの誤解を説明する。イオヌッツは、ハッキングとはインターネットのサイトの弱点を利用することであって、それはいとも簡単なことなのだと語る。

中学2、3年のころルーマニアでサイトをつくっていた人たちに、そのサイトの問題点を指摘したのだが、相手にしてもらえなかった。事実を証明しようと、サイトに侵入してコードを数カ所書きかえたところ、告訴されそうになったが、イオヌッツはあまりにも若かったので、裁判は免れた。それが彼の最初で最後の、「ホワイト・ハット・ハッキング」だった。しかし、多くの人はイオヌッツも、ハッカー連中と同じことをしていると思っていた。

高校生のときには、彼が開発したソフトウェアが盗作であり、彼はハッカーにすぎないと糾弾する教師もいた。同じころ、教師宛に不正メールが送りつけられる事件があり、犯人として彼の名が最初に挙がった。ハッキングする間もないほど忙しかったにもかかわらずだ。

「たまには小説でも読んでみたら?」と提案してみると、「いいんです」と笑って断られた。映画は観るが、それでも年間20本ほどだそうだ。お気に入りは、『ターミネーター』で、それは人工知能と新しいテクノロジーがもたらす未来が描かれているからだ。イオヌッツが唯一情熱をもてる分野はいまも昔も情報学で、親しい友達も彼が参加した国際コンテストで知り合ったIT関係者ばかりだ。「自動走行車を完成したら、どこか遊びに行きたいところはないの?」と聞くと、コンテストに参加するために国外に旅行できるだけで十分で、特にほかの望みはないと実に素気ない。

最後に彼に会ったとき、彼は勉強するために足早に帰宅するところだった。イオヌッツは、アメリカの大学で使える4万ドルもの奨学金をもらっているが、アメリカに行くまで少しの間も惜しんで、とにかく勉強を続けている。心底勉強好きなのだ。志望大学は、イェールやスタンフォードではなく、カーネギーメロン大学とのことだ。


『WIRED』VOL.10 「未来都市2050 テクノロジーはいかに都市を再編するのか?」

テクノロジーはいかに「都市」を再編するのか? 最新キーワードとともに、21世紀の都市デザインを考える特集号。そのほか、現代美術家ダグ・エイケン”未来の車窓から”のプロジェクト、JALとLEGO 名門復活の処方箋、ウェアラブルテクノロジー最前線など。


TEXT BY ANCA ȚENEA

PHOTOGRAPHS BY IOANA VACARASU

TRANSLATION BY FLORIN POPESCU