まさか!!高額な移籍金の額にも、選手のキャリアや年齢的に考えても、どう考えても・・・・「まさか!?」の移籍。
欧州主要リーグの移籍市場が締まる1月末、欧州自体はビッグネームの移籍の噂すらもなく静かに閉幕しようとしていた一方、日本では慌ただしいトピックが満載でした。
鹿島アントラーズのMF柴崎岳選手が現地スペインへ渡るも正式なオファーがなく、それでも市場最終日には噂のあった1部リーグのラス・パルマスではなく、2部リーグのテネリフェへの移籍が決定。
他方、かねてから獲得報道があり、1月中旬から本格的にヴィッセル神戸が交渉の事実を認めた元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ選手は、所属クラブのガラタサライが後任FWを確保できなかったために現在も交渉が難航中。
日本ではそんな上記2選手の動向について2,3週間も目まぐるしく報じられる一方、急転直下で決まったのが、日本代表MF清武弘嗣選手の4年半ぶりとなるセレッソ大阪への復帰でした。
現在27歳で現役日本代表の主力選手がドイツを始めとした海外クラブからのオファーがある中、Jリーグ復帰となる移籍を決断した事に関しては賛否両論の意見が飛び交っています。
4年半ぶりにC大阪復帰が決まった日本代表MF清武。
引用元:soccerking
ドイツで発見した『伝家の宝刀』=セットプレーでアシスト量産
ただ、清武選手の欧州での4年半のキャリアは決して「失敗」ではなく、ましてや逃げて帰って来たわけでもありません。
逆に「成功」とも言えないかもしれませんが、成功か失敗か以上に彼の経験は日本サッカー界にとって様々な部分で貴重な教科書となり、強化書となるでしょう。
例えば、2012年の夏にセレッソから移籍したドイツ1部リーグのニュルンベルクではいきなりセットプレーのキッカーを任されました。
実はセレッソでは全くセットプレーのキッカーなど務めた事がなかった清武選手ですが、ドイツに渡るとそのキック精度の高さはチームの中で群を抜いていました。特にコーナーキックでその威力を発揮した清武選手は初年度からチームの1部リーグ最多アシスト記録を更新しました。
ニュルンベルクが残留を争うようなチームだったとはいえ、その10アシストはリーグ4位の数字。その後に移籍するハノーファーと合わせてドイツでの4年間で117試合に出場して31アシストという記録は立派な数字です。
両足で不自由なくボールを扱える技術などもドイツでは希少価値が高く、これらは日本を飛び出したからこそ気付けた武器です。セットプレーのキックに関してはドイツで『伝家の宝刀』にまで磨きがかかり、今では日本代表でもキッカーを務めています。
ドイツの育成改革に最適だった日本人の技巧派MF
今や『伝家の宝刀』となったセットプレーを武器に、ドイツでは117試合で31アシストを記録。
引用元:soccerking
また、セレッソからは清武選手がドイツに渡る以前にも日本代表MF香川真司選手(現・ボルシア・ドルトムント)やMF乾貴士選手(現・エイバル/スペイン)がドイツへ移籍していたわけですが、これはドイツ側のニーズにもマッチしていました。
ドイツは2000年の欧州選手権(現EURO)でグループリーグ敗退に終わった事で、国家プロジェクトとしてサッカーの育成改革に着手していました。
具体的には、それまでのフィジカル重視で敢闘精神旺盛な”ゲルマン魂のサッカー”から、技術や走力も活かしたテクニカルな要素を取り入れたサッカーへの転換として、育成年代の指導には技術面が重視され始めました。
その改革が国内トップリーグでも芽を出し始めた頃に香川選手がドルトムントにやって来て、MVP級の大ブレイクでリーグ2連覇に貢献。フィジカル任せの大男たちをスピードとテクニックで翻弄する香川選手のような2列目の選手は、ドイツの育成から見ても理想的な選手でした。
また、当時のセレッソが梶野智強化部長の方針で、日本の2列目の若手技巧派MFが世界に通用する可能性に強く関心を持っていたため、香川選手や乾選手、清武選手など、このポジションの選手のスカウティングに熱心だったのも功を奏しました。
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世界の中での日本人選手の現在地
香川の成功とドイツの育成改革の流れもあり、技巧派の日本人MFは重宝された。
引用元:spox
ただ、乾選手は2部のボーフムからの海外キャリアのスタートで、その後は1部に昇格したアイントラハト・フランクフルト、清武選手も残留争いのニュルンベルクやハノーファー、香川選手の場合も優勝したとはいえ、ドルトムントは彼の加入2年前頃までは多額の借金で消滅の危機にあったクラブ。
そして、ドイツの育成改革も進み、各クラブの下部組織からも優秀な技巧派の2列目を輩出するようになると事態も変化しました。ドイツの下部組織出身の若手選手が優先され、そういった選手が活躍すると上位クラブへとどんどん引き抜かれていきました。また、上位クラブや代表チームで大活躍した香川選手やメスト・エジル選手(現・アーセナル)らは国外のビッグクラブへと引き抜かれていきました。
清武選手や乾選手はそれでも時代の波の中でしっかりと根を張って自分の地位を確立し、共に世界最高峰のスペイン1部リーグへのステップアップを果たしました。乾選手は現在も加入2年目のエイバルでレギュラーポジションを掴んで奮闘していますが、清武選手は半年でリーグ戦4試合の出場に終わり、日本復帰を決断しました。
明暗が分かれた印象かもしれませんが、乾選手が加入した時点でエイバルはクラブ史上初の1部昇格だった小クラブ。一方の清武選手が加入したセヴィージャは直近の3年で連続してUEFAヨーロッパリーグを制覇したチーム。今季はレアル・マドリーとバルセロナの2強に割って入って現実的にリーグ優勝の可能性すら感じさせる強豪です。
残留を争うチームでは「清武のチーム」と表現されるほどの絶対的な存在であり、中堅クラブでなら日本代表FW原口元気選手のように定位置を掴めるものの、未だ上位のクラブではそれが可能とはならない。
それはそのまま現在の日本人選手の現在地であり、世界のサッカーの中での日本サッカーの現在地の証明ともなっています。日本は世界から見れば強者ではないが、弱者でもない。そのリアルな体験を確認させてくれた清武選手の経験こそが、日本サッカー界にとっての大きな財産であり、成功と捉える事もできるでしょう。