
価値観は、時代によって変わる。
「もったいない」から「大量生産&大量破棄」「飽食」の時代になり、
やがて、「省エネ」へ。
「ケチ」は、節約、もったいない精神として美徳と解釈されることもある。
食べられない時代があったのに、今は飽食の時代。
賞味期限、消費期限
天妍專業紋繡中心・・・これはおおまかに、製造年月日を確認するものであるが、
腐っていなければ、多少風味が落ちようが、昔なら気にせず食べていたものも、捨てる。
食べ物だけではない。
モノのなかった時代に育った人は、モノを捨てない。
集めて集めて、ゴミ屋敷に
母乳餵哺 。
今の人は、モノのない贅沢を味わう。
モノは、アンチ贅沢というわけだ。
コレクター、収集家は、どうなる?
欲しがる人がいるなら、モノで持たずに、データ化して換金すべき、という考え。
持っておくな。モノが増える。
モノは、なるべく持たないのが、洗練・知的生活のステータス。
ロココ調のゴテゴテ猫足家具なんかは、どうなる?
代々伝わる、家具は?
大きなお屋敷、広大な庭は
歐亞美創醫學集團?
たくさんの洋服、バッグ、靴は?
要らないものは、捨てろという考え。
今は、その考えが主流になりつつあり、モノを必要以上に持つと、罪悪であるかのごとく。
物理的側面での断捨離から、精神的側面からも、ときめかないモノは、捨てろ、と、
さらに年齢が高くなると、終活へと、世間では、ますます断捨離に拍車がかかる。
モノへの執着は、老醜のごとく、醜いものでもあるかのように。
「要らないもの」の定義が、キーである。
そこに、各自の価値観が大きく顔を出す。
「使わないもの」「必要ないもの」は、捨てる、処分する。
子供たちと話していると、世代間ギャップを感じる。
というか、世代というよりは、個人の考えの相違だろう。
しかし、個人の考えは、時代の流れを反映する要因もある。
義母なんかは、どうなる?
昔、昔、大昔のモノを所持していることに誇りを感じている。
結婚当初、わたしが、古いものが好きだということがわかり、義母は、喜んだ。
叔父が「処分したら?」と言おうものなら、烈火のごとく憤慨する。
美術品は、美術館で観るものであって、個人が所有するものではない、と、
お金に換えたら?という、またまた、お金主義。
家もモノも、すべて、不良債権化を未然に防ぐ。
子孫に美田は残さない。おカネも残さない。それがいいと言われている、
なのに、手入れができない家を残されても、困り果てている人が、全国に多くいる。
家は、住んでこその継承、住まないと愛着はわかない。
土地、地域そのものに、愛着がないと、住まいにも当然、愛着はない。
家は家族の歴史や文化を入れるもの、箱である。
ソフト面で継承されない家は、住んでいた人がいなくなったら、ただの箱だ。
コンパクトに身奇麗にしろ、という。
墓も持たない人がいる。
後々、面倒をかけるのは、しのびないからと。
これは、いつから、こうなったのだろう?
確かに、墓掃除、墓参り・・・面倒である。
たいして信心もしていないのに、負担が大きい。
葬式も、実質本位になってきている。
母たちの世代からすると、晴天の霹靂(へきれき)だろう。
家は、修理を重ね、長く大切に使い、愛着と誇りのシンボルである。
いかにお金がかかるか、と、愚痴を装いながら、じつは、プライドが大いに満たされている。
わたしの世代は、まあどうにかなるとして(どうにもならないかも知れないが)、
子供たちの世代にはバトンタッチされず、消滅しているものに対して、お金をかける気にならない。
わたしは、つい最近まで、いかに世代間継承をすればよいか、そればかり、頭を悩ませていた。
しかし、子供たちのドライな発言を聞くと、
大切にしていたものも、時代の波とともに、ぷつんと切れることがある。
母たちには、そんな考えを聞かせるのは、酷なので、
なにも伝えず、価値観を否定され、継承されない今後のことであっても、
なにも知らないまま、この世を去ってもらおうと考えている。
ひょっとして、ひょっとすると、自分自身も、古い価値観が色あせて見えてきているのかも知れない。
それと・・・
目上の勢力、お年寄りたち・・・
価値観のズレや、考えが合わないことも出てきているが、あといくらかの年月が経つと、いなくなるので、
あえて衝突はせず、耐えて、待つ。
そうやって、わたし自身も子供たちから、指折り数えて、じっと我慢されて、自分の方針を貫くのかも知れない。
自分がいなくなった時は、あとのことは知らないんだから、それでいい。
自分がいる間は、ガンコを貫く。
知ることばかりが幸せとはいえない。
知らない幸せもある。
わたしとて、自分の目の黒いうちは・・・などとガンコに頑張っていたとしても、
自分がいなくなったら、すべて処分されている可能性は、大、大、大である。
ガラクタや、モノは、自分で断捨離したとしても、家、墓、そういったものも、処分されているかも知れない。
せめて、負の遺産を残さないよう、頑張るか。
孫のお守り、ちょっとぐらいは、お手伝いしてあげなくっちゃ、と神妙な顔になってみる?